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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第5章 散華 後編
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第134話  芹沢の死後4

 芹沢が、亡くなったからと言って、完全に仕事が、なくなることはない。

 忙しい日々に、近藤隊が追われている。

 その中で、近藤は、久しぶりに八木の屋敷を、訪れていたのだった。

 庭が、綺麗に眺められる、座敷に通されていた。

 そこで、近藤が、一人で佇んでいたのだ。


 小鳥のさえずりに、耳を済ませている。

 和む音。

 幾日かぶりに、心が、穏やかになるのだった。


 すると、遠くの方から、人の気配と、足音を察知した。

 身を正し、八木の到着を待っていると、すぐ、その後で、朗らかな表情の八木が、姿を現したのだった。

 いつもと、変わらない表情だ。

 足取りは、老人と言うことを感じさせない。

 軽やかさを、窺わせるほどだ。


 けれど、よく窺うと、僅かだが、以前と比べると、頬が、こけたように見受けされた。

 若干、胸に、痛みを生じさせるが、表情に出ることがない。


 用意されていた上座に、八木が腰掛ける。

「お久しぶりです、近藤様」

「お久しぶりです、八木殿」

 座った八木を、見計らったように、八木のお茶と、近藤への新しいお茶が運ばれ、瞬く間に、運んできた人間が、下がってしまった。

 できる下男、下女に、常に、近藤は、脱帽していたのだった。


 二人して、お茶を嗜む。

 穏やかな時間だけが、流れていった。


「仕事の方は、どうですか? 近藤様」

「忙しくしております。当分は、休める日も、ないかもしれません」

「それは、それは」

「八木殿は、いかが、過ごしておりましたか?」

「私ほども、変わりません」

「そうですか」


 二人は口を閉ざし、開かれたままの庭へ、視線を巡らせる。

 木々や、季節の花などが、植えられていたのだ。

 以前と、変わらない庭があった。


(あの人も、この庭を、眺めていたんだろうな……)


 ふと、蘇らせていた芹沢の姿。

 すぐさまに、打ち消す。


 できるだけ、芹沢のことは、考えないようにしていたのである。

 だが、八木邸に訪れたことにより、無意識に、浮かび上がらせて、しまっていたのだった。

「芹沢様も、この庭を、愛しておりました」


(ここに来ては、消すことはできないか……。少しだけ、お付き合いするか)


 困ったような顔を、僅かに、近藤が滲ませている。

「……何も、ないものを、好んでいるのかと」

「普段は、無駄なことを、剃り落としたものが、いいと、おっしゃっておりますが、実は、こういったものを、好む人でもありました」

「……そう言えば、そういう人でしたね」

 近藤の口元が、緩んでいる。


「あまり、人には、見せない人でした」

「えぇ。隠すことが、上手な人でした」

「芹沢様ほど、演技が上手な人は、おりませんな」

「そうですね」


「近藤様。お気遣い、ありがとうございました」

 頭を下げ、八木が礼を述べた。


 表立って、芹沢の葬儀に、参列できない八木。

 密かに、八木たちだけで、冥福を祈っていたのだった。

 八神を通して、芹沢が埋葬された、本当の墓を、告げていたのである。

 自分から、伝えるべきだと抱いていたが、ケガの治療中と言うこともあり、八神に八木のことも頼んだのだった。


 いろいろと、疲弊していたのだ。

 肉体も、精神も。

 八木の存在に、八神が驚愕しつつも、律儀に、人に知られないように、八木とコンタクトを取ったのである。


「いいえ」

「八神様とも、今後は、いい付き合いをしたいと、申し差し上げました」

「そうですか。よろしくお願いします」

「芹沢様が、可愛がっていた部下ですから」

 ニッコリと、微笑んでいる八木だ。


「近藤様は、大丈夫ですか?」

 ずっと、八木は、近藤のことを、観察していたのである。

 平静を装っているが、相当、心労が溜まっていることを、察していたのだった。

「……」


「顔色が、優れない様子です」

「良くないですか?」

「良くないです」

 きっぱりと、言われた。

 ここ数日、土方や島田からも、言われていたのだ。


(そんなに悪いのか……。私としては、わからないが……)


