第126話 散りゆく華2
外の騒ぎの声で、熟睡していた小梅が、目を醒ましてしまった。
覚醒していくと、その音が、はっきりと、聞き取れるほどだ。
ムクッと、暗闇の中を起きると、すでに、芹沢が起きていたのである。
簡単に、着物を羽織っていたのだった。
薄暗いが、芹沢の存在を認識し、ホッと安堵している。
そして、小梅が、乱れている自分の襟を直したのだ。
「……旦那様」
少し、怯えが混じった声。
何度か、こうした場面に、遭遇したことがあるが、慣れることがない。
騒がしい音がする方へと、視線を彷徨わせてしまう。
恐怖で、耳を抑えたい気持ちを、グッと、堪えていた。
大切な芹沢に、嫌われないために。
「相当、梃子摺っているようだな」
どこか、他人事のような芹沢だった。
だが、その口の端が、上がっていた。
(一人には、なりたくない……、でも……)
「……いかなくっても、いいんですか?」
「どうだろうな」
訝しげている小梅の問いに、返答しているが、眼光は、外に向けられたままだ。
隣に、小梅がいることすら、意識がないような声音だった。
ここにいる者だけで、どうにかしないといけないことは、小梅自身も、理解していたのである。ぽつんと、建っている、ここの別荘は、他の別荘との距離が離れており、何かあっても、他の別荘に、助けを求めることが難しいと巡らせていた。
(誰か、知らせにいっているのかしら?)
「……」
さらに、音が、大きくなっていく。
戦闘が、激しくなっていた。
(近づいている?)
身体を、強張らせている小梅。
安心させるような真似をしない。
聞こえてくる音を、楽しんでいたのだ。
手を合わせ、小梅が、震えている手を、押さえ込んでいる。
普通の人よりも、争いごとに、小梅自身、不慣れだった。
けれど、芹沢のため、必死に、そうした衝動を抑えていた。
「……誰か、私のところへ、来るだろう」
歓喜にしているような声音に、慣れることができない。
斬り合いに、怯え、震えているだけだ。
そうした小梅の姿に、芹沢が、慰めることをしない。
抱きしめてほしいと言う眼差しで、恍惚な芹沢を見上げる。
けれど、聞こえてくる音を、堪能しているだけだ。
寂しそうな双眸。
不意に、唇を噛み締めていた。
「随分と、劣勢のようだな」
味方が、押されているにもかかわらず、動こうとしない。
ただ、行方を、楽しんでいるようだ。
そうした芹沢の行動に、眉を潜めている。
「……お仲間が、減ってしまいますよ」
「構わん。使えないやつがいても、しょうがないからな」
冷酷な宣告に、小梅が戦慄してしまう。
(旦那様……)
「……誰か、こちらに来るな」
落ち着いている芹沢に対し、ビクッと、小梅の身体が反応していた。
「あれは……」
一瞬だけ、芹沢の眼光が、驚愕した。
そして、嬉しそうに、微笑んでいたのだった。
じっと、悦が止まらない芹沢。
(……知り合い?)
微かに、障子に影が映り込む。
怯える小梅だ。
騒然とする声。
遠くで、聞こえるだけで、この辺一体は、静かなものだった。
この部屋は、他の部屋から、隔離されたような位置にあった。
身じろぎ一つしないで、芹沢の視線が、その影を捉えたままだ。
躊躇なく、閉じられていた障子に、手がかけられた。
暗くて、瞬時に誰か、小梅自身、判別つかない。
芹沢の頬が、これ以上ないぐらいに、緩んでいた。
「近藤。ようやく、一皮向けたな」
近藤と言う名に、小梅が瞠目している。
段々と、障子が、開いていった。
食い入るように、窺っていると、徐々に、芹沢の仲間でもある近藤の姿を、捉えることができたのだった。
いつもの制服の姿ではなく、簡素な装いだ。
けれど、神々しく、輝いている近藤の姿に、小梅が息を呑む。
名を呼ばれても、近藤は動じることがない。
ただ、芹沢だけを見据えていた。
他は、何も、映っていないようだ。
「……はい。そのようです」
「そうか」
満面な笑みを、覗かせている。
「沖田は、連れてきたのか?」
「いいえ。置いてきました」
「それは、残念」
仲間でもある近藤に、裏切られてにもかかわらず、芹沢の形相が、怒りに歪むことがない。むしろ、無邪気に、微笑んでいたのだった。
「連れてきたのは、誰だ?」
芹沢の言葉を受け、この場に連れてきた、メンバーの名前を上げていく。
全然、両者とも、動こうとはしなかった。
「……随分と、少人数で来たな。それで、梃子摺っているとは、なんて情けないやつらなんだ」
やれ、やれと、首を横に振っている。
場違いな会話。
喧騒とする声が、聞こえなければ、日常的な二人のやり取りのようだった。
敵対しているようには、見えない。
不可思議な雰囲気に、きょとんとした顔を、小梅が滲ませている。
芹沢の仕草に、近藤の口角が、上がっていた。
「昔と比べて、緩ませていたのが、原因かもしれませんね」
「お前の目から見て、緩みが出ていたか?」
「はい。昔でしたら、もう少し、キツく縛っていました」
「そうか。私も、歳をとって、甘くなったのかも、しれないな」
感慨に耽っている芹沢。
その間も、騒ぎの音が、静まることがない。
激しさを、増していたのだった。
だが、芹沢と近藤の耳には、届いていないような、緩やかな時間だけが流れていった。
伏せていた顔を上げ、まっすぐに芹沢の眼光が、近藤を捉えている。
小梅が、瞠目していた。
目の前にいる芹沢が、初めて見せる顔をしていたからだ。
「お前の甘さは、取れたか?」
「だから、この場に立ったと、思います」
「そうか。それは楽しみだ」
「いつも、注意されてましたからね」
苦笑している近藤だ。
二人の雰囲気は、和やかなものだった。
これから、剣を合わせるなど、考えられないほどに。
「お前の悪い癖だ。ようやく、お前の本気を、見られるのだな?」
「はい。ご存分に、私の本気を、出させてください」
「そうか」
互いに、微笑んでいた。
この場に、小梅がいることを、すっかりと忘れていたのだ。
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