第180話
感慨深い思考に捉われている西郷に、武市の眼光が注がれていた。
「ただ、あなたでは、私の信念を、満たしてくれない。ただ、それだけです」
「……」
「気にしないで下さい。私の言い分ですので」
(気にしないでくれって言っても……な)
「一応、聞くが、あの人に、繋がるものを貰えないだろうか?」
武市の説得を諦めたものの、あの人を追及する材料を欲していたのである。
それを持っているだろうと武市を、容易く、離す訳にはいかない。
「ありませんよ。私が、そんな真似をするとでも?」
「……ないな」
一縷の望みをかけていたのである。
それが、費えてしまっていた。
表情に落胆の色を漂わせている。
「すべて、私がした事は、私のところへ、行くようになっています。私が、ヘマをするとでも?」
「さすがだな。あの人が選ぶ人材は、凄い」
ここまで来ると、素直に、賞賛しざるを得ない。
(また、一からやるだけだ)
「私も、そう思いますよ。すべてを知っている訳では、ありませんが」
「武市でも、知らないのか?」
微かに、目を見張っている西郷だった。
「言っておきますが、あの人にとって、私は、使い捨ての下の人間ですよ」
「自分の立ち位置を、知ってまでか」
「はい」
「そうか。だが、武市は、知っているだろうが、俺は、諦めが悪い男だ」
「知っていますよ。せいぜい、頑張ってください」
「そうさせて貰おう。私に頼みたいことは、何か、あるか?」
緊迫した空気がなくなっていた。
二人の間には、和やかな雰囲気が流れていたのだ。
誠実な双眸を巡らせている西郷。
覚悟ができている、武市の役に立とうとしていたのである。
「別にありません。私は、いつでも、覚悟はできていますので」
「いいのか? 奥方のことや、部下がいるだろう?」
「私の妻です。何も言わなくっても、私の妻として、堂々と、生きていきます」
「……」
西郷の脳裏を掠めているのは、凛とした佇まいをした、武市の妻の姿だった。
(あの奥方ならば、大丈夫だろう。それに、坂本もいるし。いがみ合っていても、元々は、仲が良かったんだ。ほっとくこともなかろう)
「部下のことも、あの人が、見込みがあると思った者を、引き上げて貰えるでしょうが、ダメなら、ダメでしょうね」
あっさりとした声音だ。
部下に対し、強い思い入れがなかった。
「随分と、淡白だな」
突き放す武市に、微かに眉間にしわを寄せている。
「何人もの部下を、これまで、切り捨ててきたと?」
容易に部下を切り捨て、これまでの成果を、武市は上げてきたのだ。
亡くなった、武市の部下の顔が、西郷の脳裏の中で通り過ぎていった。
その中には、惜しいと思える人物が、幾人も含まれていたのである。
「その者に対し、失礼かと」
「そうだな」
「それに、それだけの能力しか、ないと言うことです。もし仮に、西郷さんのめがねに、叶った者がいたら、好きに使ってくださって、結構ですよ。ただ、あの人に繋がる者は、いませんが」
「そうさせて貰う」
「呼び出した理由は、いいのですか?」
「必要あるまい」
「ですね」
「ああ」
「用は、済みましたか?」
「いや」
背凭れに、預けていた背中を外す西郷だ。
話を聞く機会が、今後、あるかわからない。
だから、聞くことは、まだまだあったのだった。
「武市。今回、起きている事件は、すべて、お前の仕業か?」
「いいえ。いくつかは、私が、お願いしていますが」
ここまで来て、言葉を濁す真似もしない。
今後、迷惑をかけるので、少しでも手間が省けるように、しておきたかったのだった。
これまでの分の迷惑料を含め、話せる話は、話そうとしていたのである。
「では、お前の仕業以外で、誰が、かかわっているのか、わかるか?」
「いいえ」
(潤平が、いくつかかかわっていると、知っていますが、さすがに、これは教えることはできませんよ、西郷さん)
「本当か?」
探るような西郷の双眸。
「はい」
「芹沢が亡くなっても、芹沢と、並ぶような腕を持つものは、多いのだな」
「そのようですね」
「お前が使っている者も、芹沢と並ぶような腕を、持っている者がいるのか?」
「いますよ。名は申し上げられませんが、幾人かは、知っております」
「そうか」
「彼らに、西郷さんとコンタクトを取るように、命じてもいいのですが、クセが強い者ばかりですよ。果たして、西郷さんとコンタクトを取るか、どうかは、わかりませんね」
「……強い者は、どうして、皆、クセが強いんだろうな」
太い眉が、少しだけ下がっている。
「どうしてでしょうか」
「地方は、どうなっている?」
「酷いあり様ですよ。一度、ご自身の目で、確かめられては?」
「……確かめたいと思っている。だが、時間が……」
地方に出向いている時間が、忙しい西郷にはない。
次から次へと、問題が、西郷のところに来ていたからだった。
そのすべてを、真摯にこなしていたのである。
「あなたは、真面目なんですよ。皆の声に、耳を傾け過ぎです」
「そうか」
不可思議そうに、首を傾げている。
「えぇ。自分のやりたいことだけ、やればいいのに。頼まれれば、無理に、時間を使ってでも、応えようとする。私には、無駄でしかないですね」
「……辛辣だな」
「お返しです。これまで、私にも、辛辣なことを、あなたに言われましたから」
「そうか」
「そうです」
小さく息を吐く西郷。
「酒でも飲み交わして、じっくりと、お返しをしたかったんですが、時間がないですからね」
「互いに、忙し過ぎだな」
「ホントに」
互いが、持ちえるギリギリの時間が訪れるまで、西郷と武市は、いろいろと話に花を咲かせていたのである。
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