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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第6章 双龍 前編
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第174話

 沖田が、地方から戻ってきても、待機部屋は、いつもの騒々しさで、落ち着くことがなかった。

 一見すると、これまでのような雰囲気に、戻ってきたような感じになっていた。

 だが、誰の心にも、一抹の不安が、重く、圧し掛かっていたのである。

 ただ、誰も、口に出さない。

 誰もが、平静を装っていたのだった。


 粛々と、事務をこなす、事務三人組だ。

 芹沢隊や新見隊が、機能していなくても、事務の仕事は、連日、山のようにあったのである。

 芹沢隊や新見隊により、隠されていたものが、未だに、湯水のごとく、出てきていたのだった。

 止め処なく、舞い込む仕事。

 次から次へと、手際よく、処理していく。




 ソファにだらけた状態で、座っている原田。

 その前に、事務の三上が、仁王立ちしていたのだ。

「いい加減にしてください。何ですか? このメチャクチャな請求書は」

 ジト目で、三上が、締まりのない原田を睨んでいる。


 三上の手には、無数の請求書が握られていた。

 二つの隊が、残した負の書類だけで、精いっぱいな状況に、陥っているのに、さらに、問題だらけの請求書に、三上の怒りが、爆発していたのである。

 手に握られている請求書は、先ほど、井上が出したものだ。


 久しぶりに、待機部屋に、原田の姿があった。

 原田と井上以外の原田班は、待機部屋にいない。

 顔も、出していなかったのだ。

 こういう状況に、陥るだろうと、見越していたのである。


 少し、離れた自分の机で、仕事をしていた井上が、申し訳なさそうな顔を滲ませていたのだった。

 問われても、惚けている原田である。

 三上に出した請求書は、危険な区域で飲み食いしたもので、正規で出す訳にもいかなかったので、偽造して出していた。


「ちゃんとしたものを、出してください」

 さらに、三上の眼光が、鋭くなっていく。

 ジュジュや伊達が、静かに、両者を窺っていた。

 仕事の手は、緩まっているが、止まっていない。

 事務仕事は、続けていたのだった。


 待機部屋にいる者たちは、チラチラと、見ている者や、我冠せずといったように、自分だけの世界に入っている者がいたのである。

 ある意味、いつもの光景でもあった。


「出しているぞ」

「原田班長」

 声音を強めている三上。

「ダメ?」

「ダメです」

「頼む」

 甘えるような原田の声。


 三上の態度は、全然、崩れない。

「ダメです」

「沙也ちゃん」

「ダメです」

 きっぱりとした姿勢に、原田の眉が、やや下がり気味だ。


「お金がないんだよ」

 このところ、危険の区域に入り込み、待機部屋にも、顔を出していなかったが、金が底をついたので、請求書を出し、金を支給して貰おうとしていたのだった。


「酒ばかり飲んで、遊んでいるからでしょ」

「仕事しているぞ」

「仕事にかこつけて、飲んでいるだけです」

 痛いところを突かれ、井上が絶句している。

 他の者は、さすがと賞賛していた。


「それも、仕事のうちだろう」

 口を尖らせている原田。


 情報を得るため、ある程度は、そうした行為も、認められていたのである。

 ただ、原田や永倉たちは、そうした予算を、遥かに超えて、使っていたのだった。

 そして、今回の請求書は、いつもにまして、かなり酷かったのだ。


「原田班長たちの場合は、度が過ぎています」

「いつもは……」

「今回の、この金額は、何ですか?」


 いつもの五倍の請求を、行っていたのである。

 通常の請求書でも、原田班や永倉班から出てくるものは、酷い状態のものだった。

 それ以上の酷さに、三上たちの怒りも、いつも以上に、燃え上がっている。


 だから、言ったじゃないですかと言う眼差しを、井上が、原田に向け、送っていたのだった。

 勿論、井上の視線に気づいていたが、何も言わない。

 怒り心頭の三上。

 井上の仕草に、気づいていなかった。


「頑張った証拠」

 首を傾げ、眼光鋭い三上を見上げている。

「茶化すのは、やめてください」

 語気を強めていた。

 鼻息も、荒かったのだ。


「茶化していないよ。真面目に……」

「では、結果を、出してください」

「……結果?」

「はい。成果を出しているのならば、出しますよ。ちゃんと」

 僅かに、狼狽えている原田に、三上が圧をかけている。

 危険な区域に入り込んでも、目ぼしい情報を得てはいない。

 何か情報を得ようとして、酒場を周り、悪循環に陥っていたのだった。


「どうなんですか?」

 ジリジリと迫られ、気圧されていく、原田だった。

「出そうとした結果? だから、頼むよ。次は……」

「また、行くつもりですか?」


「勿論」

 胸を張る原田。

 また、危険区域に入り込むためのお金を、用意するために、待機部屋に、井上と共に帰ってきていたのだった。


 三上の頬が、引きつっている。

 ジュジュと伊達が、やれやれと首を竦めていた。

 待機部屋にいる多くの隊員たちは、口に出さず、バカだと巡らせていたのだった。

 一段と、ギアが入った三上の声が、待機部屋に響き渡っていたのである。




 そうした中で、黙々と、仕事をしている山南。

 盛大な溜息を零していた。

 彼の目からしたら、いつもの、のん気な光景としか映っていない。


(こんな時に、酒ばかり飲んで……)


