第112話 御茶屋での遭遇
人と会うため、御茶屋に出向いた岩倉たち。
これで、三件目だ。
疲れた顔を、窺うことができない。
平然と、鷹司と岡田を伴って、回廊を歩いていたのだった。
回廊は、薄ぼんやりとした、灯りしかない。
上を見上げれば、やや月が、厚い雲で隠れていた。
各部屋の騒々しさが、耳に流れ込む。
人の声や、歌声、太鼓や笛の音など、様々だ。
そうしたところを歩いていると、一段と、賑やかな音が響いていた。
そうした雑音に、惑わされることもない。
ゆったりと、そして、自信溢れる足取りだった。
突如、先頭を歩いている鷹司が、ビクッと、身体を震わせる。
岩倉の背後にいる岡田が、徐に顔を顰めていた。
「どうしたの?」
首を傾げ、声をかける岩倉。
若干、鷹司が上擦っている。
「あっ、いえ……」
歯切れが悪い様子に、前方に顔を巡らせる。
すると、前から、部下二人を引き連れた、深泉組の芹沢を捉えたのだった。
立ち止まっている岩倉たちの前で、芹沢も、足を止める。
奇妙な巡り合わせに、僅かに芹沢の表情が動いた。
両者とも、御茶屋の出入りが多いが、対面したことが、今までなかった。
偶然の産物に、一体、どんな顔をしていいのかと、抱いていたのである。
「「……」」
両者とも無言で、視線が交錯している。
理解していないのは、平山と平間だけだ。
彼らだけが、岩倉の正体に、気づいていない。
ふっと、岩倉の空気が和らぐ。
「初めてお会いしますね。深泉組の芹沢殿」
ニッコリと、微笑む。
それに対し、鷹司の形相が、酷く歪んでいた。
まさか、この御茶屋を芹沢が使用しているとは、思ってもいなかったのだ。
自分の調査不足に、唇を噛み締めている。
面倒な人間と、鉢合わせしないように、常に鷹司が、調整していたのだった。
チラリと、岡田のことを見定めてから、艶やかさを絶やさない岩倉に、視線を戻した。
時間にしたら、ほんの数秒だ。
けれど、その数秒で、岩倉の背後にいる人間を把握したのである。
闇の四天王の一人岡田依蔵だと。
「俺のことを、知っているとは、光栄だな。毒婦殿」
ニカっと、笑って見せる芹沢である。
毒婦と言う響きに、さらに顔を険しくなっていく鷹司だった。
言われた当人は、全然、表情を崩すことがない。
ただ、笑みを覗かせているだけだ。
「私の事も、ご存知のようね」
「ああ」
そっけない返答だ。
互いに、視線をそらそうとしない。
平山と平間は、胡乱げだ。
笑みを携えている岩倉を、眺めているだけだった。
「私、一度、芹沢殿に、お会いしたいと思っていたの? こうして、お会いできて、とても嬉しいわ」
親しみを込めた眼差しを、岩倉が送っている。
だが、芹沢が靡くことがない。
とても、淡白な声音だ。
「そうか。会ってみて、どうだ?」
「とても、面白い方ね」
芹沢の眼光の奥が、きらりと光っている。
射抜き殺すかのようだ。
矜持だけで、立ち尽くしている鷹司。
負けん気だけで、対抗している岡田だった。
けれど、岩倉の表情に、変化が訪れない。
(獰猛な眼差しだこと。よく、こんな男を、未だに忘れずにいるわね。……確かに、強い男ね、体中のあちらこちらから、漲る力が溢れているわね。ここまで、止めどなく放出している男を、今まで見たがない。けれど、私なら、この男を、選ぶことがないわ。だって、容易に制御できないもの。私にとっては、使えない男だわ。もっと、使える男を選ぶべきね)
「まさか、興味を凭れているとは、思わなかった」
「そうかしら? だって、私のところにも、芹沢殿の噂が耳に入るのよ。興味ぐらい、持ちますわよ」
さらに、岩倉が愛らしく微笑んでみせた。
思わず、目を細める芹沢。
そうした笑みを目にし、どこか同じように、微笑む沖田と重ね合わせるのだった。
(こいつも、相当なバカモノだな)
得体の知れなさを、感じ取っていたのである。
細く滑らかな肌を捉えていた。
(一体、どこから、出てくるんだ?)
