第118話 命令が下る
小栗指揮官から、近藤が呼び出されていた。
室内は、二人だけだ。
軽い挨拶をしただけで、お互いに、何も喋ろうとしない。
物静かだった。
小栗指揮官の性格を現すように、室内には、華美のものや、無駄なものが、置かれていなかった。
とても使い勝手のいい、仕様になっていた。
そうした雰囲気が、余計に二人を、寒々とさせている。
沈痛な空気だけが、その場に、流れていたのだ。
目を伏せ、立ち尽くしている近藤。
それに対し、小栗指揮官は、遠く見るような視線を巡らせていた。
二人は、いっこうに、視線を合わせようとしない。
ただ、口を閉ざしていたのである。
重苦しい雰囲気を破ったのは、小栗指揮官からだ。
「……芹沢と新見は、どうしている?」
覇気のない声音だ。
「変わらないです」
「そうか。たまには、顔を出しているのか?」
「はい」
「沖田は、どうしている?」
「真摯に、仕事をしております」
「そうか。他のみなは、どうだ?」
「近藤隊では、いつもと変わらず、仕事をしております」
「他、二つの隊は?」
「それは……。それぞれの隊の隊長の意向も、あるので……」
何とも、言い難い返答しかできない。
深泉組の待機部屋に、芹沢隊や新見隊が、残っていなかったのだ。
いたとしても、一人か、二人しかいない。
そんな状況が、続いていたのである。
「……そうだな」
何気ない、小栗指揮官の質問に、近藤が、ただ答えていくだけだった。
そして、終わってしまう。
閉じてしまった、二つの口。
胡乱げに視線を、巡らせている小栗だった。
また、しばらく、二人の間に、沈黙を訪れる。
近藤が、入室してから、小栗指揮官の瞳が、揺れていたのだ。
居た堪れない小栗指揮官が、深く息を漏らす。
小栗指揮官自身が、呼び出したはずなのに、ソワソワと落ち着かない。
「……井上の様子は、どうだ?」
「回復しているようです」
「あまり、無理をさせないように」
「はい」
以前にも、こうした内容を、報告していたはずにもかかわらず、似たような質問を投げかけていたのだった。
近藤自身も、以前、報告しましたと、指摘することもなく、真面目に答えていったのだ。
「……近藤。お前は、今回の件、どう思う?」
ようやく、本題を切り出した。
とても、苦しげな顔を、滲ませている。
芹沢が、鶴岡屋を始めとする商屋を襲った件で、上層部を駈けずり回り、心身ともに疲れていたのだった。
休息も、取らなかった。
取る余裕なんて、一切なかったのである。
同様に、近藤も、青白い表情を漂わせていた。
けれど、部下たちに、詳細を調べるように命じただけで、今回は動き回っていない。
ただ、自分の席に、ほぼ腰掛けていたままだ。
疲れている小栗指揮官とは違い、肉体的な疲労がない。
「……わかりません」
「わからないとは?」
「言った意味、そのままです」
「今に、始まったことでは、ないだろう?」
「ですが、芹沢隊長なりの拘りが、今までは、あったかと存じます。……鶴岡屋に関して……、わかりません」
か細い声で、自分の思いを吐露した。
静かに、耳を傾けていた小栗指揮官。
伏せていた顔を上げ、虚ろな近藤を見上げている。
「拘りか……」
「はい」
近藤同様に、小栗指揮官も、同じようなことを感じていたから、芹沢を切る真似をしてこなかったのである。
「ま、確かに、あれの思考が、理解できなくても、微かに、感じることができたな。だが、今回は、評判のいい鶴岡屋だ。辛うじて、薄汚れた部分が、見え始めてきたが、それが、真実か、どうかは、関係ないところまで、来たように感じる」
徐々にではあるが、鶴岡屋たちの評判に、汚れが出始めてきていた。
だが、それ以上に、芹沢たちの評判が、酷い状況まで、落ち込んでいる。
もう、身動きが、取れないほどだ。
けれど、追随を許さないほどの、力の持ち主である芹沢に、誰も、ひれ伏している状況で、その鬱憤が、深泉組に集まって、きていたのだった。
「……」
「……やり過ぎた。都の評判が、すこぶる悪い。もう、どうしようもないな」
