第111話 おとなしくしていられない武市
謹慎している、武市が滞在している別荘。
武市がいる部屋には、彼の部下と武市、武市を警護している田中しかいない。
いつも傍らにいる秘書の江藤に、別な仕事を、任せていたのである。
そのため、ここ数日、武市たちとは、別行動にとっていた。
「奥様から、預かってきたものです」
目の前にいる部下が、武市の妻から、受け取ったバックを手渡した。
武市の妻のところまで行き、貰ってきたものだった。
定期的に、妻がいる家に、部下を行かせている。
自分のことを、気にかけている妻に、自分の近況を知らせるためだ。
勤皇一派の中でも、武市は愛妻家として知れ渡っていた。
それにもかかわらず、愛人を、幾人か抱えていたのだった。
部下が、武市の家に訪れるたび、妻は、武市の身の回りの服などを、部下に持たせ、武市の元に寄せている部下たちのため、手料理を振舞っていたのである。
武市の身の回りのものは、常に新しいものが揃っていた。
そして、机の上に、大量の重箱も、並べられていたのだった。
妻が、用意した身の回りのものだけを、受け取った武市。
「これは、皆で食べてくれ」
「ありがとうございます」
重箱を持って、部下が下がっていった。
黙々と、また、仕事を再開し始める。
瞑想している田中が、ソファに腰を下ろしたままだ。
程なくして、呼び寄せていた河上が、姿を現した。
田中同様に、闇の四天王の一人である。
平坦な顔を、覗かせている河上。
「仕事だ」
それに対し、武市も、無駄なことを言わない。
河上が現れても、田中は身動きしなかった。
ひたすら、瞑想に、耽っていたのだ。
「逃げ出した者を、捕まえてくれ」
僅かに、胡乱げな表情を滲ませる。
普段の仕事とは、違い過ぎるからだ。
「俺の仕事では、ない」
きっぱりと、吐き捨てた。
これまで、暗殺以外の仕事をしたことがない。
自分自身の仕事に、彼なりに、強い信念を抱いていた。
そして、河上が拒絶することは、武市の中で、想定内だった。
「めったな者に、頼めない」
河上の目が、一段と細くなる。
まだ、納得できない。
「依頼人は、とても上の方だ」
「だからと言って、探索に向いているやつは、いくらでもいるだろう?」
「確かに。だが、他の者に、知られたくない」
微かに、眉が動く河上。
目の前の武市を、捉えたままだ。
「捕まえるのは、逃げ出した半妖だ」
河上も、瞑想していた田中も、武市の言葉に絶句している。
徐々に、武市に対し、嫌悪感を滲ませていった。
部屋の中では、誰も、言葉を発しない。
重い空気だけが、漂っていたのである。
しばらくしてから、無茶振りな武市に、河上が嘆息を吐いた。
「本気なのか?」
「本気だ」
上層部に、内緒で仕事をしている武市の立場が、悪くなる一方だったからだ。
彼らなりに、自分たちに仕事を与えてくれる武市を、危惧していたのである。
勤皇一派において、裏で活動している者たちを、奇異な、それに、憎悪な目で見られることも多々あった。けれど、武市はそうした目で、見ることもなく、普通に接してくれていたのだ。
その恩義で、忠告していたのである。
自分が置かれている状況を、理解しつつも、淡白な武市だった。
「わかっているのか? 今回だって、無断で仕事をしたせいで、状況が悪化しているんだぞ」
「知っている。それが、どうした?」
悪びれる様子がなかった。
平然としている武市。
黙っている田中が、溜息を零していた。
ただ、ただ、開いた口が塞がらない。
「少しは、おとなしくしているってことが、できないのか?」
「できない」
「……」
まっすぐに、怪訝そうな河上に、双眸が注がれている。
揺るがない意志が滲んでいた。
軽く息を吐き、首を竦めている。
静観している田中に、声をかける河上だ。
「黙っていないで、何か言ったら、どうだ?」
「私は、護衛を頼まれただけだ」
田中の言葉に、河上が渋面している。
これ以上、話しても無駄だと諦めた。
けれど、持ち込まれた仕事を、するつもりがない。
「……岡田は、どうした? あいつなら、何でも、引き受けるだろう」
「まだ、岩倉殿のところだ」
胡乱げな眼差しを、覗かせてしまう。
もうすでに、戻ってきているものと、思っていたのだ。
「随分と、気に入られているな」
気にいられている状況に、何とも言えない顔をみせていた。
そして、未だに戻ってこない状態に、若干、羨ましく思えるのだった。
このところ、勤皇一派の内情が、殺伐とした空気になっていたので、うんざりしていたのだ。
そうしたところにいない岡田と、交代したいと、抱いてしまったのだった。
「そうすると、河上しかしない」
盛大な溜息を、河上が漏らした。
武市の眼光が、嫌がる河上を捉えたままだ。
変えるつもりがない武市に、無駄とわかりつつも、反発する。
「騒がれると、厄介だぞ」
「できるだけ、穏便に、捕まえてくれ」
「穏便って、あいつらだって、必死のはずだ」
「生きたまま、捕らえろ」
「むちゃくちゃだな」
「それでもだ」
もう一度、さらに、盛大な溜息を吐いた。
そして、ゆっくりとした動作で、意志が固い武市に、視線を巡らせる。
「どうするつもりだ?」
