第134話 芹沢の死後4
芹沢が、亡くなったからと言って、完全に仕事が、なくなることはない。
忙しい日々に、近藤隊が追われている。
その中で、近藤は、久しぶりに八木の屋敷を、訪れていたのだった。
庭が、綺麗に眺められる、座敷に通されていた。
そこで、近藤が、一人で佇んでいたのだ。
小鳥のさえずりに、耳を済ませている。
和む音。
幾日かぶりに、心が、穏やかになるのだった。
すると、遠くの方から、人の気配と、足音を察知した。
身を正し、八木の到着を待っていると、すぐ、その後で、朗らかな表情の八木が、姿を現したのだった。
いつもと、変わらない表情だ。
足取りは、老人と言うことを感じさせない。
軽やかさを、窺わせるほどだ。
けれど、よく窺うと、僅かだが、以前と比べると、頬が、こけたように見受けされた。
若干、胸に、痛みを生じさせるが、表情に出ることがない。
用意されていた上座に、八木が腰掛ける。
「お久しぶりです、近藤様」
「お久しぶりです、八木殿」
座った八木を、見計らったように、八木のお茶と、近藤への新しいお茶が運ばれ、瞬く間に、運んできた人間が、下がってしまった。
できる下男、下女に、常に、近藤は、脱帽していたのだった。
二人して、お茶を嗜む。
穏やかな時間だけが、流れていった。
「仕事の方は、どうですか? 近藤様」
「忙しくしております。当分は、休める日も、ないかもしれません」
「それは、それは」
「八木殿は、いかが、過ごしておりましたか?」
「私ほども、変わりません」
「そうですか」
二人は口を閉ざし、開かれたままの庭へ、視線を巡らせる。
木々や、季節の花などが、植えられていたのだ。
以前と、変わらない庭があった。
(あの人も、この庭を、眺めていたんだろうな……)
ふと、蘇らせていた芹沢の姿。
すぐさまに、打ち消す。
できるだけ、芹沢のことは、考えないようにしていたのである。
だが、八木邸に訪れたことにより、無意識に、浮かび上がらせて、しまっていたのだった。
「芹沢様も、この庭を、愛しておりました」
(ここに来ては、消すことはできないか……。少しだけ、お付き合いするか)
困ったような顔を、僅かに、近藤が滲ませている。
「……何も、ないものを、好んでいるのかと」
「普段は、無駄なことを、剃り落としたものが、いいと、おっしゃっておりますが、実は、こういったものを、好む人でもありました」
「……そう言えば、そういう人でしたね」
近藤の口元が、緩んでいる。
「あまり、人には、見せない人でした」
「えぇ。隠すことが、上手な人でした」
「芹沢様ほど、演技が上手な人は、おりませんな」
「そうですね」
「近藤様。お気遣い、ありがとうございました」
頭を下げ、八木が礼を述べた。
表立って、芹沢の葬儀に、参列できない八木。
密かに、八木たちだけで、冥福を祈っていたのだった。
八神を通して、芹沢が埋葬された、本当の墓を、告げていたのである。
自分から、伝えるべきだと抱いていたが、ケガの治療中と言うこともあり、八神に八木のことも頼んだのだった。
いろいろと、疲弊していたのだ。
肉体も、精神も。
八木の存在に、八神が驚愕しつつも、律儀に、人に知られないように、八木とコンタクトを取ったのである。
「いいえ」
「八神様とも、今後は、いい付き合いをしたいと、申し差し上げました」
「そうですか。よろしくお願いします」
「芹沢様が、可愛がっていた部下ですから」
ニッコリと、微笑んでいる八木だ。
「近藤様は、大丈夫ですか?」
ずっと、八木は、近藤のことを、観察していたのである。
平静を装っているが、相当、心労が溜まっていることを、察していたのだった。
「……」
「顔色が、優れない様子です」
「良くないですか?」
「良くないです」
きっぱりと、言われた。
ここ数日、土方や島田からも、言われていたのだ。
(そんなに悪いのか……。私としては、わからないが……)
「……困ったものです。元に、戻っていると、思っていたのですか……」
「休まれた方が?」
首を振って、否定した。
じっと、近藤の様子を窺っている。
「……私には、できません。あの人と、約束しました。前へ進むと」
いつの間に、そんな話をしたのかと、巡らせていた。
「だから、休むなんてことは、できません」
「近藤様……」
八木の眼光を、しっかりと捉える。
そして、そらすことをしない。
