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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第1章  入隊
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第1話  本日、沖田宗司、深泉組に配属となります。

 澄み渡るスカイブルーの空に一筋に伸びていく雲がある。

 一心に天へ昇っていく、穢れを知らない白き龍のようだ。


 僕はあの白き龍のように、駆け上がっていきたい。

 ただ、一心に……。それだけを願っていた。




 新生621年4月1日。

 徳川の治世になって600年という月日が流れていた。誰もが安穏とした時を過ごしていると幻覚に酔っている最中、都に住む人々の中で移り変わりいく時代を予感していたものがいた。

 都で暮らす人々は安寧という錯覚を見ているに過ぎない。

 地方では人間に危害をもたらす妖魔が溢れ、乱れに乱れていたのである。

 その足踏みは平和だと夢見る都にも近づいていた。

 そして、妖魔と同等、それ以上の暗雲が人々が暮らす都に立ち込めている。徳川の治世を排して、天帝の治世に戻そうとする勤王一派の勢いがあった。




 鮮やかな水色が際立つ空に、紫雲がゆらゆらとなびく。

 四月に入ったにもかかわらず、都に冷たい風が吹き込まれていた。


 活気漲る都には天に突き刺すようなビルがいくつもそびえ立っている。その周辺には騒然と住宅や商家の家々が立ち並んでいたのである。

 その中でひと際目立つビルがあった。

 側面は全面鏡張りで、太陽の反射を受けて目映い光がキラキラと輝いていた。

 そのビルは都を守る警邏軍の本部だった。



 警邏軍本部の一室。

 白を基調にした真新しい制服をまとった、どこかまだ幼さが残る沖田宗司が凛々しい姿で立っていた。沖田の前に立つ警邏軍の堺少将から今日から警邏軍に所属する辞令交付を受けている真っ最中だ。

 微笑みを浮かべている沖田は、最年少の若さでS級ライセンスに合格し、三ヶ月の研修を経てこの場所に立っている。


 身体の線が細く綺麗で、肌もきめ細かさがあった。それとは対照的に、辞令証を読み上げている堺少将は五十代のわりに質の良い筋肉がついていた。


 辞令証を読み終え、机を挟んだ向かい側に立つ、この場の雰囲気に似合わない沖田に手渡す。

 渡す堺少将の目つきは大丈夫なのかと胡乱げだ。

 どう見ても目の前に立っている姿から優秀な人間だと感じられない。

 ずっと微笑みを絶やさずにいた。

 普通の人間ならば、真剣な表情あるいは緊張で青白くなってもおかしくない状況だった。

 この状態を楽しんでいるようでもあった。


 巷に騒がれるようなイケメンの部類に入る顔立ちに、さらに不安を煽っていたのだ。

 辞令式に参列している他の少将たちが、妖しげな眼差しで静観していたのである。終始微笑みを浮かべている愛くるしい姿に加え、少年さが抜けていない感じがあって、どうしても最年少でそれも首席で合格した人間に見えなかった。別人ではないかと誰しも疑いをぬぐえなかった。


 緊張感が感じられない視線を、受け取った辞令証に落とす。

 一般階級である兵士とは書かれていない。

 辞令証にはっきりと名前の上に少尉と記載されていた。


 名誉があると称されるS級ライセンスに合格しているので、階級を五段階も飛び越えて、すでに出世コースに乗っていたのである。それ以外の人は階級の一番下である兵士から始まって、徐々に試験や仕事の成績で上がっていった。

「ありがとうございます」

 若々しい声が部屋中に響き渡った。


 誰しも将来有望株の沖田に、期待交じりの視線を送っていない。

 当惑の視線のみ。

「沖田少尉、頑張ってくれたまえ」

 複雑な心境を抱えたまま、堺少将が声をかけた。

 微笑みを絶やさないでいる少年に、大丈夫なのかと疑心暗鬼が拭えない。それに素直に喜べない理由があった。それは落ちこぼれ集団深泉組に配属させることだった。そして、それは沖田以外の幹部たちも、同じ思いを抱いていた。


「はい。堺少将」

 腕を伸ばし、受け取ったままの体勢で一歩退いた。

 辞令証を身体と左の腕の間に挟み込む。

 堺少将に向かって、初々しい敬礼をした。

「小栗指揮官のところへ行きたまえ」

「はい」


 堺少将を始めとする他の少将にも挨拶してから、颯爽とした歩き方で退室していった。その一連の仕草からもS級ライセンスを首席で取ったとは思えないほどで、一流モデルのような優雅さを醸し出していた。

