第172話
休憩室には、沖田以外、誰もいない。
飲み物を飲んで、休憩していた。
先ほどまで、井上と、お喋りに花を咲かせていたが、原田たちに呼ばれ、出て行ってしまったのである。
お喋り中は、今現在、都の中でも、危険な区域で、情報収集を行っていることは、決して、井上は、口に出さなかった。
時折、しどろもどろしている井上の姿に、気づいていたが、気づかない振りをしていたのだった。
当たり障りのない話を、お互いにしていたのである。
そこへ、待機部屋から、姿を消していた近藤が、休憩室に顔を出した。
外に出て、つい先ほど、戻ってきたばかりだった。
「「……」」
芹沢が亡くなっても、警邏軍の中での深泉組に対する目は、変わらない。
それでも、背筋を伸ばし、堂々と、近藤は歩いていたのだ。
少し、ひと息つこうとして、訪れていたのである。
まさか、休憩室に沖田がいるとは、思ってもいなかった。
互いに、目を見張っている。
「……誰も、いないのか?」
室内を、見渡している近藤だ。
それほど、大きくもない室内。
だが、何となく、見てしまっていたのだった。
近藤としては、単独で、沖田と顔を合わせたくないと、抱いていたからだ。
対照的に、沖田は、いいスマイルを覗かせている。
「はい。隊長は、どちらに?」
「……芹沢さんの墓参りだ」
注がれている、沖田の双眸。
(本当に?)
近藤が、本当のことを言っているのか、確かめていたのだ。
だが、容易に、読み取ることができない。
(無理か……。ま、しょうがないか)
射抜くような視線にも、近藤は、動じていない。
ただ、見つめ返していたのである。
休憩室の中には、緊迫している空気が流れていた。
(……相変わらず、気が抜けない男だな。……こういうところが、似ているのかもしれないな。だが、まだ、悟られる訳にはいかない……)
不意に、亡き芹沢の姿を、掠めていたのである。
グッと、腹の中で、気合いを溜め込んでいた。
戻ってきた近藤は、芹沢の墓参りにいっていない。
小栗指揮官や土方たちに、行っていた場所を、知られたくなかったので、咄嗟の言い訳として、芹沢の墓参りと、口に出していたのである。
誰にも、今、調べてきた内容を、知られる訳にはいかなかった。
「そうですか」
「ああ」
「芹沢隊長が、誰にやられたのか、調べられないのですか?」
まっすぐに、向けられた双眸。
近藤が、ただ、受け止めていた。
(そう来たか)
「……。もう、死んでいるのだ。意味があるまい」
「かつての部下の人たちや、興味のある人たちは、調べているようですが?」
清河たちの姿を、容易く、思い浮かべていた。
必死に、彼らが、調べていることは把握していたのだ。
芹沢が亡くなった直後は、どの組織も、懸命に調べていたが、このところ、下火になっており、少しだけ、落ち着きが見え始めていたのである。
けれど、諦めず、熱心に調べている者も、それなりに存在していた。
そうした中で、近藤は、自ら動かず、頼れる土方に、任せていたのだった。
調べていた土方も、今は、調査をやめ、別な仕事に重心を置いていたのである。
「……そのようだな。沖田も、調べているのか?」
そっけない口調。
だが、近藤の眼光は、朗らかに、微笑んでいる沖田を捉えている。
互いに、腹の底は読ませない。
確実に、沖田が、探っていることは察していた。
芹沢に可愛がられていた沖田が、探らないと、思っていなかったのだ。
「少しだけ。でも、見つけられません」
(……ホントに、少しだけなのか?)
「そうか」
「はい。もう少し、念入りに調べれば、何かわかるかも、しれませんけど。地方に出かけて、疲れてしまったので……」
苦笑している沖田だった。
(疲れている? そんなことは、あるまい。お前のことだ、精力的に動くはず……。何か、他のことを、調べているのか? それは、何だ?……。話すことは……、しないだろうな)
「そうか」
「だから、他に、任せることにしたんです」
瞬時に、ケロッとしている沖田。
「……そうか」
「はい」
終始、近藤の顔が、動くことがない。
それに対し、沖田の表情は、軽やかに、動いていたのである。
「近藤隊長。亡くなる前と後では、芹沢隊長に対する思いは、違っているのですか?」
唐突な質問。
顔が、動きそうになった。
だが、懸命に堪えている。
悟られる訳にはいかない。
「……今でも、変わらない。尊敬できる人だ」
「そうですか」
「ああ」
まっすぐに巡らされる、近藤の眼光。
「地方が、荒れているって、言っていたが、沖田は、どうなると思っている?」
近藤の問いかけ。
やや首を傾げ、沖田が、考え込んでいる。
食い入るように、見つめている近藤だ。
地方の出と言うこともあり、地方の現状に、憂いでいたのである。
「そうですね……。この分だと、地方にある街や村は、なくなる速度が、速くなるでしょうね。今も、消滅している街や村があるのに」
毎年、地図から、街や村が、消えていっている状況だった。
消滅している街や村は、完全に、無人になっている訳ではない。
人や半妖が、住んでいたのだ。
ただ、街や村として、機能していないだけで。
都や外事軍から、見捨てられていたのである。
「……そうした街や村を、見てきたのか」
「少しだけ」
首を竦めている沖田だ。
すべてを、見てきた訳ではない。
ほんの少し、見て、かかわって来ただけだった。
そして、そのことを、沖田も話さない。
「酷いのか?」
「外事軍がいるのと、いないのでは、圧倒的に、食べ物の量が違いますからね」
「……」
近藤の身体が、強張っている。
近藤自身も、経験したことで、非常に、苦しい状況だった。
「外事軍がいても、外に出て、命がけの狩りをし、凌いでいるのは、変わりないですが、その危険度が、違いますからね。ま、どうにか、生きている状況です。ただ、どこまで続けられるかが、問題ですが」
何でもないような表情だが、口調は、少しだけ、怒気が孕んでいた。
「……」
責められているような気分を、近藤が味わっている。
「都の人は、とても、のん気ですよね。地方が、そうした状況に、堕ちているって、知らないんですから。外事軍は、把握しているようですが。上の方は、どこまで、現状を理解しているんでしょうか」
「……」
「ま、他人事なんでしょうね」
「……」
「現状を、理解してない人たちが、好き勝手に、命令しているから、ある意味、怖いですね」
「……」
「どう思います? 近藤隊長は」
フリーズしている近藤。
そして、何も、答えられない。
口角を上げている沖田の表情が、とても、恐ろしく、感じ始めている。
(……どうして、平然としていられる? いや、笑っていられるんだ?)
自分以上に、地方のことに詳しいのに、平然と、都で暮らしている沖田のことが、ますます、理解できないでいたのだ。
黙っている近藤を、気にすることなく、突然、沖田が立ち上がった。
「休憩時間が、過ぎってしまったので、仕事に戻ります。失礼します、近藤隊長」
言葉を残し、沖田が、近藤の前から、姿を消したのだ。
しばらくしてから、強張っていた力が抜けていく。
ホッと、息をつく近藤だった。
けれど、言葉を発することが、まだ、できない。
その場から、動けなかった。
結局、仕事にいってしまった沖田と、近藤が、その日、顔を合わすことがなかったのである。
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