第113話 彷徨う子羊
深夜遅くに、自宅に戻った近藤。
彷徨う双眸で、生活感のない部屋を見渡した。
いつもよりも、早く戻ったからと言って、誰か、待っている訳ではない。
静まり返っている部屋に、落胆の色が隠せなかった。
不意に現れた、姉がいるのではないかと、掠めていたのである。
そして、結果は裏切られた。
ふっと、自嘲気味な笑みしか漏れない。
窓に映る、自分の顔を窺う。
過ぎるのは、姉智巳のことだ。
姉の幻影と、窓に映る、自分の顔を重ねる。
重なり合うことがない。
双子の姉智巳とは、全然、顔が違っていた。
性格も、真逆だったのである。
「……バカだな。姉さんがいる訳ないのに……」
数年ぶりに、会った姉の智巳。
会ったせいで、姉のことを求めてしまう。
「迷惑なだけだろう……」
子供の時に、別れて以来、会っていなかった。
居場所さえ、知らなかったのである。
現在も、詳しい居場所はわからない。
けれど、自分とは、敵側にいることだけは、わかっていたのだった。
姉の言動によってだ。
詳しく、調べようとは思わない。
自分と、かかわりを持ちたくないのが、姉の意志であると、確信しているからだ。
だが、今は、姉にいてほしい、会って、話を聞いて貰いたいと言う衝動に、駆られていたのだった。
「姉さんの性格からして、会ってくれないだろうな……」
苦笑している近藤だった。
突然の姉の来訪も、原因の一つでもあるが、いろいろな出来事が重なり、頭の中が複雑に入り組んでいたのである。
解決する糸口が、見つからない。
解決する予感すら、抱けなかった。
ほぼ、何もない部屋を、グルリと巡らせる。
(自分の頭も、こんなふうに、何も、なければいいものを……)
実際は、小さな頭の中に、いろいろなことが、詰め込められていたのである。
決して、整理できないものばかりを。
軽々しく捨てられないせいで、ここまで来たようなものだ。
息苦しさを、漂わせる息を零す。
深泉組では、仕事が山のように残っていた。
ほとんど仕事に、手が出ない出来事を抱え、仕事に、支障を来たしていたのである。そうした中が、土方たちが何も言わず、近藤をカバーしていたのだった。
そうした状況を、近藤なりに把握し、自身がパンクしそうになったので、土方たちに仕事を任せ、家路についたのだ。
だが、状況が変わることがない。
思考の整理が、つかないのだった。
どこから、手をつけていいのかも、見当がつかないほどだ。
思わず、盛大な溜息を吐いた。
帰宅しても、着替えることもなく、ベッドに腰を下ろす。
どこか、肩も、下がりがちだった。
智巳にも、生活感がないと叱られたにもかかわらず、物を増やそうとはしない。
時間もないと言うのも、一つの理由だったが、最大の理由は、何を買っていいのか、わからなかったのだ。
虚ろな眼光を、浮かべていた。
底が見えない思考の渦に、囚われている。
そのせいで、仕事の手も、止まりがちだ。
幾度目かの、嘆息を零した。
ふと、めったに開けない、引き出しに、視線を巡らす。
以前、来た際に、智巳が置いていった物が入っていた。
手がつき難い、大量の小さな宝石類だ。
置く場所に困り、無造作に、放り込んでいたのである。
今の自分にとっては、不要なものだった。
姉に貰ったものを、容易く捨てることもできない。
「使ったところで、何も、変えられない」
大量の金をつぎ込んでも、今の状況を変えるのは、難しかったのである。
そこまで、深泉組の立場が、追い込まれていたのだった。
次第に、思考を埋め尽くすのは、かつての上司だった芹沢のことだ。
今回の一件は、皆目見当もつかない。
普段も、皆目つかないことをするのに、今回はそれに輪をかけ、理解不能な出来事だった。
理解を求めようと、芹沢に会いにいったが、回答を得ることができなかった。
逆に、突き放され、落第してしまった。
その時の光景が、ありありと蘇ってくる。
芹沢からの評価が落とされ、あたふたとしてしまい、ついつい声音が硬くなってしまっていた。
(どう行動すれば、よかったんだ? 私は、あの人のことが、わからない……)
冷静になろうと、心を落ち着かせようと試みる。
いつもは、悪いことをしている商屋から、金を巻き上げていた。
けれど、今回は庶民から慕われ、愛されている鶴岡屋から、金を巻き上げた挙句、店主を殺し、店を焼き払ってしまったのである。
決して、ただで済まされないことだ。
そして、許される行為ではない。
(なぜ? いつもとは違う行動を、とったんだ? ……わからない。わからないです、芹沢班長)
鶴岡屋を始めとする、襲われた商屋を、調べることも禁じられ、見張られていたのである。
近藤としては、打つ手がなかった。
少しでも、情報を集めるように、部下たちに命じ、状況を掴もうと、試みている最中だった。
だか、芳しくない。
庶民からも、いつも以上に、好奇な目に晒され、情報を得ることが、難航していたのである。
悪いことを、少しでも、頭から払拭させようと、頭を振った。
消えることがない。
逆に、増すばかりだった。
止め処ない、嘆息を吐く。
部下たちの行く末を、慮ってしまった。
徐々に、都の治安が、悪くなっている状況を。
そして、自分自身の居場所をだ。
悪さをしているところで、金などを巻き上げていたこともあり、辛うじて、深泉組が潰されることがなかった。
だが、今回ばかりは違う。
いつもに増して、潰される可能性が、大きかったのだ。
(ここで、潰される訳にはいかない。居場所を、失いたくない……)
「……私は、どうすればいい……」
苦しげな声音だった。
このままいけば、居場所を失うのだった。
そう巡らせるだけで、高ぶる感情。
次第に、近藤の瞳が、変わっていく。
深紅に、染まっていった。
突き抜けていく感情に、ヤバいと抱き、感情をコントロールし、押さえ込む。
こんなところを、誰かに、見られる訳にはいかなかった。
咄嗟に、瞳を閉じる。
大きく、深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせた。
和らいでいく感情。
鋭利な感覚から、穏やかな感覚になっていく。
ゆっくりと、瞳を開けていった。
いつもの黒の瞳に、戻っていたのである。
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