第135話
本日より、投稿を再開します。
新章に入ります。
月の光が注ぐ、暗闇の中。
月明かりを頼りに、都中を、無数の影が疾走していた。
深夜で、都には、ほぼ、人がいない。
静寂に、包まれている。
辛うじて、いる人間たちも、生きているのか、死んでいるのかも、わからない。
そうした静寂を破る、激しい息遣いだけが、漆黒の世界に響く。
そして、走っている音だけだ。
はぁ、はぁ、はぁ。
もう、何時間も走り続け、足が、疲弊していた。
ずっと、追い回されていたのだった。
全身から、大粒の汗を流している。
着ているものは薄着で、ぐっしょりと、身体に、薄い布が纏わりついていた。
普通の人間の肌とは違うところが、ちらほらと、見え隠れしていたのだ。
人と違う、最大の違いは、ふさふさの耳が、頭についていたのである。そして、ふさふさの尻尾もあった。
走って、都中を逃げているのは、半妖だった。
古い傷から、真新しい傷が、身体のあらゆる場所に、存在している。
都に、連れ込まれ、転々と、移っている際に、逃げ出し、行き場所もなく、都の中を彷徨っていたのだった。
いつの間にか、自分を探している人物に見つかり、その追尾から逃げるため、必死に、走っていたのである。
建物の影を見つけ、逃げ込んだ。
ひと時の休憩を、欲していた。
見つからないように、身体を隠す。
息を抑えようとしても、抑えられない。
鼓動が、激しく、鳴っているのだ。
「……どう……しょう」
フラフラで、ここ数日、まともな食事を取っていない。
雨水や、生えている草などを食べ、忍んでいた。
そうした状況の中で、体力を削りながら、逃げ惑っていたのである。
もう、限界を越えていたのだ。
元気なく、尻尾も、枝垂れている。
走っているのも、やっとの状態だった。
「見つけた」
突然の声に、戦慄が、走り抜けていく。
全然、気配を、感知できなかったのだった。
ニタッと、笑う男の姿を、僅かな月明かりで、捉えることができたのだ。
「……」
「もう、終わりか?」
この数時間の間で、何度も、この男に、見つかっては逃げていた。
そうした状況が続き、ようやく、気づく。
遊ばれていたんだと。
悔しさで、微かに、顔が歪む。
男は、ただ、薄気味悪く、笑っているだけだった。
この男にだけは、捕まってはならないと、抱いていたのだ。
「早く、逃げろ」
「……」
「じゃないと、死ぬぞ? 言っておくが、脅しじゃない。俺は、甘い連中とは違う」
「……」
男の言葉が、本心であると、本能で感じ取っていた。
けれど、指一本でも、動かすことが、億劫になっていたのだ。
(どうしよう……)
逃げているのは、目の前にいる男だけではなかった。
幾人の者から、逃げ回っていたのである。
唇を噛み締め、笑っている男を、半眼することしか、できない。
動こうとはしない半妖に、不満げだ。
「……つまらないな。もっと、楽しめると思ったのに。一人だから、かもしれないな……、外に出れば、半妖は、たくさんいるから、楽しめそうかな」
思案している男の言動に、眉を潜めている。
村にいた、幾人もの半妖の姿が、思い浮かんでいた。
「悔しいか? けどな、弱いお前が、悪いんだ」
悦に、染まっている男。
自分たちの仲間が、嬲られると抱くだけで、胸糞悪くなる。
けれど、もう、余禄が残っていない。
自分には、どうすることも、できなかったのだ。
だが、せめて、何もできなくっても、反抗の意思だけを伝えるため、睨み続けている。
「へぇー。そんな余禄も、あるのか」
嘲る男だ。
踏み出そうとした途端、男と、半妖の間に、一人の男が、割り込んできた。
「そこまで」
ニッコリと、微笑む沖田。
緊迫していた空気が、あっという間に、霧散していく。
男も、半妖も、僅かに、目を丸くしていた。
「……誰だ? お前」
目の前に、沖田が姿を現すまで、男は、沖田の気配に、気づかなかったのだ。
姿を見せるまで、気配を感じ取らせないことは、久しぶりだった。
深く、矜持を傷つけられている。
だが、それ以上に、目の前にいる沖田に、強い興味を抱き始めていた。
「わからない? ショックだな。結構、顔を知られていると、思っていたんだけど?」
コテンと、首を傾げている沖田。
男も、半妖も、まっすぐに、茶目っ気たっぷりな表情を、眼光で捉えている。
深泉組の制服は、着ていない。
ラフな格好の上に、コートを着ていたのだ。
唯一、同じなのは、無造作に、髪を一つに、まとめているところだけだった。
「制服にしようかな。でも、怒られるし……」
空気を読まないで、自分で、自分の格好を窺っている。
食い入るように注ぐ、男の双眸に、光が宿った。
「……沖田か。深泉組の」
「正解です。中村釆治郎さん」
ようやく、理解され、喜んでいる沖田だった。
相対しているのは、狂喜にも似た、笑みを携えている中村である。
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