「……困ったものです。元に、戻っていると、思っていたのですか……」

「休まれた方が?」

 首を振って、否定した。

 じっと、近藤の様子を窺っている。


「……私には、できません。あの人と、約束しました。前へ進むと」

 いつの間に、そんな話をしたのかと、巡らせていた。

「だから、休むなんてことは、できません」

「近藤様……」


 八木の眼光を、しっかりと捉える。

 そして、そらすことをしない。


「私が、あの人を斬りました」

 感情が、一切、籠っていない声だ。

「……」

 絶句しつつ、微動だもしない八木だった。

 ただ、まっすぐに、身じろぎ一つしない、近藤を見つめていたのである。


 口を、閉ざしたままの近藤。

 そのことを伝えるために、八木邸に訪れたのだ。


 二人の間に、長い、長い、沈黙が続けられていた。

 その間、小鳥の鳴き声や、風が、吹いている音しか、聞こえない。

 罵倒されることも、覚悟の上で、芹沢の件を、伝えたのである。


「……真ですか?」

 いつもと、変わらない声音。

 八木の心情を、読み取ることができない。

「はい。私が、この手で、斬りました」


「芹沢様は?」

「私の本気の姿に、嬉しそうに、戦いに応じてくれました」

「……そうですか」

 八木自身が、知っている芹沢の人となりを、思い返していたのだった。


(確かに。近藤様の本気の姿に、嬉々として、戦っていたのでしょうね。いつも、本気の近藤と、戦いと、申しておりましたね。まったく、芹沢様らしい姿だこと。周りのことも、考えて、いなかったのでしょうね。呆れて、言葉もありません)


「芹沢様は、満足げでしたか?」

「やり残したことも、あったが、もう、いいと」

 ありのまま、伝えた。

「そうですか。芹沢様らしい、お答えですね」

「はい」


「芹沢様に、事実を、お伝えしたのですか?」

 微かに、近藤が動いたのだ。

 僅かでも、八木が、見逃すことがない。


「……最後に。迷いましたが、伝えました」

「そうですか……」

 しみじみとした顔を、八木が滲ませていた。


(芹沢様も、さぞ、驚かれた顔を、なされていたんでしょうね。見たかったですが……)


 その脳裏に、笑顔を覗かせている、梨那の姿があったのだ。

 隣には、芹沢の姿も、あったのだった。


(もう、あの姿を、見ることが、できないんですね)


「引き取りますか?」

「いいえ。このままで」

「……そうですか」

 八木は、視線を伏せた。


「ご迷惑をかけて、申し訳ありません」

 頭を深々と下げている近藤だ。

「いいえ。毎日、楽しい日々を、過ごさせて貰っております」

 やや首を傾げ、目の前にいる、にこやかな八木に、怪訝そうな視線を注いでいる。

 芹沢の件を伝えても、表情一つ、変えた様子がない。


「……八木殿」

「なんでしょう」

「……罵倒されないのですか?」

「なぜ?」


「私は、あの人を、斬ったのですよ」

「聞きました」

「なら、なぜ? 怒りを、ぶつけないのですか?」

 罵倒されたり、怒りをぶつけられたり、斬りつけられたりするだろうと、覚悟していた。

 それでも、自分の信念を貫こうと、心に決めていたのである。

 何も、言われない状況に、戸惑いが、隠せなかったのだった。


「芹沢様らしい、最後かと、思ったからです」

「……」

「何より、信頼している、可愛がっていた部下の手で、最後を、迎えられたのです。芹沢様は、布団の上で、死ぬことは、ないだろうと思っていましたし……。近藤様は、後悔なされているのですか?」

 注がれる八木の双眸。


「……いいえ」

「だったら、私が、罵倒することもありません。お付き合いも、このままさせて、貰います」

 揺るがないものを感じ、圧倒され、さすが、班長と、対等に話せる人だと、改めて思い知るのだ。


(私には、なれるだろうか? ……無理だな)


 心の中で、自嘲気味な笑みを漏らしていた。

「……ありがとうございます」

「私の方こそ、芹沢様に、最後の烙印を、押して貰い、ありがとうございます。きっと、芹沢様も、あの世で、喜んでいることでしょう」

 ふと、八木の双眸が、和やかに緩んだ。


「喜んでいるでしょうか?」

「勿論です」

 自信に満ちた八木の顔を、捉えている。

「やりたことも、残っていたはずなのに?」

「はい」


(どこから、そんな自信が、湧いてくるんだろうか……)


「八木殿は、あの人が、何をやっていたのか、知っているのですよね」

「勿論です」

「私に、教えていただくことは?」

「できません。ご自分で、探してください」


(あなたまで……。何を隠していたのか、あの人は)


「……あの人と、一緒のことを、言うんですね」

「そうですか」

 有無を言わせない笑顔。

 ただ、八木が、携えていたのである。


 黙ったまま、互いに、お茶を飲んだ。

 庭から聞こえる音を、堪能していたのだった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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