第183話
仕事をしている西郷の元に、久しぶりに大久保が顔を出していた。
武市と坂本の件は、すでに、大久保の耳に入り、状況の確認をしたい気持ちを抱いていたが、彼自身、いくつも仕事を抱えていることもあり、すぐに駆けつけることができなかったのである。
ようやく時間ができても、仕事を終わらせることができず、西郷との約束の時間を大幅に越えていた。
待っていた西郷も、遅れて顔を出した大久保に、目くじらを立てていない。
そうして、今になっていたのだ。
仕事の手を休め、西郷の双眸が、目の前にいる大久保を捉えている。
大久保の顔色は、青白い。
((……互いに、酷い顔だな))
「武市と坂本のことか?」
報告のこともあるが、アジトで問題を起こした二人のことが、外で仕事をしていた大久保の中で、気掛かりなことだった。
非常に大切な仕事を、互いに、外で抱え込んでいたので、同時に、二人でアジトを空けないように、心掛けていたのである。
大久保が外に出る時は、西郷がアジトに残り、西郷が外に出る際は、大久保がアジトに残っていたのだ。
結局のところ、西郷が、外に出る機会は少ない。
大久保に任せることが、多かったのだった。
「ああ」
「坂本のやつ。どうして、武市が来ていることを、すぐに感知できるんだろうな。バレないように、いろいろと施していたのに」
小さく笑っている西郷だ。
「笑い事じゃないぞ」
真面目な顔を、大久保が覗かせている。
「そうだな」
「で、どうだったんだ?」
「暴れた」
「話は、できたのか?」
武市と、じっくりと話すことができたのかと、案じていた。
事前に、西郷から武市と話し合うと、報告を受けていたからだった。
「武市とは、きちんと話せた。結論から言うと、情報を聞き出すことは、無理だった」
「そうか……」
残念そうな顔を、大久保が滲ませていた。
無理だとわかっていても、西郷同様に、僅かに期待はしていたのである。
「でも、いろいろと武市とは、話ができた」
「そうか」
「武市は、もうすでに、覚悟はできているようだ」
「……無駄死にじゃないか」
徐に、眉を寄せている大久保。
「……そうだな。でも、武市が、望んだことだ」
「……」
「坂本の様子も、ここに来る前に、覗いてきたんだろう?」
「ああ。仕事をしていた」
西郷のところに来る前に、坂本の様子を、見にいっていたのだ。
仕事をしている坂本に、微かに安堵を巡らせていたのである。
「沢村が、気を利かせ、中岡を呼んだらしい」
外に出ている中岡が、顔を出したことを、西郷が告げていた。
「中岡も、忙しいのに、よく、ここに、顔を出せたな」
自分たち同様に、精力的に動き回っている中岡の姿を、大久保が掠めている。
西郷や坂本と同じように、容易に、相手の懐に入り込める中岡。
自分が持ってないものに、僅かに、嫉妬心がくすぐられていた。
「中岡も、坂本のことを、心配しているからな」
そうした大久保の葛藤に、気づかない西郷だった。
「二人は、仲がいいからな」
「ああ。ところで、外の仕事は、大丈夫なのか? 忙しいのでは」
「そっちほどじゃない」
「そうか」
西郷が朗らかに喋っているが、相当、疲れが溜まっているのを認知できていた。
休ませてやりたいと抱きつつも、西郷じゃないとダメな仕事が多く、もどかしい気持ちや、嫉妬する気持ちを、大久保の中で渦巻いていたのである。
急に、黙り込んだ大久保を窺っていた。
「どうした?」
「いや。ところで、また、死人が出たようだな」
「ああ」
僅かに、西郷の顔が歪んでいる。
大久保が、何を言いたいのか、すぐに理解できていた。
つい最近、自分たちの仲間が、何者かによって、殺されていたのである。
そして、その仲間たちは、狩りに参加をし、殺されていたのだ。
殺されていたのは、勤皇一派だけではない。
他の組織の者たちも、殺されていたのだ。
そうしたことでも、理解できるように、どこの組織の一部の者たちも、半妖の狩りにかかわっていたのだった。
そして、狩りをしていた者を狙って、次々と、狩りが潰されていたのである。
狩りをしていた者だけではない。
半妖の一部も、殺されている節が残っていた。
痕跡が残っているだけで、遺体が残っていなかったのだ。
狩りにかかわっている者が片付けたのか、狩りをしている者たちを潰そうとしている者たちが、片付けたのか、不明だが。
「他の組織も、今頃、頭を抱えているだろうな」
皮肉交じりに、西郷が呟いていた。
内心では、火種が燻っていたのである。
自分たちの手で、裁けないことに。
このところの西郷は、狩りをしていた者の炙り出しの仕事に、僅かに重点を置いていたのだ。
「糸口は、切れたな」
殺された者の中に、西郷たちが、泳がせていた者が含まれていた。
「どうする?」
「諦める訳には、いかない」
闘志を燃やしている西郷。
「当たり前だ。ここで終わらす訳には、いかない」
口角を上げている二人。
「次に、妖しい者を、見張るだけだ」
「そうだな」
「岩倉殿は、大変か」
ふと、西郷が声をかけていた。
岩倉との接触を、ほとんど任せていたのだった。
僅かに、眉間にしわが寄っている大久保だ。
西郷から名前を出され、思わず、優雅に微笑む岩倉の顔を思い浮かべている。
(……何を考えているんだ? その人は……)
意識せずとも、相手の懐に入り込むことができる西郷とは違い、相手のことを詳細に観察している大久保は、岩倉のことも、勿論、観察していた。
けれど、岩倉のことは、分析できない。
辛抱強い大久保は、諦めずに、観察だけは続けていたのである。
「……面白い人だと思う。少々、掴みどころがないところもあって、疲れることが、少しだけある程度だ」
「そうか。無理はするなよ」
「わかっている」
「では、報告を、聞かせてくれるか?」
「勿論だ」
簡潔に報告することを、大久保が口にしていくのだった。
それを黙って、西郷が、耳にしていたのである。
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