第119話 近藤と芹沢1
小栗指揮官の部屋から、近藤が出てきた。
その顔は、とても青白い。
沈痛な面持ちで、歩き出す。
その背中に、活力が、感じられなかった。
待機部屋に戻らず、誰もいない休憩室で、ぽつんと佇んでいる。
物思いに、耽っていたのだった。
あのままの状態で、戻れなかったのである。
(とうとう……、出てしまった……)
キツく、瞳を閉じた。
陽炎のように、先程の光景が、浮かび上がっていった。
小栗指揮官からの命令が、何度も、リフレインされていたのだ。
唇を噛み締めていた。
その口で、下された命令を承諾したのだった。
覆すことができない事実。
(私は……)
とても、現実に、起こったこととは思えない。
小栗指揮官からの命令が、夢うつつな感じに思えて、しょうがなかった。
廊下を歩いている芹沢は、ガラス越しに近藤を捉える。
立ち止まった。
そして、食い入るように眺めていたのだ。
(近藤……。何をやっているんだ?)
呆然と、惚けていた。
今まで、こんな姿を、見たことがないほどだ。
不意に、休憩室に、芹沢が入り込む。
足が、勝手にそうしていたのだった。
全然、気づかないで、虚ろな眼光をしている。
「……」
珍しい近藤の姿。
声をかけずには、いられなかった。
「どうした?」
唐突な芹沢の声で、我に返る近藤。
ビクッと、身体を震わせ、あどけない双眸を傾けている。
そんな近藤の仕草。
芹沢が、小さな笑みを漏らしていた。
「珍しいな。そんな顔を見せるなんて」
「……」
視線をはずし、黙り込んでいるしかない。
「……随分と、沈んでいるな」
「……」
「ま、俺たちのせいか」
「……」
悪びれる様子がない。
ただ、笑っている。
そうした顔だけみれば、昔に、戻ったようだった。
現実は、とても残酷だ。
下ろされた眼光。
捉えているのは、虚ろな近藤だった。
「……この前、問い質しに来た威勢は、どこへいった?」
「私に、そうしたものなど……」
視線を、宙に彷徨わせていたのだ。
「ちょうど、二人っきりなんだ? いいのか、この機会を逃しても?」
問いかけられても、双眸が伏せてしまう。
逃げている、近藤。
それに対し、芹沢は折れない。
ただ、突き進んでいく。
「つまらないな、今日の近藤は」
「申し訳ございません」
「……昔と、わからないな。もう、うじうじと悩むのは、やめろって言ったはずだが?」
「……」
「なぜ、命令違反をする?」
「……」
じっと、狼狽えている近藤を、見据えたままだ。
「何に、悩んでいるとは聞かない。俺はもう、班長ではないからな」
突き放す芹沢。
けれど、眼光は、まっすぐに近藤に注がれている。
「……」
何度も、突き放された言葉を言われても、慣れることができない。
また、傷ついている。
心が痛く、顔が歪みそうになっていた。
だが、懸命に堪えている。
「……まっすぐに、前を見て、進め。それが、お前の道だ」
顔を上げ、目の前に立つ、ふくよかな芹沢を捉えている。
その双眸は、とても揺れていた。
「もう、迷うな。突っ走れ」
「……」
「もう、お前自身の歯車は、動いているんだ」
「……」
笑っている芹沢だ。
ふと、芹沢の瞳に、近藤が愛用している柄が映っていた。
「何度も、言わせるな。もう、捨てろ。そんなものは」
あごで、柄を指す。
緩慢とした動作で、柄を持ち上げた。
以前、芹沢が、使っていたものだった。
二人が、銃器組に所属していた際、何度も、柄を壊していた近藤に、ズシリと重みがある愛用している、自分の柄を渡したのだ。それ以来、携帯している柄を、壊すことがなくなった。
「申し訳ございません。……私には、ピッタリと、合っているようです」
近藤が持っている柄を、勝手に取ってしまった。
けれど、何も言わない。
ズシリとする柄の重みを、確かめる。
懐かしい重さだった。
「合っていても、もう捨てろ」
無言のまま、芹沢の手から奪い取った。
大切なものを、奪われないように。
「……お断りします。もう、これは、私のものです」
「俺と、やり合っても、それを守るか?」
いたずらげな笑みを、漏らす。
だが、その瞳の奥に、獰猛さを漂わせていた。
視線を剥がすことなく、見つめている近藤だ。
「……はい」
小さな声だが、はっきりと言い切った。
「……そうか」
見つめ合ったまま、互いに、過去の記憶に誘われていった。
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