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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第5章 散華 後編
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第120話  近藤と芹沢2

 暗い室内。

 そこに、芹沢と近藤しかいない。

 誰も、いない会議室に、失態続きの近藤を、連れ込んだのである。


 室内は、閉じられているカーテンの隙間から、微かに、明かりが入り込むだけだ。

 キツく口を結んだ姿を、芹沢の眼光が、見下ろしている。

 居た堪れない近藤。

 ずっと、顔を伏せたままだった。


 ふんと息を吐き、ようやく芹沢の口が開く。

「どうした? お前らしくないぞ」

「……申し訳ありません」


 捕まえようとした犯人を、寸前のところで、取り逃がしてしまった。

 いつもの近藤からは、考えられない、ミスだった。

 程なくして犯人は、八神たちの手により捕まり、大きな問題に発展することもなく、ことなき終えた。

 そのまま、放置することもできず、近藤を呼び出したのだ。


「俺は、理由を聞いているんだ」

 冷たい声音だった。


 視線を、彷徨わせる近藤だ。

 そんな態度に、芹沢が苛立つ。

 そして、そうした芹沢に、身を萎縮させていた。


「……た、体調が……」

 どうにか、近藤が、口に出したのだ。

「具合が、悪いのか?」

 胡乱げな双眸。


 芹沢が、近藤の身体を窺っている。

 普段と、変わらないように、思えるのだった。

 ただ、時より、動きが鈍くなることは感じていた。


「どこが悪い?」

「……」

 さらに、動揺が隠せない。

 あたふたとしているのだ。

 ソワソワとしている姿に、チッと舌打ちをする。

 身体を、強張らせていたのだった。


「聞いているんだ? それとも、俺には、言えないのか?」

 じっと、縮こまっている姿を、捉えている芹沢。

「……立ち眩みがして……」

「立ち眩み? 病院には、行ったのか?」

「……いいえ」

 か細い声だ。


 ますます、理解できない芹沢。

 病院へ、行かせないほど、悪い上司ではなかった。


 いっこうに、頭を上げない近藤だ。

 怪訝そうな眼差しを傾けている。

「今すぐに、行け」

 命じても、動こうとはしない。


「聞こえなかったのか?」

「……」

 眉を潜め、迷子の子のように、立ち尽くしている近藤を捉えている。

「子供じゃあるまいし、病院が、嫌いとは、言わないよな」

「……はい」


「じゃ、なぜ、行かない?」

「……」

「俺は、聞いているんだ。答えろ」

 強い口調で、問い質していた。


 黙ったままだが、口は何度か、微かに動いていたのである。

 話そうとする意志は、あったのだ。

 ただ、動かすたびに、すぐに止まっているだけで。


「黙っていては、わからないだろう。何か言え」

 どこか呆れた声音が、混じっていた。

「……たぶん、妊娠しています」

 意を決した近藤の吐露に、フリーズしている芹沢。


 チラリと窺い、すぐさま、近藤が、視線をはずしてしまった。

 黙ったまま、唇を噛み締めている。


 いつも動じない男が絶句し、すぐに言葉を発せられない。

 目の前が、真っ白になっていたのだ。

 これまで、感じたことがない虚脱感だった。

 ここに、恐れられていると言われる男がいない。

 茫然自失の状態で、辛うじて、立っているだけだ。


「……月のものも、来ていないので……」

「……いつから、気づいていた?」

「二ヶ月前から……です」


 力なく、芹沢が頭を抱え込む。

 その間、何度か、身体を重ねていたからだった。

 俺の子かも、言わない。

 近藤の腹に、宿っている子は、自分の子しか、あり得なかったからだ。


「なぜ、言わない」

「……どういえば、いいのか、わかりませんでした」

 これ以上ないぐらいに、近藤が消沈している。

 そうかもと抱いた瞬間から、悩んでいたのだった。

 どう、芹沢に、伝えればいいのかと。


 ふと、近藤の腹部を、芹沢が見てしまった。

 いつもと、変わらないように思える。

 けれど、そこに、子供が宿っていたのだった。


 芹沢にとって、初めての子である。

 妻との間に、子は授かっていない。

 これまで関係を持った女たちも、妊娠することはなかったのだ。


 卸された芹沢の拳。

 ギュッと、握り締められている。


 二人の間に、沈黙が、流れていた。

 部屋の外の雑音も、ないほど、静かだった。

 二人の息しか、耳に入り込んでいない。


 芹沢の脳裏に、妻祥愛の顔が浮かぶ。

 優しく、微笑んでいた。

 身体が弱く、寝たきりの日々の方が多かった。


 目の前にいる、顔を伏せ気味な近藤の姿を窺う。

「……下ろせ」

 ビクッと、身体を震わせる近藤。


 言われると、わかっていても、ショックが隠せない。

 芹沢に話せば、下ろせと命じられることは、妊娠したかもと抱いた時、確証していたのである。ただ、目の前で言われると、思いの外、心を揺さぶられたのだった。


「……はい」

 それ以外の返事が、できなかった。

 芹沢の元を、離れたくなかったからだ。


「手配はしておく。用意でき次第、病院にいけ」

「……はい」

 全然、反論を示さない近藤を、見下ろしている。

 顔を伏せているせいで、窺うことができない。

 だが、想像は、できていた。


「恨むなら、俺を恨め」

「いいえ。しません」

「……仕事は休め」

 休めと言う芹沢の指示に、顔を上げ、目が見張っていた。


「そんな状況で、できる訳ないだろう」

「できます。やらせてください」

「……近藤」

 無茶を言う近藤を窘めた。


 諦められない姿に、溜息を吐く。

 呆れられても、これだけは、譲れなかったのだ。


「お願いします。芹沢班長」

 深々と、頭を下げ、お願いしている姿に、苦虫を潰したような顔になっていた。

「……大丈夫なのか?」

「大丈夫です。もう、失態はしません」

 悲壮感溢れる近藤の背中。

 ただ、食い入るように、見つめている。


「……わかった」

 芹沢との約束を守り、その後、近藤は仕事で、失態をみせる姿を見せなかった。

 誰にも気づかれないように、芹沢が、手配ができたと告げ、密かに、近藤一人だけが、芹沢が用意した病院に、訪れていたのである。




 薄暗い手術室のベッドに、横たわっている近藤。

 虚ろな瞳で、煌々と、輝いているライトを眺めていた。


 照らされている近藤だ。

 急な出産が入り、手術室には、近藤以外、誰もいない。


 近藤の腕には、点滴が繋がれていた。

 隣の手術室では、緊急の帝王切開が、行われていたのである。

 忙しない医師や、看護士の声だけが、聞こえてきた。

 そして、生まれただろう、赤ん坊の大きな泣き声が、響いていたのだ。


 不意に、近藤の瞳から、一筋の涙が流れていく。

 芹沢は、病院にいく近藤に、ついていかなかった。

 今、この時間帯は、最愛の妻と、時間を共にしていたのだった。


 口がキツく、結ばれたままだ。

 微かに、唇が震えている。

 高ぶる感情が、これ以上溢れ出ないように、瞳を閉じたのだった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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