「知らない」
捕らえた後のことを聞いた河上に、そっけなく返していた。
その返答に、眉を潜めてしまう。
「知らないはずは、ないだろう?」
「聞かないのが、ルールだと言うことを、忘れたのか?」
「それは、そうだが……」
苦虫を潰したような河上。
強い眼光のまま、武市が、椅子の背に身体を預ける。
依頼を受けた際、武市は半妖を、どうするのかは聞かなかった。
聞く必要がないからだ。
受けた高額の依頼を、淡々と、遂行するのみだった。
突如、ドアが開かれる。
呼んでもいないのに、ズカズカと、勝手に入ってくる者に、誰もが眉間にしわを寄せていた。
闇の四天王の一人、中村だった。
ここに岡田がいれば、闇の四天王が勢揃いだ。
闇の四天王の中でも、中村は独特で、人を殺めることに、快楽を感じていたのである。
同じ仲間でありながら、田中も、河上も、岡田も、嫌っていたのだ。
武市の前に立つ中村。
誰一人として、歓迎していない。
それでも、姿を見せたのである。
「その依頼、俺が受ける」
悦の混じる笑みを、漏らしていた。
「中村。お前には、頼んでいない」
「河上が、断っているんだ。俺しか、いないだろう。そんな重要な仕事を、任せられるのは?」
さらに、いやらしく微笑む。
部下たちがいたら、ゾッとしていただろう。
けれど、武市は崩さない。
「これは、大切な仕事だ。それも、殺さず、捕まえてくるんだ? お前には、できないだろう」
「面白そうだ」
武市の話を無視し、口角を上げ、二カッと笑っている。
「中村」
顔を顰めている武市に、歓喜している双眸を傾けていた。
「今、都では、狩りが流行っているらしい」
「「「……」」」
口に出さない。
「どうせ、狩りに使う獲物に、使うんだろうよ」
三人も、半妖が、どうなるのか、予測ができていた。
ただ、いやで、口に出さなかっただけだ。
それを、楽しげに話す中村の姿に、おぞましさを漂わせている。
「武市さんは、よくそんな顔できるな? わかっていて、依頼を受けたのに」
「……」
何も言い返せない。
ただ、睨んでいるだけだ。
「中村向きの仕事ではない。だから、引け」
「断る。俺も、狩りをやってみたい」
さらに、悦を深くしていった。
「中村!」
声を荒げ、窘めるが、いっこうに聞く耳を持たない。
「やる」
やる気になっている中村。
仲間である二人が、目を細めている。
けれど、全然、意に返さない。
室内に、不穏な空気が流れていたのだ。
一触即発で、誰も、身じろぎしない。
何が起きても、対応できるように、構えているだけだった。
咄嗟に、その空気を、打ち破ったのは中村だ。
机の上にあった、資料の中から、一枚の紙を取り出した。
そこには、捕まえる半妖の特徴が、詳細に書かれていたのである。
それを持って、軽い足取りで、部屋から、出て行ってしまった。
田中や河上がいる以上、中村を仕留めることは、容易だった。
そうしなかったのは、人材も不足している上に、田中と河上も、ただではすまないと、抱いていたからである。
闇の四天王の四人は、能力的に均衡していたのだ。
「……河上」
武市に呼ばれ、いやな顔を覗かせている。
それ以上に、武市も、眉間にしわを寄せていた。
今回の仕事を、失敗したくはなかったのだ。
依頼者から信頼を受け、次の仕事に、繋げたかったのである。
この仕事は、新規の人物からの依頼で、その人とのパイプを切りたくなかった。
そうした思惑もあり、この仕事を、あっさりと引き受けたのだ。
「中村よりも、早く見つけ出して、捕まえてくれ」
「……俺一人でか?」
その声音に、苦々しさが、込められていた。
「二人つけてもいい。だが、それ以上は、ダメだ。上層部には、決して、今回の仕事は、知られたくない」
「「……」」
「田中。口の堅い者を選び、河上につけてくれ」
的確に、指示を出す武市。
「……わかった。だが、今回だけにした方がいい。この仕事は」
「……」
「上層部に、知られれば、今以上に、大事になる。そうなると、ここにいられなくなる」
唇を噛み、苦渋に満ちた顔を、武市が滲ませている。
田中の言う通りだった。
依頼を請けた仕事は、非常に、危険を伴う仕事だった。
自分の立場が、今以上に、危うくなるのだからだ。
わかっていながらも、自分の信念を貫くためには、必要不可欠な仕事だった。
田中や河上から、見えないところで、皮膚に爪が食い込むほど、拳を握り締めていたのである。
「……わかっている。けれど、せっかくできた繋がりを、切りたくない」
「一つ、聞く。中村が抵抗したら、どうする?」
真剣な眼差しだった。
「……優先は、半妖の捕獲だ」
「中村を、切り捨てるのか?」
非難めいた顔を、河上が滲ませていた。
それは、田中も同じだった。
「あれも、バカではない。ある程度、追い込まれれば、引くだろう」
「どうだろうな」
他人事のように、呟く河上だった。
「とりあえず、外に出る」
「ああ。選んで、後を追わせる」
重い気分のまま、河上が出て行き、その後を田中も、人員を選ぶために、部屋から出て行った。
一人残された武市。
眉間にしわを、深く刻み込んでいたのである。
読んでいただき、ありがとうございます。