「……」
やや顔を伏せ気味の近藤だった。
「何か、打ち消す事件がないか?」
楽観的な口調だった。
その表情は、険しいものを覗かせている。
「……」
ある訳ないとわかりつつも、尋ねるしかできない。
藁にも、すがるような気分だったのだ。
口の重い近藤を、見入る小栗指揮官だった。
(私以上に、心労を重ねているようだな)
ここに来て、自分以上に、顔色が、優れない近藤の姿を、ようやく目にし、気づいたのだ。
入室しても、芹沢たちのことで、頭がいっぱいで、自分以上に、酷いあり様の近藤のことを、今まで顧みることができなかった。
(私以上に、芹沢とは長いからな)
「大丈夫か? 近藤、ちゃんと、睡眠は取っているのか? 酷いあり様だぞ」
「少し、とっています」
「無理をするな。お前がいなくなると、深泉組が、立ち行かぬからな」
「そんなことは、ありません。土方が、おります」
揺るがない双眸を、巡らせている。
絶大な信頼を、寄せていると言う意味合いだ。
だが、そうした近藤の意見に、軽く首を振る小栗指揮官。
「……あれは、硬過ぎる。もう少し、融通を利かせてほしいものだ」
「……確かに、融通が利かないところも、ありますが、周りを見える目は、確かです。それに、剣の腕も、持ち合わせております」
真摯に、土方の評価を、口にした。
自分がいなくても、土方ならば、何とかしてくれると言う思いを、抱いていたのである。
「そうだな……」
近藤の意見に、耳を済ませ、逡巡している小栗指揮官である。
けれど、小栗指揮官から見た、土方の評価が、上がる余地がない。
(土方と山南は、融通が利かな過ぎる。もう少し、柔軟さが、必要だ。それに、斉藤は……。そうすると、島田は……、あれは、少しやる気が、足らないからな。あれで、もう少し、やる気が備わってくれば……、もう少し、上に上がれるのに……。どうも、上手くいかないものだ)
上手くいかぬ現状に、嘆息を漏らした。
珍しく、小栗指揮官が、椅子の背に背中を預ける。
そして、天井を見据えた。
「……庶民からの評価は、崩せないな」
返答が、返ってこない。
近藤自身も、そう思考するからだ。
「……もう、どうすることも、できぬな」
苦しげな小栗指揮官の声音だ。
「……な、近藤」
言葉を切り、真剣な眼差しで、目の前の近藤を見据えていた。
「芹沢は……今後、必要か? 必要ではないか?」
突きつけられた問いかけ。
衝撃で、近藤が、フリーズしている。
まっすぐな双眸。
強張っている近藤を、注いでいた。
微かに、近藤の唇が、震えている。
残酷な問いかけを、引っ込めようとはしない。
ただ、小栗指揮官が、見つめていた。
下ろされている拳。
ギュッと、握り締められている近藤だった。
「……必要……」
辛うじて、言葉を出した。
黙り込んで、答えを待つ小栗指揮官。
「……ではないです」
ようやく、最後まで、口に出した。
「そうか。私も、そう思う」
「……」
二人の意見は、一致した。
虚ろな瞳で、立ち尽くしている近藤だ。
長い息を吐き、小栗指揮官が見上げる。
「近藤隊に命じる。芹沢加茂、新見尓織、両名を殺せ」
「……」
絶句し、さらに、顔色を悪くしていた。
気づいているにもかかわらず、命令を撤回しようとはしない。
確固たる意志が、小栗指揮官にはでき上がっていた。
どんな手段を用いても、深泉組を守ると言う意志だ。
「ただし、少数精鋭で、密かに、処分すること。その際、芹沢隊や新見隊に、多少の犠牲が出ても、構わない。だが、確実に、見た者は、息の根を止めろ。そして、絶対に、知られるな、いいな。選抜するメンバーにおいては、近藤に委ねる。健闘を祈る」
一気に、命令を吐き出した。
「……承知しました」
それ以外の言葉が、出てこない。
「「……」」
敬礼をしてから、早急に、部屋から、出て行く近藤だった。
その後ろ姿を黙ったまま、小栗指揮官が見送っていたのである。
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