「私が、あの人を斬りました」
感情が、一切、籠っていない声だ。
「……」
絶句しつつ、微動だもしない八木だった。
ただ、まっすぐに、身じろぎ一つしない、近藤を見つめていたのである。
口を、閉ざしたままの近藤。
そのことを伝えるために、八木邸に訪れたのだ。
二人の間に、長い、長い、沈黙が続けられていた。
その間、小鳥の鳴き声や、風が、吹いている音しか、聞こえない。
罵倒されることも、覚悟の上で、芹沢の件を、伝えたのである。
「……真ですか?」
いつもと、変わらない声音。
八木の心情を、読み取ることができない。
「はい。私が、この手で、斬りました」
「芹沢様は?」
「私の本気の姿に、嬉しそうに、戦いに応じてくれました」
「……そうですか」
八木自身が、知っている芹沢の人となりを、思い返していたのだった。
(確かに。近藤様の本気の姿に、嬉々として、戦っていたのでしょうね。いつも、本気の近藤と、戦いと、申しておりましたね。まったく、芹沢様らしい姿だこと。周りのことも、考えて、いなかったのでしょうね。呆れて、言葉もありません)
「芹沢様は、満足げでしたか?」
「やり残したことも、あったが、もう、いいと」
ありのまま、伝えた。
「そうですか。芹沢様らしい、お答えですね」
「はい」
「芹沢様に、事実を、お伝えしたのですか?」
微かに、近藤が動いたのだ。
僅かでも、八木が、見逃すことがない。
「……最後に。迷いましたが、伝えました」
「そうですか……」
しみじみとした顔を、八木が滲ませていた。
(芹沢様も、さぞ、驚かれた顔を、なされていたんでしょうね。見たかったですが……)
その脳裏に、笑顔を覗かせている、梨那の姿があったのだ。
隣には、芹沢の姿も、あったのだった。
(もう、あの姿を、見ることが、できないんですね)
「引き取りますか?」
「いいえ。このままで」
「……そうですか」
八木は、視線を伏せた。
「ご迷惑をかけて、申し訳ありません」
頭を深々と下げている近藤だ。
「いいえ。毎日、楽しい日々を、過ごさせて貰っております」
やや首を傾げ、目の前にいる、にこやかな八木に、怪訝そうな視線を注いでいる。
芹沢の件を伝えても、表情一つ、変えた様子がない。
「……八木殿」
「なんでしょう」
「……罵倒されないのですか?」
「なぜ?」
「私は、あの人を、斬ったのですよ」
「聞きました」
「なら、なぜ? 怒りを、ぶつけないのですか?」
罵倒されたり、怒りをぶつけられたり、斬りつけられたりするだろうと、覚悟していた。
それでも、自分の信念を貫こうと、心に決めていたのである。
何も、言われない状況に、戸惑いが、隠せなかったのだった。
「芹沢様らしい、最後かと、思ったからです」
「……」
「何より、信頼している、可愛がっていた部下の手で、最後を、迎えられたのです。芹沢様は、布団の上で、死ぬことは、ないだろうと思っていましたし……。近藤様は、後悔なされているのですか?」
注がれる八木の双眸。
「……いいえ」
「だったら、私が、罵倒することもありません。お付き合いも、このままさせて、貰います」
揺るがないものを感じ、圧倒され、さすが、班長と、対等に話せる人だと、改めて思い知るのだ。
(私には、なれるだろうか? ……無理だな)
心の中で、自嘲気味な笑みを漏らしていた。
「……ありがとうございます」
「私の方こそ、芹沢様に、最後の烙印を、押して貰い、ありがとうございます。きっと、芹沢様も、あの世で、喜んでいることでしょう」
ふと、八木の双眸が、和やかに緩んだ。
「喜んでいるでしょうか?」
「勿論です」
自信に満ちた八木の顔を、捉えている。
「やりたことも、残っていたはずなのに?」
「はい」
(どこから、そんな自信が、湧いてくるんだろうか……)
「八木殿は、あの人が、何をやっていたのか、知っているのですよね」
「勿論です」
「私に、教えていただくことは?」
「できません。ご自分で、探してください」
(あなたまで……。何を隠していたのか、あの人は)
「……あの人と、一緒のことを、言うんですね」
「そうですか」
有無を言わせない笑顔。
ただ、八木が、携えていたのである。
黙ったまま、互いに、お茶を飲んだ。
庭から聞こえる音を、堪能していたのだった。
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