第117話 身動きできない状態
庶民からの目が厳しくなり、原田班や永倉班は、警邏軍のビルに、連日、寝泊りをしていたのである。
飲みに歩いても、断られたり、断られたくても、客たちから、蔑む双眸を傾けられ、居た堪れなさを巡らせていたのだった。
そのため、寝泊りできるスペースが、完備されている警邏軍のビルに、避難していた。
けれど、そうしたスペースを使用せず、訓練場で、雑魚寝状態で好き勝手に、酒盛りをしていたのだ。
訓練場の一室が、原田たちの住居スペースになりつつあった。
食べたり、飲んだものが、あちらこちらに、乱雑に置かれ、服も、無造作に放置されていたのである。
私物の山が、でき上がっていた。
そうした状況に陥っても、副隊長である土方は、眉間にしわを寄せるだけで、何も言わない。
怒る暇さえなかったのである。
隊長の近藤に至っては、沈み込んでいるようで、何も言ってこなかった。
訓練場の中央で、原田と井上が座り込み、酒やお茶を飲みながら、話し込んでいた。
原田班の他のメンバーは酔い潰れ、訓練場の隅の方で、熟睡している。
永倉班は、ここにはいない。
どこかへ、消えていたのだ。
「いつまで、こんなことが、続くんだ?」
ぼやきが、止まらない原田だ。
何とも言えない顔を、井上が覗かせている。
こうした状況に、井上自身も、辟易していたのだ。
庶民の奇異な眼差しが、いっこうに収まることがなかった。
逆に、ますます酷い状況に、陥っていたのである。
「本当ですね……」
嘆息を漏らした。
発端を作った芹沢は、何食わぬ顔で、自由に行動していた。
誰も、何も言わなかったのだ。
強い芹沢を恐れて。
ますます、原田が苦虫を潰した顔になっている。
「……顔が、怖いです」
「しょうがない」
「ある意味では、芹沢隊長の、いつもの行動ではないですか? ただ、襲う場所が違って、いつもよりも、行き過ぎていましたけど……」
慰めになっていない。
射抜き殺すような眼光を、原田が光らせている。
乾いた笑いしか、出てこない。
「……ごめんなさい」
素直に謝る井上。
僅かに、溜飲を下げる。
怒りの相手が、違っているからだ。
そして、その相手に、原田自身が、敵わなかったのだ。
自分が弱かったせいで、可愛がっている井上に、大ケガをさせたばかりだった。
そのせいもあり、無謀な真似もできない。
チラリと、井上が窺うと、お茶を飲んでいた。
彼らの周りに、大量の酒と、完治しつつある井上のために、お茶やジュースが置かれていたのである。
食べ物は、軽いつまみしかなかった。
「……隊長たちの様子は、どうだ?」
「相変わらずです。近藤隊長は難しい顔で、座ったままです」
眉が、八の字になっていた。
「機能していないって、ことか」
「……はい。土方副隊長の腕に、何かと乗りかかって、いつも以上に、機嫌が悪いです。当分は、近づかない方が、賢明かと思います」
先ほどまで、待機部屋に赴き、井上は内部の様子を偵察していたのだ。
わざわざ、雲行きが怪しい場所に、行きたくはなかったが、原田なりに、隊のことが気に掛かっていたのである。
「だな。カイ辺りが、手伝っているのか?」
「はい。カイさんも、そうですが、斉藤班長や沖田さん、山南班長たちも手分けして、仕事をこなしています」
意外過ぎる名に、訝しげな顔になってしまう原田だった。
山南辺りは、外回りの仕事に回っていると抱いていた。
それが、近藤や土方の仕事を、手伝っていることに、驚きが隠せない。
「……山南も、手伝いしているのか?」
「はい。さすがに、近藤隊長の落ち込み具合が……」
言葉を濁し、自分たちの待機部屋の方へ、井上が視線を巡らした。
そこでは、黙り込んだまま、動こうとしない近藤の姿があったのだ。
待機部屋に姿を現すものの、自分の席に腰掛けたら、一言も喋らず、座ったままだった。
そんな状態が、毎日続けられていたのである。
当初は、土方が仕事の指示を聞いたり、でき上がった物を、近藤に渡していたのだが、受け取っただけで、手付かず状態になっていたのだ。
それを見兼ねて、土方たちが、近藤の仕事を代わりに行っていた。
「酷い状況だな。いっこうに治る気配がないのか?」
「はい」
定期的に、井上を待機部屋に行かせ、状況を把握している。
「相当、参っているようだな」
どこか呆れた顔を、原田が滲ませていた。
「はい……」
顔を暗くし、伏せ気味な井上。
心の底から、近藤のことを、案じていたのである。
「あそこは、随分と、鬱蒼としていそうだな」
「あまり、そうではないです」
目を丸くし、顔を上げた井上を窺っていた。
その顔に、憂いた様子が見えない。
「どういうことだ?」
「沖田さんの存在が、大きいですね。笑顔で、みんなに、話しかけたり、凄い量の仕事を、こなして、場を明るくしていました」
感心の声を、漏らしている原田だ。
その口が、僅かに開いていた。
ふと、その脳裏に、どんな時でも、微笑みを絶やさない沖田の姿を、掠めている。
マヌケな顔を、披露していることに、気づかない原田だ。
井上が、小さく笑っていたのだった。
「……何か、想像できるな」
「そんな感じです」
「仕事が、大変で、近藤隊長も、落ち込んでいますが、部屋自体は、普段通りな感じです」
微かに、井上の顔も明るかった。
いろいろなことがあり過ぎたが、悪くない状況に、原田自身も、安堵するのだ。
「そうか。それはよかった」
「はい」
「でも、戻ったら、仕事を振られそうだから、まだ、行かない方がいいな」
「サノさん……」
窘める井上の言葉を無視し、グビッと、酒を飲み干した。
いたずらな笑みを、漏らしている。
「その方が、上手く行く」
「でも……」
「せっかく、山南たちが手伝っているんだ。余計なお邪魔虫は、いない方がいい」
盛大な溜息を、零した井上だった。
原田の意見に、一理あったからだ。
茶目っ気たっぷりに、笑ってみせる原田である。
「俺たちは、ここでおとなしくしている」
班長命令に、渋々といった顔を覗かせ、頷いた。
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