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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第6章 双龍 前編
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第147話

 突如、西郷が立ち上がり、別室にいた者を、連れてくる。

 連れてきたのは、まだ、十歳の男の子だった。


 大久保が、田中を呼びにいっている間、急遽、男の子を、勤皇一派のアジトに、連れてきたのである。そして、別室に、またしている間に、仕事を片づけていたのだ。

 別室に、誰かいたことは、部屋に入る前から、田中は気づいていた。

 だが、さほど、気に留めていなかったのである。

 怪訝そうな面持ちを、滲ませている田中だった。


(子供? ……育ってるにしても、時間が掛かるし……、ものになるのか?)


 田中の視線は、西郷が、連れてきた男の子に、釘付けだ。

 見つめられているにもかかわらず、男の子は、狼狽えることがない。

 ただ、大久保と田中を、眺めていた。


 全然、怯える様子もない。

 普通だったら、怯えるか、泣き出してもおかしくなかった。

 無心に、自分の顔を、向けていたのだ。


「中村の子だ」

「……」

 瞠目する田中だ。


 西郷が、連れてきた生気のない男の子を、凝視している。

 言われてみれば、どこか、中村に、似ていたのだ。

 男の子は、ずっと、西郷の脇に、立ったままで、びくともしない。

 ただ、虚ろな目で、立ち尽くしていたのだった。


 田中が、圧をあけているにもかかわらず、男の子は、気圧されることもない。

 その場に、立っているだけだ。


(……わかっているのか? この子は)


 興味が、押さえられない。

 食い入るように、田中が、男の子を眺めている。


 集まる視線。

 男の子は、嫌がる素振りも見せない。

 静かに、立っている。


「どうして? 西郷さんが、中村の子を?」

「これには、いろいろと、話が、込み合っていてな」

 渋い顔を、西郷が、覗かせていた。

 ここに来て、初めて、顔を歪ませたのだ。


 心を落ち着かせるため、西郷は、息を吐いていた。

 徐に、連れてきた男の子を、西郷が、見つめている。

 大きな手で、男の子の頭を、撫でていた。

 撫でられている男の子は、嫌がることもなく、されるがままだった。

 二人の間には、信頼関係が、でき上がっていたのである。


「これの母親は、中村に、遊ばれた女だ」

「……」

 享楽好きな中村の顔が、田中の頭に、掠めていた。

 そうした女が、幾人もいることを、知っていたのである。

 田中も、眉間にしわが、でき上がっていたのだ。


(あいつは……)


 何度か、諌めたことがあった。

 けれど、直ることがなかったのである。


「遊ばれた挙句、捨てられ、できた子を、悩んだ末、産んだ」

「……」

「産んだ女は、この子を産んで、すぐに亡くなり、この子を育てたのが、娘の母親だったのだが……、これが……。娘を、めちゃくちゃにしたのは、中村だと憎み、この子を、名前もつけずに育てた」

 男の子は、祖母から、虐待を受け育ち、その親子の知り合いが、男の子の身の上を心配し、西郷に相談して、数年前から、西郷が、男の子の面倒を、見ていたことを打ち明けたのだった。


 自分の身の上をはずなのに、男の子の顔色が、変わらない。

 他人事のような形相を、窺わせていたのだった。


 男の子は、虐待を受けていたせいもあり、感情が乏しかったのである。

 そのこともあり、西郷は、ギリギリまで、この子を、表に出すことを、渋っていたのだった。

 もう少し、時間を掛けてから、田中に任せようとしていたのだった。

 だが、突如、中村が死んでしまい、人材も不足し、適任も見つからない状況では、原石でもある男の子の存在は大きく、いち早く、一人前の使い手として育って欲しかった。


 渋面した表情で、大久保が、男の子を捉えている。

 大久保も、大まかなことは、西郷から聞き、そして、男の子の面倒を見ることに、反対していた。

 けれど、大久保の反対を押し切って、密かに、男の子の面倒を、見てきたのだった。


「ハンジ」

 声を掛けられ、男の子が、西郷に顔を向けた。

「ハンジ?」

 名前がないと聞いていたのに、西郷が、名前をつけたのかと、巡らせている田中。


「違う。私が、つけた訳ではない。この子の祖母が、お前の血の中にある中村釆治郎が、母親を、殺したんだと、言い続けていたこともあり、この子は、自分が、中村釆治郎だと、思い込んでいるんだ。何度、違うって言っても、理解して貰えないんで、ハンジと、呼んでいる」

 何とも言えない顔を、西郷が、浮かべていたのである。

「「……」」

 絶句している二人。


 西郷を、見上げているハンジを、二人して、窺っていた。

 そこまでの事情を、大久保自身も、知らなかったのだ。


 優しい眼差しを、ハンジに、注いでいる西郷。

 それに応える形で、ハンジも、僅かに、笑っている。


 西郷の脳裏には、初めて見た際の、ハンジの姿が、掠めていた。

 髪は、ボサボサの伸び放題で、肌も赤黒く、ガリガリに、痩せた子供だった。

 今は、伸び放題だった髪を短く切り、あざや傷だらけだった肌も治り、体重も、同年代の子供ぐらいに、増えていたのである。

 最初あった際、ハンジは、みすぼらしい上、やせ細った容姿をしていたのだ。


「ハンジ。もっと、強くなりたいと、言っていたろう?」

「ババ様に、強くなれと、言われた」

 無邪気に、口にしているハンジ。

 大久保と田中は、黙ったままだ。


「そうか。では、そこにいる田中の下で、修行を積むといい」

 促されるように、ハンジが、無表情でいる田中に、眼光を巡らせている。

 その双眸には、何の光も、灯していない。

「わかった」

 田中の顔が、歪んでいた。


(本当に、理解しているのか?)


 全然、ハンジの心を読むことが、叶わなかったのである。

「ただし、定期的に、私のところへ来て、近況を、知らせに来るように」

「わかった」


(私たちを、監視する役目もあるのか。でも、いいだろう。中村の子か……)


 西郷に促され、ハンジが、田中の前に立った。

 虚ろな瞳。

 田中の顔が、映り込んでいる。


「よろしく、お願いします」

「ああ。俺の元へ来ることは、理解しているか?」

「はい。俺を、強くしてくれるんでしょ?」

 やる気があるのか、ないのかと、抱く田中だ。


「勿論だ。だが、強くなれるか、どうかは、お前次第だ」

「わかった」

 ハンジが、田中との話し合いが終わり、見守っていた西郷に、顔を傾けている。


「頑張れ」

 にこやかな表情を、西郷が、滲ませていた。

「わかった」

「楽しみにしているぞ」

「西郷様の、役に立つようになってくる」

「頼もしいな」


 田中は、ハンジを伴って、西郷の部屋から出て行った。

 名残惜しそうな西郷と、大久保が、見送っていたのである。


読んでいただき、ありがとうございます。

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