 素行の悪い原田たちに、苛立ちを隠さない山南だったが、頭の大半を埋めているのは、近頃、巷で起きていた闇討ちの件だった。

 気になっていた山南は、深泉組の仕事をしつつ、独自に調査していたのだ。


 独自の情報網を使い、事件を洗っているが、いっこうに、情報を得ることが乏しかったのである。

 そして、沖田から得た話も、当たっているが、それらしい人物を見かけた者がいない。

 全然、成果を得られていなかった。


(……確かに、生きている可能性は、低かったから、しょうがないのか……)


 だが、何か引っ掛かるものを憶え、探っていたのだった。

 何も得ることできなくても、未だに、引っ掛かりを取ることができず、調査を止めることができなかったのである。

 けれど、どこかで、区切りをつける必要があったのだ。

 次第に、山南の顔が、曇ってしまっていた。


「山南班長?」

 小声で、尾形が声をかけた。


 いつになく、山南の太めの眉が寄り、眉間に深めのしわが、でき上がっていたのである。

 気遣わせてしまった尾形に、これ以上の仕事を、押し付けることができない。

 いろいろと、私用の仕事を頼んでいたのだ。

「……何でもない」

「そうですか」


 千葉が勉強に勤しみ、山南たちの話に、気がそれることがない。

 藤川や水沢が気づいていたが、素知らぬふりをし、自分たちに与えられた仕事をこなしていたのだった。


 不意に、原田たちのやり取りが、山南の視界に入り込んでいた。

 もう一度、溜息が出そうになり、堪えている。


「……原田班長たちは、危険な区域に、入り込んでいるみたいです」

 さらに、声を小さくし、できるだけ、山南だけに聞こえるように口に出していた。

 藤川や水沢の耳にも、届いていたが、僅かに、顔を動かすだけで、何も口に出さない。

 一心不乱に、テキストと、睨めっこしている千葉だ。


「見たのか?」

 目を見張っている山南だった。

「はい」


 情報を探っている際に、尾形は、原田たちが、いつも以上に酷い身なりをし、都にある危険な区域に入り込んでいく姿を、遠巻きに見かけていたのである。

 ただ、山南に伝えた方がいいか、どうか迷い、報告が、今になってしまったのだ。


「やつらは、何を考えているんだ……」

 苦虫を潰した形相。

 尾形が、小さく息をついている。

 さらに、原田たちのことを、毛嫌いするだろうと見越し、伝えるかどうか、悩んでいたのだった。

 だが、目の前の表情を窺うと、自分の判断が、正解だったとは思えなくなっていく。


(報告しない方が、よかったか?)


「さすがに、どこにいっていたか、言えないようだが」

 まだ、攻防を繰り広げている、原田たち。

 二人の視線が、注がれていた。

 藤川や水沢は視線を巡らせることなく、原田たちの攻防に、聞き耳を立てている。


 原田たちは、未だに、どこで、酒を飲んでいたのか、吐露していない。

 それでも、お金を出して貰おうと、必死に、頼み込んでいたのである。


「あの分だと、あそこに出入りしても、情報を得られていないようだな」

「そうのようです」

「……情報がないのか、あっても、掴めていないのか」

 心が、僅かに、揺らぐ山南。


(……あそこに入れば、得られるか? ……だが……)


 喉から手が出るほど、山南自身としては、情報をほしかったのである。

 脳裏に掠めているのは、楽しげに、微笑む沖田の姿だった。

 自分よりも、何歩も、先にいっているだろうと抱き、嫉妬と羨望が混じった感情が、胸の中で渦巻いていた。


「あそこは、どこの部署も、手が出さないからな」

 どこの部署も、危険区域には、手をこまねいていたのだ。

 いったん、危険区域に入り込まれれば、手出しができなかったからだ。

 ただ、追われる側も、危険区域に入ることに、二の足を踏んだりしていたのだった。


「はい。入り込んだら、生きては戻れないと」

「野生の勘が高い、原田たちなら、大丈夫だが。井上を連れているとは、随分と……」

「さすがに、奥深くまでは、原田班長たちも……」

「わからないぞ。情報を得られていない以上、あれらのことだ……」

「……可能性は」

 見つめていた視線を、山南が戻していた。


「……近藤隊長たちに、伝えますか?」

「……いや。いいだろう」

「……わかりました」

 奥歯を噛み締めている、山南だ。

 都で育った山南としては、危険区域に入り込むのに、躊躇っていたのである。


 都で生まれ育った者として、あそこの者と、かかわるなと、教え育ってきたのだった。

 だから、このため、危険な区域に入り込んだこともないし、仲間たちに、入り込むなと言っているほどだ。

 あそこに、踏み入れれば、もう二度と、まっとうな人間に戻れないと、信じ込まれていたのだった。

 だが、その信念が、崩れそうになっていた。


「山南班長……」

 尾形が呼びかけたにもかかわらず、自分の思考に、沈んでいたのだった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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