第152話
ピリピリとしている、深泉組の待機部屋。
部屋には、土方も、沖田も、いない。
それにもかかわらず、部屋の中は、緊張が張りつめていたのである。
事務である伊達たちが、イライラ感を、撒き散らしていたからだ。
彼女たちは、きちんと、仕事をしていたが、周囲に、重苦しい空気を拡散していたのだった。
そうした状況に陥っても、原田たちは変わらない。
部屋で、酒を飲んでいた。
だが、その声は、若干、小さかった。
こちらに、とばっちりが飛ばないように、注意だけは払っていたのだ。
「居心地が悪いな、随分と」
何度も、伊達が、間違ったところを、やり直している光景を、眺めている原田。
なぜか、同じ箇所を、間違っているらしく、何か、お願いしたい書類がある、三浦や千葉が、伊達たちの近くで、声も掛けられず、あたふたとしていた。
誰一人として、助ける者もいない。
素知らぬ振りを、通していたのだ。
その光景をつまみに、原田たちが、先ほどから、酒を飲み明かしていたのである。
「三人とも、険があるのは、珍しいな」
蚊帳の外を、決め込んでいる島田だ。
こういう状況に陥ってからは、決して、島田自身から、事務の三人組に、話しかけることをしなかったのだった。
面白い状況を、ただ、観戦していただけだ。
ただ、原田たちは、何度が、事務の三人組から、返り討ちにあっていた。
そのたび、バカだなと言う眼差しを、島田が注いでいたのである。
「沖田が、ケガをしたからな」
冷めた眼差しを、永倉が、巡らせていた。
仕事上、ケガは、つき物なので、見られている光景でもあった。
なのに、伊達たちは、過剰なまでの反応を、示していたのだ。
そして、その影響が、警邏軍や庶民の間でも、広まっていたのである。
「最近、沖田さんのケガの具合は、どうですかって、街の人たちから、よく、聞かれますよ」
「私もだ」
井上の吐露に、島田も、賛同していた。
見知った知り合いや、深泉組の制服を着て、街の中を歩いているだけで、一般の庶民から、沖田のケガの具合を、尋ねられることが、日増しに、多くなってきたのである。
そうした声に、原田たちは、無視したりしていた。
けれど、何事も、真面目な井上は、律儀に、その一つ一つに、答えていったのだった。
「今までは、深泉組ってだけで、敬遠されていたのに」
「凄い変わりようだよな」
「はい」
「いつまで、続くんだ?」
原田の問いかけに、誰も、答えることができない。
全然、予測ができないからだ。
沈静化するどころか、徐々に、大きな反響となっていた。
原田たちが、話している間にも、いつの間にか、事務三人組のターゲットに、三浦や千葉がされたようで、がっくりとうな垂れている様子が窺えたのだった。
三浦と千葉は、事務三人組の口攻撃を、ひたすら、受けていたのである。
(((((悲惨だな)))))
「副隊長殿が、謝れば、収まるんじゃないのか?」
何気ない、原田の呟きだ。
「バカ。副隊長殿が、頭を下げる訳がないじゃないか?」
呆れた顔をし、永倉が、突っ込んだのだった。
「無理ですよ。サノさん」
井上も、永倉に同意見だ。
「そうだな、サノ」
口にしながら、島田が、上手そうに酒を嗜む。
「でも、それが、手っ取り早いだろう」
一人で、静かに酒を飲んでいた藤堂が、口を開く。
「どんなに、足掻いても、そんなことは、起こらない」
「……いい案だと、思ったんだけどな……」
「とにかく、静かに、待っていることだな」
自分には、関係ないことだと言う顔を、滲ませている永倉が、口に出していた。
「それしか、ないですかね……」
眉を潜めている井上。
「ないな」
あっけない島田だった。
原田たちが、くだらない話をしている間、眉間にしわを寄せながら、自分の仕事を片付けた山南が、斉藤班の安富に、声をかけてきたのだった。
「斉藤は、外なのか?」
困ったような顔を、覗かせている安富だ。
近くで、事務処理を行っていた牧や保科も、同じような顔を滲ませていた。
斉藤班では、尽きない事務処理を、行っていたのだった。
