第149話
密かに、土方から呼び出され、警邏軍の屋上に、沖田が足を運んでいた。
地上では、柔らかい風が吹いていた。
だが、地上よりも、やや強い風が、屋上に吹いていたのである。
屋上に出た途端、後ろで一つにまとめている髪が、激しく靡いていたのだった。
無造作に動き回る髪にも、気にしない。
好きに、させていたのだ。
呼び出した土方は、すでに、待っていたのである。
長い白い上着の裾が、棚引いていた。
誰よりも、馴染みのある気配で、来たことを把握しても、土方は、振り向くことをしない。
まっすぐに、広がる街並みを、眺めているだけだった。
勿論、屋上には、沖田と土方しかいない。
小さな笑みが、隠しきれない沖田である。
(うわっ。凄い、背中だけで、あんな威圧感、出しちゃって)
沖田の思考を呼んだかのように、負のオーラを、さらに放出していた。
イライラしている土方の姿。
ひたすら、面白がっていたのである。
「いいの? そんなに呼び出して? 知られたくないんじゃないの?」
にこやかに、沖田が軽口を叩いていた。
近藤との現場を見終わり、深泉組の隊員の存在も、気にすることなく、待機部屋に戻ってきた土方。
平然と、毛利たちと、談笑していた沖田を睨み、顔を貸せと、無言の圧力を掛けてきたのだった。
ただ、ここに来る前に、いくつかの段取りだけは、済ませていた。
弟沖田との関係を、知られたくないこともあり、これまで、極力、接触を図ることは、避けようとしていたのだ。
だが、本人は、気づいていなかったが、何かあるごとに、土方は、何かとやらかす沖田と、それなりに接触していたのである。
沖田は気づいていたが、面白かったので、指摘することがなかった。
ようやく、ブスッとした表情の土方が、振り向く。
笑顔を覗かせている沖田を、捉えていたのだ。
微かに、土方のこめかみが、ピクッと、動いていた。
(そんなに怒っていると、早死にするのに)
「呼び出した理由に、見当がつかないのか?」
目を細め、冷え冷えとした眼差しを注いでいた。
注がれている当人は、萎縮も、怯えることもない。
ただ、飄々と、受け止めている。
「つきません。あり過ぎて」
「……」
茶化すような、沖田の振舞い。
険しい形相の土方は、動じることもない。
しっかりと、見据えていたのである。
何も、見逃さないと言う気迫だけは、漂っていた。
「何のことでしょうか?」
ニッコリと、微笑む沖田。
惚けている沖田に、土方が、無意識に、下唇を噛み締めている。
「……ソージ」
深泉組の隊員のほとんどが、気圧される威力を持っていた。
けれど、沖田の表情は崩れない。
互いに、黙ったまま、見つめ合っている。
一歩も、譲らない要素を、見せていたのだった。
風だけが、吹き抜けていく。
乱れている髪も、制服の裾も、気にしない。
(何がしたいんだ? ソージは)
しばらく、見つめ合った土方が、長い息を吐いた。
このまま続けても、時間のロスだと、巡らせていたのだった。
「……今朝の件だ」
「毛利さんから、聞いたよ。大量の血があるのに、遺体がないんだって? それも、複数の場所で」
双眸をそらさず、沖田の顔色を窺っている。
射抜くようにだ。
睨まれる形でも、変化は訪れない。
(ダメだよ、それじゃ)
「複数の場所で、大掛かりな戦闘があったって、言うことだよね」
読み取ることが、一切、できなかった。
僅かに、土方が、顔を歪ませていた。
複数の現場を見て、弟の沖田の仕業ではないかと、疑念が膨らんでいたのである。
そのことを確かめるため、二人だけで、接触を図ったのだ。
そして、僅かだった疑念が、確信へと、舵を切っていたのである。
(何を考えているんだ? ソージは)
幼い頃より、沖田は人に対し、気持ちを、読み取らせない能力に、長けていたのだった。
そうした面が、見受けられる弟を心配で、何かと、気遣っていたのである。
しかし、沖田も、心配する兄を、煙に撒くことが多かった。
「……お前の仕業だな?」
「僕じゃないよ」
ケロッとして、悪びれる様子もない。
じっと、窺っている土方だ。
表情が変わらず、微笑んだままだった。
断言はできない。
だが、五割の予測で、この仕業は、沖田がしたものではないかと、巡らせていたのである。
確たる証拠は、なかったのだ。
ただ、勘で、沖田ではないかと。
「……誰を、狙っていた」
「僕じゃないよ」
「嘘をつけ」
「本当だよ」
「信じられない」
「しょうがないな」
沖田が、やれやれと、肩を竦めている。
険しい表情が、解かれることがない土方だ。
「何のために、こんな騒ぎを、起こした?」
シラを切るばかりで、答えることもしない。
「本当に、知らないって」
困った顔を、覗かせていた。
じっと、土方が見据えている。
「どうして、僕だって、思うの?」
「……複数の場所で、戦闘が行われていた。偽装は、施されていたが、確実に、一人の人物が、複数相手にしていたことは、容易に、把握できた。そして、偽装が、雑過ぎる。普段が、雑なソージに、そっくりだ。最後に、一つの場所は、相当な相手と対戦したことも、現場の少ない証拠からも、推測できた」
微笑んだままの沖田に、注がれる眼光。
二人の距離は、当初のままで、開かない。
何度も、話しながらも、土方が、圧を送っていたのである。
緊迫とした空気が、二人の間を、行き来していた。
まるで、龍と虎が睨み合って、対峙しているかのようだ。
「……俺の勘が、お前じゃないかと、指し示している」
「勘で、犯人にしないでよ、兄さん」
一ミリも、沖田の笑みが崩れない。
表情が揺れることも、心拍数が、乱れることもなかった。
内心では、自分の弟ながら、舌を巻いていたのである。
けれど、土方も、そうした気持ちを、億尾にも見せない。
追及の手を、休めることを、しなかったのだった。
「じゃ、どこで、何をしていた」
「仕事が終わって、家にいたけど」
眉間にしわを寄せている土方に、沖田は首を傾げ、双眸を注いでいた。
場に似つかない、愛嬌のある顔を、振りまいていたのだ。
そうした仕草にも、土方は、努めて冷静に、振舞っていたのである。
「証明は?」
「僕を、見張っている人たち?」
「当てにならない。お前だったら、気づかれないように、抜け出す芸当ぐらい、できるだろう?」
「そうだけど」
抜け出すことが、できることを、あっけなく認めた。
「だったら、証明できないだろう」
「どうすれば、証明できるの?」
「……」
もっともなことを言われ、ギリッと、土方が歯噛みしている。
悔しげな表情だ。
クスッと、沖田が、笑みを零していた。
「兄さん、僕のこと、ずっと、見張っている? それとも、信頼する部下に、見張らせる? 無理だと思うよ、そんなこと。信頼する部下に、見張って貰うにしても、必要とあらば、きっと、僕は、抜け出すし、下手したら、目障りだと思ったら、斬っちゃうかもよ」
してやったりの顔を、沖田が、滲ませていた。
ぐうの音も出ない土方。
沖田が示すように、無理だと判断し、深く、沖田を見張るようには、指示していなかった。
少ない部下を、減らす真似は、したくなかったのだ。
それに、自分自身が、沖田に、張り付くことができなかった。
ますます、苦虫を潰した顔を、滲ませている。
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