第169話
地方から、一時帰省をしている外事軍。
密かに、花街に、訪れていたのである。
それも、外事軍の本部や実家に、帰らずにだ。
秘密裏に、都に帰ってきていることは、外事軍も、他の軍も、把握はしているが、あえて、指摘はしていない。
第一線で、戦っている彼らに、見て見ぬ振りをするのが、日常化していたのである。
土方の馴染みである花穂が、廊下を歩いていた。
立ち振舞いに、見惚れるほどだ。
花街では、昼間と、見間違うほどの灯りで、大通りが照らされ、華やかで賑わっていたのだった。
ただ、一本、裏道に入り込めば、その雰囲気は、がらりと、変わっていた。
普段よりも、花穂は、化粧を厚めにしている。
このところ、顔色が、悪かったせいだ。
気分が優れなくても、仕事は、しなくてはならない。
可愛がっている小梅が亡くなり、塞ぎ込んでいたが、客の前では、笑顔を覗かせていた。
芹沢たちが亡くなっても、花街の賑わいが、なくなることがない。
いつものように、花街にある御茶屋などは、何かと、騒々しかった。
ふと、足を止める。
庭を挟んだ、向かい側で、ひと際、大きな声が響き渡っていた。
騒がしい声と、芹沢たちのお座敷を、重ね合わせている。
「何で……」
沈んだ顔を窺わせる花穂が、か細く呟いていた。
芹沢たちの事件後、原因究明が進んでいないことに憂い、土方に、誰に、小梅たちは殺されたのか、突き止めてほしいと、懇願したが、土方の返答は、芳しくないものだった。
そうした土方の反応でも、彼の仕事を、断ることもできない。
鬱屈とする日々を、送っていたのだ。
小さく、嘆息を吐いていた。
ここには、芹沢たちの事件前と、変わらない日常が、続いている。
ただ、芹沢たちや小梅が、いないだけで。
今日も、人気が高い花穂は、いくつかの座敷に、呼ばれていた。
足が縫い止められたように、動かない。
「小梅……」
不意に、小梅の笑顔を、浮かべてしまっていた。
もう、ここにはいない。
クシャッと、顔が歪みそうになる。
「花穂じゃないか?」
声をかけられるまで、背後に人の気配を感じていなかった。
振り向き、先ほどの憂いを帯びた表情ではない。
あるのは、艶のある笑みだ。
「……渡辺様。お久しぶりです」
見事な所作で、花穂が、挨拶していた。
渡辺と言う男は、ラフな格好をしているが、地方にいっているはずの外事軍だった。
任務で、地方にいっているはずなのに、息抜きをするため、たびたび、都に戻っていたのである。
そして、実家に帰らず、花街に、顔を出していたのだ。
「久しぶりだな。花穂、少し、痩せたか?」
窺うような、渡辺の眼差し。
射抜かれそうになり、グッと、腹に力を込めている。
渡辺は都出身で、実家は、徳川宗家に仕える家臣の一つだった。
彼自身、四男と言うこともあり、後を継ぐ人間でなければ、スペアでもなかった。
そのため、外事軍に入り、地方を転々とし、三十半ばと言う年齢でありながら、未だに、都には、戻っていない。
都に戻ってきても、実家では、厄介者の立場だったからだ。
「このところ、窃盗団が出ておりますので、何かと、心配で……」
不安げに、顔を伏せていた。
「そうか。そういえば、窃盗団が、都の中を、荒らしていたんだったな」
「はい。向こうの方は、どうなっているんですか?」
「窃盗団は、日常茶飯事だからな」
軽く、笑っている渡辺だ。
亡くなった小梅を、思い出していたことを、一切、感じさせない。
「そうですか」
「ああ」
「何かと、危険なんですね。荒れているとも、耳にしていますし」
僅かに、花穂が、顔を曇らせている。
「それなりにな」
「お身体を、気をつけてくださいね」
「ああ。そういえば、深泉組の芹沢が、死んだようだな」
花穂の身体が、フリーズしていた。
その姿に、渡辺は、気にも掛けない。
「……。渡辺様のお耳にも、入っていらっしゃるんですか?」
「まぁな。まだ、誰に襲われたのも、わかっていないようだな」
微笑んでいる花穂に、注がれる渡辺の眼光。
注がれている花穂も、そらそうともしない。
しっかりと、受け止めていたのである。
「そのようです」
「あれは、相当、恨みを買っていたからな」
「……渡辺様は、芹沢様のことを、ご存知だったのですか?」
「花街で、何回か、見かけた程度だ」
「……」
「いろいろと有名人だからな」
笑っている渡辺だった。
(ホントに? あの目は、探っている目だったけど……。もしかして、芹沢様は、渡辺様か、或いは、渡辺様の近くにも、出没していたのかしら?)
思考を読まれないように、花穂の方も、注意を怠らない。
「そうですね」
「それに、噂も、こちら側にも、流れていたし、軍が違うのに、こちらも、相当、脅された者もいるらしい……。聞いていないか? そんな話を」
僅かに、嘲笑しているような、渡辺の顔だ。
「芹沢様は、幅広い方でしたから」
困ったような顔を覗かせていた。
「そうだな。芹沢が死んで、多くの者が、喜んでいような」
「どうでしょうか?」
「一体、誰が、芹沢たちを、襲わせたのだろうな? 噂程度でもいいから、何か入っていないのか?」
さらに、窺うような眼差し。
(どこも、かしこも、芹沢様たちの情報を、欲しているようね)
「さぁ。私のところには」
首を傾げてみせた。
花穂自身、喉から手が出るほど、欲している情報でもあったのだ。
けれど、噂が、いろいろと流れているだけで、真実かどうかは、わからないものばかりだった。
「そうか」
残念そうな形相を、渡辺が、滲ませていた。
「渡辺様は、随分と、ご興味が、あるみたいですね」
「それなりに、興味はあるだろう。都中に轟かせ、ふてぶてしく振舞っていた男が、死んだと、なれば」
口の端を上げている。
「……」
「この手の話は、何かと、皆を楽しませることが、できるだろうしな」
「……」
「花穂は、興味がないのか?」
「いいえ。勿論、ございます。私としても、一体、誰にやられたのかと」
「そうだろう」
したり顔の渡辺だ。
「はい」
「ところで、私の座敷に、顔を出せ」
「他の座敷に、呼ばれていますので」
いくつか声をかけられ、そこへ、顔を出すことになっていた。
ただ、気乗りしないので、未だに、顔を出していない。
「いいではないか」
「渡辺様……」
強引に、花穂を自分の座敷に、連れて行く渡辺だった。
渡辺たちの座敷では、地方から戻ってきた外事軍たちが、女と共に、騒いでいたのである。
花街で、人気の高い花穂が、部屋に入ってきた途端、外事軍たちが、色めき立つ。
すでに、大量の酒を煽っているようで、多くの者たちが、でき上がっている状態だった。
やれやれと、首を竦めている花穂だ。
酔っている相手をするのは、骨が折れたのである。
「随分と、飲まれましたね」
賑わっている中に、手馴れたように、華やかな花穂が入っていく。
芹沢たちのように、豪勢な席に、なっていた。
(一体、どこから、こんな大金が?)
にこやかに、男たちの相手をしていく。
別な座席に呼ばれている花穂が入ってきて、仲間たちは、微かに、怪訝そうになるが、表に表れることはない。
空いている女が、客たちに気づかれないように、外に出て行く。
渡辺によって、こちらの座敷に来ていることを、知らせるためだ。
迎えの声が掛かるまで、渡辺たちの座席の相手をするかと、にこやかな笑顔の裏で、意気込んでいたのだった。
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