第14話 小栗指揮官の呼び出し命令
深泉組の三人の隊長は上司小栗指揮官の部屋に呼び出されていた。
部屋には近藤と小栗の姿しかない。
他の隊長である芹沢と新見の姿がなかった。
小栗からの伝言に従わず、享楽に勤しんでいた。
眉間にしわを寄せながら、小栗は自らの腕時計で時間を確かめる。
提示した時刻より、すでに二十分も遅れていた。
「時間通りに来たためしがないな、あの二人は」
「すいません」
同じ立場である近藤が恐縮して頭を下げた。
毎回遅刻か、結局最後まで姿を現わさないかのどちらかだ。
「あいつらの首に縄でもつけとくか」
できもしないことを小栗は口にした。
その顔色は疲労感が滲む。
部屋に近藤が入ってすぐに気づいたのだった。
久しぶりに見た小栗の顔に僅かに翳りがあったことに。
(何かあったか?)
ほとほと意に染まらぬ二人に呆れている小栗。
回転できる椅子を半回転させ、小栗は立っている近藤に背を傾けた。
ただ近藤は口を噤んで、眺めているだけだった。
ゆっくりと立ち上がり、広い窓から外の情景を一望する。
「気持ちとは裏腹に、空は青空だ」
ポツリと抑揚のない声で小栗が呟いた。
チラリと小栗より先にある外へ視線を注ぐ。
息苦しい部屋よりも外は快晴だった。
「……」
「ふざけているな」
「……」
ただひたすらに黙っている近藤に返す言葉がない。
呼び出しの命令を受け、直接二人のところへ出向いて近藤は伝えたのである。それに対して、了承したと返事をした当の二人は顔を出さず、メンツは丸潰れだった。
ひたすらこの静かな状況に耐えていた。
芹沢と新見のことを小栗から常々頼まれていたにもかかわらず、それを成し遂げられずにいる。
目の前に立っている小栗は上層部の人間の一人で、めったに隊長たちと顔を合わすことが少ない。辛うじて二人にものが言える立場にいる近藤ですら、二人の舵取りは非常に難しく、上手く扱えずに肩透かしを何度も食らう羽目になっていたのだ。
「土方に連絡をするように頼んできます」
険しい表情の小栗から必ず顔を出すようにと言われていた。
その表情からも何かあったことは察しがついていた。
そのため遅れないようにと何度も二人に念を押したのだった。
それにもかかわらず、二人は姿を現わさなかった。
片足を下げようとした瞬間、背を向けたままの小栗の口が開く。
「土方では動かん」
微動できない。
(だろうな……)
「勘だけは、いいからな」
(その点についても、同感だ。芹沢さん、妙に勘だけは鋭いからな)
誰も差し向けても、こういう時の二人は決して姿を見せないだろうと冷静に頭を巡らせていた。上司がいる手前、体面を重んじ、連絡をしなければならなく、常に近藤は板挟み状態だった。
一つの嘆息を小栗が零した。
ある意味で小栗も同じような板挟み状態なのだ。
「……あの二人に伝えろ。ここに来なければ、商人から巻き上げている金を回収するぞと言え。そうすれば、遊ぶ軍資金が減るのは困るだろうから、いやいや姿を見せるだろう。そう、土方に伝えろ。……正攻法では無理だ、二人を動かすのはひと苦労だからな」
とっておきの裏技を小栗は繰り出した。
もう次は使えない手でもある。
(芹沢さん、一体何をやらかしたのか……)
「……わかりました」
「そこの無線を使え。その方が早い」
「はい」
言われたとおりに机の無線を使い、土方のところに連絡を入れる。そして、小栗からの命じられたまま伝えたのだった。
その間、小栗は外の風景を眺め、一度も振り向こうとはしなかった。
「近頃また、芹沢たちの悪い話、私の耳まで届いている。近藤、お前のことだ。噂の倍以上の数を処理しているのだろうな。苦労を掛けるな」
何も言わずに処理してくれる近藤にねぎらいの言葉をかけた。
口を堅く結んで、近藤はただ背中を凝視している姿勢を取っている。
言葉通りに芹沢たちの悪行の数々を近藤の手によって握り潰していたからだ。そのほとんどが正当なものとは言えず、裏で手を黒く染めていた。
小栗と近藤は芹沢たちの悪行に目を瞑ったり、もみ消したりして最近までどうにか押さえ込んでいた。それが押さえきれなくなっていたのである。
深泉組にとって、最大の重石となっていた。
互いに何も言わずに、個人的にもみ消していたのだ。
引き出しから小栗はタバコを取り出した。
(吸う数が増えているな、芹沢さんたちのせいか……)
「吸うか、近藤」
「いいえ」
「そうか」
箱を引き出しに戻し入れる。
気持ちよさそうに白い息を吐いた。
「タバコ、吸わないのか? 健康でいいな」
羨ましい声が零れていた。
愛妻から健康に悪いと小栗は言われ、減らす努力をしている最中だった。
「一時期は吸っていましたが、今は吸っていないだけです」
「やめることができたのか。それはいい」
「一応ですが」
「近頃、タバコの数が増えてきた。困ったものだよ」
恨めしげに漏らした。
大きく吐いた煙は上に昇っていった。
芹沢と新見たちの問題で吸う本数が増え始め、その問題内容は悪行極まりないものばかりだった。深泉組の素行の悪い問題の八割以上が芹沢たちが起こしたものばかりだ。
乱れる心を抑えるために、やめかけていたタバコに手を出す始末だ。
「吸わないで、何でストレスを解消している?」