 静かに扉が閉じられる。


 その場に立ち会っていた誰もが、いっせいに長い息を吐いた。

 部屋に残った面々はそれぞれに感想を確かめ合う。

 静粛していた部屋は一気に騒がしくなっていた。

 それぞれに声をかけて腹に隠していた思いを確かめ合いたかったが、辞令交付中のために誰しもが固く口を結んでいた。


 むっつりしている堺少将に、一番近くにいる中村少将が話しかける。中村少将は堺少将より、年が若く身体つきもほっそりしていた。頭脳一つで階級を昇っていったタイプだ。

 初めて目にする沖田に対して、野獣集団のような深泉組に入ってやっていけるのかと、心配の色が隠せなかった。それほど、いわくつきの部署だったからだ。

「大丈夫でしょうか?」

「しょうがあるまい。沖田を他の省や軍には渡したくないのだから」

「ですが……」

 目の前にいる堺少将をチラッと窺いながら言葉を濁した。


 憮然としている顔に眉間のしわが刻み込まれている。

 久々に優秀な人材を確保することができた警邏軍では、最年少でS級ライセンスに合格した沖田を逃したくなかった。S級ライセンスに合格すると、省庁や軍の関係たちがこぞって、自分たちのところに来ないかと勧誘してくる。それはS級ライセンスがジパング国において、最も優れた資格の一つだったからだ。


 誰しもS級ライセンスに憧れ、何千人と受験するが毎年五人ぐらいしか合格できない。エリート官僚を目指して、省庁や軍に入った者でも受験するものも多かった。だから、それに合格した沖田を獲得するために、眉を潜めたくなる条件提示を受け入れたのだった。

「なぜ、深泉組なんでしょう……」

「知るか!」

 誰もがその声の大きさに委縮する。


 警邏軍に入ることに沖田はいくつかの条件を提示してきたのである。その一つが警邏軍の粗大ゴミ、お荷物集団など揶揄される深泉組に配属することだった。

 幹部たちはいいポストを提示したが、それをあっさりと切り捨てた。


 恐る恐る中村少将は尋ねる。

「内情を知らないとか?」

 バカかという眼差しを傾けた。

 その鋭さにたじろぐ中村少将。


「都中に噂になっているだろうが、知らない訳がなかろう」

「そうですよね。ゴミ溜めと言われていますし……」

 深泉組の悪い噂は巷で有名になっている状況なのである。

 小さい子供でもその評判を知っているぐらいに。


 沖田の思考が理解できずに首を傾げる。

 深泉組に配属されれば、出世の見込みもなくなり、誰もが入隊を拒むような場所だった。それをあえて希望したから上層部は誰もが当惑していた。けれど、S級ライセンスに合格した沖田を逃したくないために出した条件提示をほぼ丸呑みした。


「銃器組や特命組のどこがいやだったのでしょ?」

 独り言のように中村少将が呟いた。

 上層部が最初に提示した配属場所は、銃器組の一番隊と特命組だった。


 出鼻をくじかれた上層部たちは辞令交付を堺少将に任せてしまった。辞令交付は警邏軍のトップである鳴瀬大将が行うものだった。辞令式を会議や出張と偽って、大将も中将も出席していない異例な状況となっていた。


「でも、沖田が我が警邏軍を選んでホッとひと安心ですね」

 ギロリと、のん気なことを零した中村少将を睨む。

 けれど、そんな仕草にも気づかない。

 初めて優秀だと称される沖田を見て、何を考えているのかと思案が深くなる。終始微笑みを絶やさない姿に掴みどころがなく、堺少将の推察力を鈍らせていた。堺少将を始めとして実物の沖田を目にしたものは初めてだった。


「何を考えている……、沖田は……」

 S級ライセンスには二つの試験があり、筆記試験と実技試験だ。

 一つだけ合格していても名誉なことだった。


 獲物を狙う野犬のような堺少将の眼差しを通して、細身の身体つきをしていた沖田がどうしても合格したとは思えなかったのである。それほど難しく、警邏軍の中でも鳴瀬大将しかS級ライセンスを持っていない。上層部に籍を置く幹部ですら、何度か受験しても両方の試験に受かる人材が警邏軍にはいなかった。S級ライセンスの合格者に、毎年警邏軍を選んで貰おうと勧誘するが人気がなく、警邏軍を希望する人間は一人もいなかったのである。久しぶりに希望してきた人間が何を考えているかわからない沖田だった。


「いや、本当によかったです」

「……」

「格好がつきましたね」

「……」

「これで近衛や外事から、バカにされませんね……」

 冷気漂う視線で、さらに続けようとする言葉を押さえ込んだ。

 誰もが堺少将の様子に気づき、黙り込む中、中村少将だけが話していた。


 正面を向き直して、さらに思考を深めていった。

 おしゃべりな中村少将の語ったことはすべて当たっていた。

 S級ライセンスに合格した者たちにことごとく拒否され、近衛軍や外事軍に優秀な人材を取られてしまっていたからである。




 辞令を受け取り軽やかな足取りで、深泉組の指揮官である小栗の部屋を目指して長い廊下を歩く。

 腰ぐらいまで伸びている髪を肩甲骨の辺りで結っていて、足を踏み出すたびに左右に揺れている。

 左肩には少尉を示すバッチが降り注ぐ太陽の光によって、キラキラと目映く輝いていた。


 立ち止まり、窓から晴天に恵まれた空を見上げる。

「いい天気」

 ニッコリと青空を眺めて零した。

 真っ青な空にあるのは一筋に伸びる雲だけだった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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