逡巡しているが、いっこうに解答が得られない。
徐々に、怒気を膨らませていった。
目の前の相手に、自らの情報を与えないため、その表情が表に出ることがない。
ただ、ふくよかな頬を上げていたのである。
「面白い話ではなかろう」
「えぇ」
「それで、興味を持つのか?」
「えぇ」
「変わったやつのようだな」
「そうかしら?」
妖艶な仕草を、窺わせる岩倉。
ぞくりとする平山と平間。
だが、至って芹沢は変わらない。
ほのかに、ピンクに染まった頬が、上がったままだ。
「毒婦殿は、どの辺に、興味を持たれたのか?」
窺うような視線。
意に返さない岩倉である。
互いに、微笑み合っていた。
ますます周囲の空気が、張り詰められていった。
「そうね……。悪行を起こしても、未だに、深泉組に在籍していることかしら? だって、いつ、クビになっても、おかしくないでしょう? それなのに、捕まらず、放置されている状況に、きっと、周りの人が手を使って、押さえているってことでしょ? 随分と、人望が厚いのねって思っているの?」
先ほどよりも、深く、艶やかな笑みだ。
この笑みで、幾人かの人間を、陥落させてきた。
「……そうか」
素知らぬ顔をしている芹沢。
芹沢には、通じない。
わかりながらも、笑みを覗かせたのだった。
どう反応するのか、岩倉自身、試したかったのだ。
(ホント、いやな男。少しは、動揺して見せたら、可愛げもあるものなのにね。あなたにも、わからないことがあって、苛立っているようね。どうして、わからないのかしら? あの子は、芹沢の前で、こんな顔も、して上げられなかったのかしら? それも、可哀想な男ね)
「一体、芹沢殿の、どこに、人望があるのかしら」
「「おい!」」
芹沢に対し、ぞんざいな口の聞き方をする岩倉に、掴みかかろうとする二人。
だが、芹沢が手を上げることにより、動きを完全に封じた。
岩倉の背後で、警護している岡田も、身構えている。
一触即発の雰囲気だった。
そうした中にいるにもかかわらず、芹沢と岩倉の表情が、そのままだ。
(面倒なことを、引き犯すな)
意のままに動かない二人に、不満を募らせていた。
そして、かつての部下たちを掠めている。
かつての彼らだったら、絶対に動いてはいなかった。
芹沢の意を汲んで、沈黙を通していたはずだ。
「おとなしくしていろ」
芹沢の命に、おとなしく従う二人である。
(いちいち、命じないと、受けないとは……、まだ、躾がなっていないな。少しは、目の前にいる岡田を見習って、貰いたいものだ。よく、躾けられている)
身構えていた岡田も、身体の力を抜いた。
「知らん。あいつらが、勝手にしていることだ」
「でしたら、捕まっても、構わないと」
「できるのならな」
余裕な笑みを、芹沢が漏らしていた。
「なかなか難しいでしょうね。芹沢殿を、捕まえるのは」
「だろうな。ところで、面白いものを飼っているな」
視線の矛先を、岩倉の背後に控えている岡田を捉えていた。
視線を巡らされ、うんざりした表情を、岡田が窺わせていたのである。
素直な岡田に、クスッと、小さく笑っている岩倉だった。
「えぇ。とても頼もしいですわ」
「そうか」
興味が失せたと、岩倉に視線を傾ける。
緊張が止まらない鷹司のことは、先ほどから放置し続けているが、岡田のことは、何度か、視線を巡らせていたのだった。
マジマジと見られても、岩倉の顔が強張らない。
むしろ、微笑みが、増しているようでもあった。
芹沢自身、何度か、岩倉に関しての情報を、耳にしていたのである。
先代の当主の養女であり、愛人だったことを。
真っ黒な彼女の経歴。
完全に、妖しいものですと、言っているようでもあったのだ。
八木でも、岩倉の以前の過去を、窺うことはできなかった。
それほどまで、詳細に隠されていたのである。
思わず、ほくそ笑む。
そして、意識を目の前の岩倉に戻した。
男を虜にするような、艶やかさがある笑みに、なるほどと、頷くことができたのだ。
(一体、何人の男を、虜にしたのやら)
不敵な笑みを零している。
ちらりと、窺うことができた鷹司も、その一人だと抱いたのだった。
(俺のことも、駒の一人に、加えようとしているのか?)