「隊員たちに稽古をつけて、身体を動かしています。指揮官もどうですか? 久しぶりにお相手でもしましょうか?」
身体に負荷を与えることによって、溜め込んでいるストレスを身体から抜き取っていた。
そうとは知らない隊員たちの武力面は向上していった。
「連日の会議で、使い物にはならん」
「毎朝、身体を動かしていると聞いております」
「軽くな。近藤、お前の相手になる域ではない」
「ご謙遜を」
「謙遜ではない」
上層部の人間となって外に出ることが少なない。
小栗の剣術や拳銃の命中率は非常に高かった。
「実戦で常に動かしている人間と、部屋に閉じこもりっきりの人間を一緒にするな」
互いに小さく笑い合っていた。
芹沢と新見が姿を現わしたのは四時間後も経過した後だった。
二人が部屋に入ってくると、いったん下がっていた近藤も姿を見せていた。迷惑をかけた近藤の顔を見ることなく、ゆったりとした貫禄ある動作で芹沢は眇めている小栗の前に立つ。
その風貌はどちらが上司と部下かわからないほどだ。
「遅れてすいません。不審な男を追っていたものですから」
遅れた原因を説明したが、嘘だと小栗は確実に見抜いていた。
嶋原周辺にいたのだろうと睨む。
案の定、二人は嶋原にしけ込んで、馴染みの遊女たちと酒を酌み交わして遊んでいた。
それを手分けして捜していた土方たちが見つけたのだった。
これ以上時間の無駄をしたくないために、わざとらしい言い訳を受け入れることにした。
「芹沢、そういう場合は連絡を入れるように」
「指揮官。申し訳ありませんでした、以後このようなことがないようにします」
形式的な謝罪を口にする芹沢。
それに新見は追随する。
「小栗指揮官、申し訳ありませんでした。部下に伝えるように言ったのですが、こちらまで伝わっていなかったようで。このようなことがないように気をつけます」
それぞれ文言はいつもと変わらない。
注意とは言えない注意をした後、三人を招集した理由を語るために本題へと移っていく。ある仕事を命じるために隊長である三人を呼び出したのだった。
横に整列している三人の顔を見比べる。
その表情は様々だ。
露骨に聞く態度を取っていない二人を無視する。
「取締りの仕事だ。最近、登録されていない売春婦たちが増加している。知っていると思うが? それを取締ってこい」
単純明快な取締りの仕事を命じた。
本来ならば銃器組の仕事だが、大変で労がある仕事をするのを銃器組の隊員たちが嫌がり、誰も引き受けようとはしないものを小栗が率先して引き受けた。当初、銃器組は難色を示したが誰も引き受けたがらず、ようやく大変で汚い仕事が回ってきたのだった。
「久しぶりにまともな仕事ですね」
やる気が感じられない芹沢が口を開いた。
「ああ。暇を弄んでいると思って、仕事を入れた」
「ありがとうございます」
「言っておくが、仕事は本日決行だ」
「随分と急な仕事ですね」
ねっとりした声音で、新見の目は細くなる。
普通、この手の仕事は入念な下調べが必要だったからだ。
下調べもなしに強行と言える内容に、何かあると誰も勘ぐっている。
「確かに急な話ですね」
新見の意見に近藤も賛同した。
綿密な打ち合わせをして、逃げられないように一網打尽にして捕まえるのが取締りの鉄則なのである。それらの一連の動作を一気にすっ飛ばして最後の取締りの仕事に違和感が生じていた。
「アピールだ。深泉組も仕事をしているとな。近頃、よく悪い噂が流れている。それを払拭する必要がある。そう思わないか? 芹沢、新見」
「「……」」
何も言わずに素知らぬ視線を注ぐ新見。
面倒だと前面に出している芹沢。
「ある程度の下調べはこちらでやっといた。詳細はファイルを読めばわかるようになっている。私からは以上だ。何か他に質問があるか?」
間髪おかずに、小栗は説明をしてしまった。
「ないようだな。後は、よろしく頼む」
「わかりました」
命令内容が承諾する近藤。
「了解した」
「はい」
気のない返事を返す芹沢と新見。
三人は小栗の部屋から出てきた。
近藤の腕にしっかりと小栗から貰い受けたファイルが抱えられている。
勿論、二人は手ぶらだ。
「こんな仕事、お前たちで片づくだろう?」
芹沢が近藤に話しかけた。
「俺たちは別口で仕事がある。そっちで精いっぱいだから、取締りの方は頼んだぞ」
「優秀な沖田くんもいることだし」
後押しを新見が加えた。
仕事を押し付ける二人は商人たちと嶋原で落ち合う約束になっていた。そちらを優先させたいために無理やり仕事を押し付けようとしていたのである。
二人は商人たちの揉め事をあくどい手口を使って、即座に解決して商人たちから賄賂を受けていた。そして、今日はその接待だったのだ。
「仕事ですか……」
「私たちもいろいろと仕事がある」
ふくよかな頬をさらに上げる。
「わかりました。私たちだけで、取締りの仕事はしておきます」
「近藤隊長。頼んだぞ」
二人は軽快に笑いながら、その場から立ち去った。
その後ろ姿を近藤は一人で見送る。
(またか……)
これまでに同じようなことが何度もあった。けれど、一度たりとも、近藤は異を唱えず、無謀だと言える厄介なことでも引き受けていた。それに甘える形で、芹沢は頼むのだった。
常に芹沢に寄り添っている新見は、ただそれに乗っかるだけだ。
読んでいただき、ありがとうございます。