第122話 ひと時の静寂1
待機部屋に戻った近藤は、土方を呼び寄せ、打ち合わせなどで、使用している会議室に訪れていたのである。
会議室には、二人しかいない。
室内は、重苦しい雰囲気が漂っていた。
話があると、呼び出したにもかかわらず、話を切り出さないからだ。
上司である近藤が、口を開かないので、決して土方は、口を開かない。
ひたすら、喋り出すのを、待っていたのである。
こうしている間にも、仕事は溜まっていった。
けれど、そうしたことも、土方は口にせず、沈黙を通していたのだ。
十分以上の静寂が、流れていく。
ようやく、伏せていた瞳を開け、無表情で待機していた土方に、視線を合わしたのだった。
「……小栗指揮官から、命令が下された」
「はい」
「……芹沢加茂、新見尓織、両名を殺す」
息を飲む土方だ。
まさか、近藤の口から、そうした内容の命令を、言われると思っていなかった。
すぐに、返事することができない。
大きく眼光を開き、無表情でいる近藤を捉えている。
表情が、揺らぐことがない。
「……よろしいのですか?」
小さめの声音で、相手の様子を窺うように尋ねた。
僅かな動揺が隠せない双眸は、目の前の近藤を、注いだままだ。
徐々に、近藤の眼光に、何も、映っていないような気がしてきたのだった。
「勿論だ。下された命令を、速やかに、実行しなければならない」
淡々としている様子を、食い入るように土方が眺めている。
全然、彷徨う仕草が、感じられない。
そうした仕草にも、目を見張っていたのだ。
どんなことがあろうと、崇拝している芹沢を、切ることはないと、抱いていたのである。それが、近藤の口から、芹沢を殺すと、言われる日が来るとは、想像もしていなかったのだった。
絶句している土方。
この場にいる近藤が、本物だろうかと、掠めてしまった。
気にする仕草も、見せない。
一切、表情を崩さぬまま、小栗指揮官から、下された命令を説明していく。
「以上だ。何か、質問はあるか?」
「……ありません」
「実行する日だが、できるだけ、今日、行おうと思う」
「今日ですが!」
性急過ぎることに、思わず、声が上がってしまう。
何度も、難しい仕事を、こなしてきた自負があった。
けれど、今回ほど、難しい案件がなかったのだ。
それが、数時間後と言われ、慌てない人間などいない。
「落ち着け、土方」
宥める様子は、いつもの近藤と、変わらない。
だが、何か違うと、抱く土方だった。
「先ほど、芹沢隊長と、お会いした」
「……」
土方が、眉間にしわを寄せている。
微かに、土方の唇が動いていた。
(何があったんだ?)
聞きたいことがあっても、とても聞ける雰囲気がない。
ただ、じっと近藤を窺うことしかできなかった。
「その際、小梅と、約束していると、言われていた。もし、仮に、外で落ち合う約束をしていれば、決行は、今日とする」
「……」
「メンバーは、私、土方、斉藤、永倉、山南、島田、安富、藤堂、尾形、有間で、行うものとする」
「……原田や沖田は、除くのですか?」
訝しげな眼差しを、土方が注いでいた。
実力的に、両名がいないと、戦力不足なところがあったからだ。
芹沢と新見の周りに、常に、相当な腕前を持っている者たちを配置させ、護衛をさせていたのである。
そのため、何度も襲撃されても、二人が、傷を負うことがなかったのだった。
そうした者たちを排除するには、相当な腕がないと、二人のところまで、辿り着くことが難しかったのだ。
だから、原田と沖田を削ったことに、納得できなかったのである。
「サノは、今回の仕事は、不向きだな。顔や仕草に、出てしまう恐れがあるからな。今回の命令は、決して、バレては、困るからな、だから、サノをはずした」
近藤の意見に、同意する土方である。
けれど、完全に、腑に落ちた訳ではない。
問題だらけの原田ではあるが、腕前だけは、それなりに買っていたのだ。
「沖田は……」
遠くを見つめる近藤。
口を挟まず、黙ったままの土方だった。
「たぶん、上手くやるだろう。けれど、今回は、はずした。ただの私の勘だ。それに、せっかく親しくしているのに、この仕事を、任せることに、私なりに、多少なりの、不安がある。私自身、何の憂いもなく、この命令に集中したい。だから、そうした面でも、いない方が、いいと思った。迷惑をかけてしまうが……」
「……そうでしたか……」
ふと、愛嬌のある笑顔を覗かせている沖田の顔を、土方が浮かび上がらせていた。
(俺にも、あれのことは、わからないからな。確かに、今回の仕事には、入れない方が、賢明の判断かもしれない。しかし、戦力が、不足だな。どうしたものか……、もう少し、他のメンバーを、入れて貰えるように、頼むべきか……。芹沢隊や、新見隊の戦力を踏まえると、他のメンバーでは……)
渋面になっている土方に、双眸を巡らせている。
「トシには、悪いと思う。戦力不足を、危惧しているのだろう? だが、今回は、このメンバーのみで、動きたい。選ばれた皆には、だいぶ、負担をかけるが……」
今まで、無表情だった近藤の表情が動いた。
申し訳ないと。
近藤自身も、戦力不足だと認識していた。
けれど、部下たちに、今回の件を悟られる訳にはいかなかった。
不安要素を覗き、少数精鋭で、いきたかったのである。
「……わかりました」
「もう、時間がない。メンバーを、至急、集合させておいてくれ。それと、芹沢隊長たちの動向に関しては……」
近藤自ら、芹沢たちの動向を、調べようとした。
小梅と言うキーワードが、手に入った以上、容易に、居場所が突き止められる可能性が、大きかったからだ。
意を唱えた土方を、見つめる。
「私の方で、やっておきます」
「……」
「芹沢隊長が、外で会う場所の候補も、いくつか把握しておりますし、その見取り図も、用意しておきます」
じっと、真摯な土方の形相を、見定めていた。
「……そんなに仕事をさせて、大丈夫なのか?」
「はい。その代わり、体調を整えて、置いてください。ちゃんと睡眠を取り、食事もしてください。今回の相手は、とても厳しい相手です。できるだけ、万全の体制を取らなければ、なりません」
「……そうだな」
「ですから、近藤隊長は、今、言ったことを守っていただき、身体を休めてください。お願い致します」
頭を下げた姿に、双眸を注いでいる。
「……わかった。トシの言葉に甘えよう」
微かに、土方の表情が緩んだ。
そして、もう一度、真面目な顔つきになっていく。
「最終確認です」
土方の言葉に促され、まっすぐに、目の前にいる土方を窺っていた。
「本当に、よろしいんですね?」
「……ああ」
「わかりました。では、そのようにいたします」
「頼む」
会議室を、険しい形相のままで土方が後にした。
決意を硬くいた土方。
表情が消えていた近藤を、振り返ることもしない。
ただ、近藤は、土方の背中を、眺めているだけだった。
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