牧や保科同様に、安富も、事務作業に、没頭していたのである。
そこへ、山南に、声をかけられたのだった。
「……すみません。朝から、見かけておりません。何か、用事ですか?」
安富の回答を耳にし、軽く、山南が息を吐く。
「……話をしたいことがある。伝言を頼めるか?」
「わかりました。会い次第、伝えます」
用事を済ませたはずなのに、山南は、いっこうに、自分の席に帰ろうとしない。
安富の前に、立ち尽くしていたのである。
牧や保科は、怪訝そうな顔を注いでいた。
「そうしてくれ。ところで、この騒ぎを、どうするつもりなんだ? 斉藤班では?」
「そう、言われましても……」
この件に関しては、土方と沖田の問題であり、かかわりないと抱く三人だった。
けれど、山南が頑として、譲らない仕草を、見せていたのである。
「同じ班なのだから、どうにか、するべきだろう?」
この件の、顛末の処理を言われても、どうしようもないと、牧と保科が抱いていた。
「は……」
言葉を濁している安富。
次第に、山南が、目を細めていく。
「安富さんも、沖田さんに、一応、言いましたよ」
ギロリと、山南の双眸が、声の主である保科を捉えていた。
注がれた保科がフリーズし、動けない。
やれやれと、牧が、首を竦めていた。
「何があったのか、知らないが、沖田の方も、腹に据えかねているようだぞ」
牧たちも、ただ見ていた訳ではない。
それなりに、探りは入れていたのである。
ただ、沖田が、のらりくらりと、交わしているだけで。
「……」
「そういう状況ですので、私たちには、どうすることも、できません」
「……で、元凶である沖田は、どうしている? 姿を、見かけていないが?」
朝に見かけただけで、その後は、見かけていなかったのだ。
「休みを取って、実家がある地方に、帰るそうです」
安富が答えていた。
徐々に、渋面になっていく山南。
内心で、三人は、同時に嘆息を漏らしている。
ただ、表面には出ていない。
「こんな時にか?」
「はい」
「この状況で、帰すなんて」
「休みなく、働いていたので、大きい休みをいただいて、地方で、一人暮らしをしている父親の様子を、見て来たいと言われたので、許しました。問題は、ないはずです」
他の組からも、手伝いの依頼も、見回りの仕事もない状況だった。
何もないので、待機部屋で待機しつつ、訓練期間に入っていたのだ。
長期間休んでも、腕に自信のある沖田には、何も問題がなかった。
それに、二つの隊も、機能していない状況なので、他の組からの仕事の応援が、来なかったと言うもの、最大の理由の一つだった。
「だが、こんな状況だぞ」
芹沢隊や新見隊の存続が、危ぶまれていたのである。
そして、深泉組も、消滅するのではないかと、警邏軍の中で、飛び交っていたのだ。
末端の者たちは知らないが、沖田が、深泉組を希望したこともあり、消滅させるのは、どうかと言う意見も、あったのは事実だった。
「わかっています。でも、私たちには、どうすることも、できません」
「諌めることは、必要だったはずだ」
「基本、沖田は、従いますが、これと、思ったことに関しては、一切、引くことがありません。沖田の中には、確固たる意志が、存在しています。それを曲げることは、我々には、到底、無理なことです」
「……」
顰めっ面の山南に対し、安富は、一歩も引かない。
お互いに、譲る気がなかった。
牧や保科が、顔を引きつらせながら、両者の顔を窺っている。
山南が意見することが、度々あるので、他の者たちは、気にも止めない。
各々、好き勝手にしていたのだった。
(どいつも、こいつも……)
これ見よがしに、山南が、盛大な嘆息を零していた。
「わかった。斉藤に言付けを頼む。そして、沖田にも、帰ってきたら、話があると伝えてくれ」
「わかりました」
安富との話が終わり、山南が戻っていった。
そして、安富も、止まっていた手を、動き始めたのである。
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