閑話10
第129話目の話の後です。
何も見えない、ただ、暗闇が広がった世界。
そこに、いつの間にか、芹沢が佇んでいた。
「ここは?」
辺りを見渡すが、黒一色の世界しかない。
「……ああ。俺は、死んだんだな」
口角が、ついつい、上がっていた。
可愛がっていた、かつての部下の近藤に、殺されたにもかかわらずだ。
本気の近藤の姿と、やりたいと熱望していたことで、死んだことに対し、絶望はない。
むしろ、清々しい気分を味わっている。
「まさか、梨那が、わしの娘だったとは……。近藤も、やるものだな」
思わず、口角が上がっていた。
死ぬ寸前の、近藤の告白を、思い返していたのである。
「何も、してやれなかったな、梨那には」
無邪気に笑う、梨那の姿が、脳裏から離れない。
「しょうがあるまい」
やり残したことがあった。
多少の悔いが、残っているだけだった。
「……それにしても、ここは、地獄なのか?」
辺りを見渡しても、暗闇だけで、何も、見ることができない。
別に、地獄に堕ちようが、芹沢にとって、どうでもよかったのだ。
最初から、天国に行けるとは思っていない。
「ふん。つまらない世界だ」
どこへ、向かうとわからずも、とりあえず、歩き出した。
闇雲に、歩いても、誰に、逢うこともない。
暗闇に、芹沢しかいなかった。
「閻魔とか、鬼も、ないのか?」
不満げな声が、漏れていた。
「せっかく、楽しみにしていたのに」
地獄に行ったら、どうなるのかと、密かに、楽しみにしていたのである。
それにもかかわらず、何も起こらない現状に、顔を曇らせていたのだ。
不意に、光り始める。
遥か先で、光が出現したのだ。
「あれは……」
黒一色のせいで、距離感が掴めない。
(どのくらい、離れている?)
食い入るように、見つめると……。
身体全体に、戦慄が走っていた。
亡き姉の姿が、光の中に、浮かび上がっていたのである。
亡くなったままの、美しい十代のままだ。
金縛りにあったように、動けない芹沢。
眼光は開き、亡き姉の姿を捉えたままだ。
芹沢が幼い時に、すでに、亡くなっていたのである。
「……姉上」
震えている、芹沢の声音。
亡き姉の顔は、優しく微笑んでいた。
「……」
その微笑みに、胸が潰されそうになる。
(身体の実態もないのに、苦しいなんて……)
思わず、自嘲気味な笑みが零れていた。
亡き姉の姿から、目が離せない。
いつも、自分に向けてくれた、優しい微笑みを、傾けていたのだ。
やり残したことが、走馬灯のように蘇っていく。
顔を、顰めていたのだ。
芹沢の中で、消えていた訳ではない。
ただ、死んでしまってはできないかと、諦めていたのである。
「……姉上、すいません」
顔を歪め、唇を噛み締めていたのだ。
めったに見られない顔を、芹沢が滲ませていた。
「……約束を守れずに、祥愛を守ることが、できませんでした」
苦し気に思いを吐露した。
亡き姉の表情が崩れない。
微笑んだままだ。
「約束したのに、必ず、守ると」
亡き妻、祥愛の顔が、浮かび上がっていく。
二つの面差しは、とても似ていた。
ふと、芹沢の脳裏に、姉の声が、流れ込んでくる。
(よく頑張りましたね。いらっしゃい、ご飯にしましょう)
いつも、父親のしごきに涙し、泣いている芹沢を、慰めてくれた姉だった。
口角が上がっている芹沢。
そして、いつの間にか、幼い姿に、戻っていたのである。
無垢な、芹沢の微笑みだ。
「姉上」
大好きな、年の離れた姉に向かって、まっすぐに駆け出す芹沢だった。
昔のままに。
双眸には、姉の姿しか見えない。
そして、無邪気な顔を、覗かせていたのだ。
読んでいただき、ありがとうございます。
諸事情により、当分、投稿はお休みさせていただきます。
次回の投稿は、2月6日です。