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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第6章 双龍 前編
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第148話

 明け方の時間帯に、坂本が、勤皇一派のアジトに、戻ってくる。

 足取りは、覚束ない。

 フラフラし、あちらこちらに、ぶつかっている。


 周囲には、誰もいなかった。

 多くの者が、眠っていたのだ。

 起きている人間がいても、仕事に、追われていたのである。

 仕事に追われ、気づかなかったのだった。


 警備している者が、酔っている坂本を発見し、身体を支えようとしていたが、坂本自身が、断っていたのである。

 だから、一人で、アジト内を、よたよたと歩いていた。

 何軒も、酒場を巡り、たらふく、酒を飲み干していたのである。

 店の者に、注意を受けるほどだ。


 廊下を歩いている坂本を、渋面になっている沢村が、出迎えていた。

 沢村の耳にも、坂本の様子は、報告が上がっていたのだった。

 こちらに、帰ってきている報告を受け、沢村が、ここで、待機していたのである。


「大丈夫ですか? 坂本さん」

「沢村か」

 フラフラしながら、伏せ気味だった顔を上げた。

 その拍子に、足下が、ふらつく。

 倒れそうになる坂本。

 駆け寄って、沢村が、坂本の身体を、支えている。


「ありがとうな」

「飲み過ぎです」

 若干、眉間にしわを寄せつつ、沢村が窘めていた。

 乾いた笑いが、坂本から、漏れている。


 坂本自身も、かなりの量を飲んでいると、自覚していたのだった。

 それでもなお、飲むことを、やめられなかった。

 痛々しい姿に、沢村の表情が、微かに、歪んでいた。


「飲んでも、酔えない……」

「……酔っていますよ」

「いや。酔えない」

「……」


「いっこうに、いやな記憶が、消えない」

 坂本が、今の気持ちを吐露していた。

 周りが止めるほど、煽るように、酒を浴びていたのである。

 それでも、坂本の記憶が、消えることがない。


 鮮明に、武市が引き起こしただろう、中村の件が、残っていたのだ。

 その件を忘れるため、酒を飲み続けていたのだった。

 だが、決して、一時も、消えることがなかったのである。


「……」

「どうしたら、いいんだろうな、沢村」

「……」

 珍しく、弱音を吐く坂本だ。

 そうした姿に、沢村が、何もできない自分に、もどかしさが募っていく。


(坂本さん……)


「どうしたら、記憶が消える?」

 弱々しい坂本の双眸に、沢村の困ったような顔が、映り込んでいた。

 その姿に、自嘲気味な笑みを、沢村が漏らしている。

「……わかりません」

「……そうか」


「でも、いつもの、坂本さんらしく、ありません」

「……」

「武市さんの愚痴を零し、そして、悶々としても、その後は、仕事に邁進していました。けど、今の坂本さんの姿は……」

「俺らしくないか?」

「はい」

 強く、沢村が、断言してみせた。


(情けないな……)


「仕事を、一切しない、ただ、酒を、止め処なく飲んで、それでも、酒を飲むこともやめない。店の者に、止められたなら、次の店に移動し、同じことを繰り返す。坂本さんらしくありません。仕事に戻ってください」

 懇願するような、沢村の眼差し。

 小さく息を吐く、坂本だった。

 何度も断られ、行くところがなくなり、とうとう、勤皇一派のアジトに、戻ってくる経緯があったのだった。


「俺が、いなくっても、西郷さ……」

「西郷さんたちは、いつも以上に、頑張っていますよ。寝る暇を惜しんで」

 アジト内が、いつも以上に、慌しい様子が、容易に、想像できたのだった。

 そうした現状を、見たくなかったこともあり、外に、出払っていたのである。


 親戚で、頼りになる兄貴として尊敬していた武市だった。

 何度も、暖かく懐かしい光景が、浮かび上がっていたのだ。

 関係ないと言いつつも、誰よりも、行き急ごうとしている武市を、坂本なりに心配していた。

 切り捨てたと、言い放っていても、切り捨てることが、簡単に、できなかったのである。


「そうか」

「坂本さん。仕事してください」

「……」

「西郷さんたちだけでは、ざわついている現状を、収めることができません。坂本さんにしか、できないことがあります。だから、お願いです、仕事に戻ってきてください」


 西郷たちが、ざわつくアジト内を、懸命に、押さえ込んでいた。

 だが、それは、表面上のことでしかない。

 奥底では、大丈夫なのかと、疑心暗鬼になる者が、続出していたのだった。

 そうした状況に憂いつつ、沢村は、いつ、坂本が戻ってきても、仕事ができるように、仕事を進めていたのである。


「……俺には」

「ここを、辞めるつもりですか?」

 確信を突く、沢村の一言。

 揺れ動く、坂本の瞳だ。


 今回の件を聞き、勤皇一派を、やめようとかと、抱いていたのである。

 踏ん切りも、つけることもできず、自分の弱さに嫌気がさし、酒に溺れていたのだった。

「……」


「許しません。決して、ここを、やめることを、僕は、許しません」

 揺るぎない眼差しが、彷徨う坂本に、注がれている。

「許しませんよ、坂本さん」

「酷いやつだな」

 坂本の表情から、苦笑が、浮かんでいる。


「酷いのは、坂本さんです」

「僕たちは、坂本さんだからこそ、ついていっているんです。そうした僕たちを、放り出して、一人で、逃げるつもりですか?」

 真剣な沢村の表情。

「僕は、絶対に、坂本さんを、やめさせません」


「……酔っている状態で、仕事を、させるつもりなのか?」

 小さく笑っている、坂本だった。

 強張っていた沢村の身体が、辛うじて緩んでいた。

「……では、少し、酔いが覚めてから、仕事してください」

「しょうがないな」


「言っておきますが、随分と、溜まっていますから、ちゃんと、仕事してくださいね」

 容赦のない、沢村の言葉。

 実際に、多くの坂本の仕事を、肩代わりしていたが、それでも、多くの仕事が、溜まっていたのである。

 弱っているだろう坂本を、無理やり、連れ戻すことをしなかった。

 少しでもいいから、時間を与えたかったのだった。


「わかったよ」

 足下が、覚束ない坂本を支えながら、身体を休めるところがある部屋まで、沢村が、連れ添って歩いていくのだった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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