微かに、岩倉の瞳の奥に、軽蔑するような焔が、宿っていることを見逃さない。
微笑みを携えているものの、自分を嫌っていることを、沸々と、感じ取っていたのである。
(……違うな。それに、嫌っている? なぜだ?)
理由が不明だが、それが、気になってしょうがない芹沢だ。
嫌われる真似をした憶えがない。
(聞いたところで、惚けるだろうな)
岩倉との接点を、もう一度、巡らせてみるが、見つからない。
全然、目の前にいる岩倉と、接点など、なかったのである。
一度、見れば、忘れ去れないほどの妖艶さが、あったのだった。
けれど、興味を捨てることができなかった。
「前に、一度、会っているか?」
「いいえ。初めて、ここで、お会いしましたよ」
口角を上げる岩倉。
自分の知らない、何かを知っているかのような笑みだ。
虫唾が走るほど、ムカついている芹沢だった。
力もない、か弱い者が、笑み一つで、大きな力を持つ芹沢を、挑発していたのである。
(養女になる前の経歴が、不明だったな。その辺で、かかわりがあるのか? ……だが、会った記憶が、俺にもないな。なのに、なぜ? この女は、何もかも、知っているような顔をしているだ)
不満げになっていく背中。
ヒシヒシと、背後にいる二人は、肌で受け取っていたのである。
だが、決して、口にしない。
おとなしくしていろと、命じられたからだ。
バケモノのような、美しさを持つ者を、巡らせる。
けれど、結果は変わらない。
会ったことが、ないだった。
腑に落ちない芹沢だ。
悔しげに顔を歪めるが、鷹司と岡田は気づかない。
辛うじて、瞳が揺れていたからだった。
岩倉一人だけが、気づいていたのだ。
してやったりな顔を、僅かに覗かせている。
「ところで、毒婦殿は、いくつだ? 噂では、百歳とかいろいろあるが?」
「二十八よ」
ふふふと、ゆったりする笑みを漏らしている。
鷹司だけが、機嫌が悪かった。
「普通だな」
「そうよ」
「つまらない」
「それは残念。芹沢殿と、もう少し、お話をしていたのですが、待たしている人が、いるものですから、この辺で失礼いたします」
優雅な笑み共に、岩倉たちが、芹沢の前から、立ち去っていった。
勝ち逃げされた気分で、胸の中で、怒りの焔が燻っている。
悠然と歩く背中を、食い入るように、眺めている芹沢。
(もう一度、調べ直すか……。このままにしておかないぞ、岩倉智巳)
「隊長。あれは、誰です?」
「毒婦殿と、言っただろう」
毒婦と言われても、見当がつかない二人。
剣しか取り柄がない二人に、嘆息を吐く。
「……天帝家に仕える家臣、岩倉智巳だ」
「「あれが……」」
微かに、口が開きながら、行ってしまった方向を、凝視している二人だ。
男を虜にし、のし上がっていったとは耳にしていたが、実際に目にするのは、初めてだった。
岩倉自身、メディアなどの露出などが、極端に少なかったのである。
噂で流れることを、二人は鵜呑みにし、気の強い女を、想像していたのだった。
「噂とは違っていたが、確かに、あれじゃ……」
「そうだな」
頷く平山。
「行くぞ」
ようやく芹沢に促され、意識を、現実に戻したのだ。
歩き出した芹沢に、平山と平間が、ついていったのである。
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