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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第5章 散華 後編
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第110話  揺るがない井上2

 沢村の案内で、上層部がいるフロアに、向かっていく二人だった。

 その間、誰とも、顔を合わすことがなかった。

 そして、沢村とは、西郷の部屋の前で別れ、井上一人だけが、部屋に入っていったのである。


 部屋の中では、西郷が一人で仕事に、追われていた。

 その多さに、若干、目を見張る井上だ。

 埋め尽くされた机の上。

 それには置ききらず、別なテーブルに、積み重なっていたのである。

 それも、大きなテーブルだ。


(置ききれないから、置かれたんだろうな)


 思わず、憐みの顔を、漂わせてしまった。

 顔色の悪さからも、仕事の膨大さが、感じ取れていたのだった。

 小さな嘆息を漏らした。


(どれだけ、仕事を西郷さんに押し付けるつもりなんだ? 上層部の幹部たちは)


 そうした思いを飲み込む。

 言っても、始まらないからだ。


「何です、西郷さん」

「ようやく、お出ましか? 井上」

 どこか、呆れた顔を滲ませている。

「総之丞に、言われたが、高杉と、沖田の件だそうだな」

「そうだ。どうして、無断で、二人の前に、出て行った?」


 微かに、太い眉を潜めていた。

 そして、双眸で、威圧していたのである。

 そうなっているにもかかわらず、井上の表情が崩れない。

 ケロッとしたままだ。

 問題児の一人でもある井上も、西郷の手を、煩わせる一人だと言う自覚がなかったのである。


「高杉は、仕事だ。無駄遣いが多過ぎる。だから、注意しにいった」

「……」

 言葉通りなので、何も言い返せない。


 湯水のごとく、何も考えず、お金を使っている節があったのだ。

 そうした面を、どうにかして貰いたいと、西郷は以前から、抱いていたのである。

 けれど、直る気配がなかった。


「沖田殿は、興味でいった。とても、面白い人物だった」

 顔を綻ばせている井上。

 表情からも、有意義だったことは見て取れる。


(随分と、沖田を気に入ったようだな)


 けれど、危険が伴っていたのである。

 簡単に、ほだされる訳にはいかない。


「殿と、敬称をつけるほどだ。随分と、気に入ったようだな」

「勿論だ。とても興味深かった。そして、とても、いい意見を聞かせて貰った」

「感化され、向こうに、付くつもりか?」

 尋問するような双眸を、西郷が傾けている。


 井上の表情は、変わらなかった。

 痛くも、痒くもないといった仕草だ。

 普通の部下だったら、恐怖に慄いているほどなのに。


「それはない。安心してくれ。私は、ここに、骨を埋めるつもりだ」

「そうか。私としては、井上に、早く死なれても、困るのだが?」


 いくら仕事だからと言って、単独で、探ることをやめさせたかった。

 上司に報告し、そうしたことを、専門にしている者に、やらせるべきだと、抱いていたのである。けれど、井上は、単独でそうした仕事をし、何度も、命の危機に晒されていたのだった。

 それでも、そうした仕事を、辞めるつもりがなかったのだ。


「私も、やすやすと、殺されようとは思わない」

「そうか? 好奇心に駆られ、随分と、仲間たちを、探っているようだが?」

 嘆息を吐いている井上。

 そうした姿を、西郷が眇めていた。


「誰も、彼も、無駄遣いをする。そして、それを隠そうと、細工を施す。私は、そんなやり方を、許すことができない。だから、調べるのも、私の仕事だ」

「確かに。だが、井上は、身体にいくつ傷を残せば、やめるのだ?」

「命尽きるまで、辞めるつもりはない」

 きっぱりと、言い切った。


 その瞳の奥には、揺るぎないものを宿している。

 潔さに、感服しつつも、首を竦める西郷。

 容易に、認める訳にはいかなかったからだ。


「護衛を、つけるべきか?」

 井上が、いやがることを提案した。

 見る見るうちに、顔を顰めていく。


「それは断る。総之丞も、心配するので、彼に、いくつかのバイトを、振っておいた」

「バイト?」

 沢村に、バイトを依頼した経緯を説明した。

 西郷が何かしてくると予測し、手を打っていたのである。

 そして、心配してくれた沢村にも、安易に金を渡せないので、バイトと言う形で、金を渡そうとしたのだった。


 徐々に、西郷の顔が渋面している。

 とても、危険極まりない仕事だったからだ。


「大丈夫だ。危険なものは、廻していない」

 気掛かりなことが、増えたと、溜息を漏らす。

「依頼する井上もだが、依頼を受けた沢村にも、困ったものだ」

 手に取るように、お金に困って、引き受けたことが、予想できたのである。


「いい結果を、待っていてくれ」

「……そうすると、するか」

 ダメだと言っても、聞かないだろうと過ぎらせ、渋々といった感で了承した。

「西郷さん。それは?」

 西郷が、手にしている書類に凝視していた。


 本当は、別な上層部の人間が、処理しないといけない書類だった。

 だが、周りに回って、西郷のところに来ていたのである。


「回ってきた」

「……見て、いいか?」

「……構わない」

 書類に、釘付けになっている井上に、渡した。


 真剣な眼差しで、文字と数字を追っていく。

 さらに、のめり込んでいる様子に、首を傾げている西郷だ。

「別段、気にするような内容でも、ないと思うが?」


「……いや。逆に、綺麗過ぎる。以前にも、こうした書類を、何度も見て、気になり、調べたが、やはり綺麗だった」

 書類に、目を向けたままだ。

「綺麗で、何が悪い?」

 ますます、わからないと言う顔を、西郷が覗かせていた。


「綺麗過ぎて、気持ちが悪い」

「……」

「こういう仕事をしていると、文字や数字などで、性格が読み取れる。そして、大抵の書類には、細工や不備が、出るものだ。だが、この書類も、そうだが、それらが一切ない。まるで、見本のような書類だ。西郷さんの書類だって、数枚に、一度だが、不備がある。そして、西郷さんは、お金がほしい際は、堂々と、金が必要だと、頭を下げるが、他の人間は、そうならない。いかに、書類を誤魔化して、お金を引き出そうかと、している者が多い。いや、ほとんどだ。そして、人間と言うものは必ず、間違いを起こす。間違わない人間なんて、いない。私は、そう考えている」


 伏せていた顔を、上げる井上。

 私が、言いたいことを理解してくれたかと言う顔を、滲ませていたのだ。

 そして、西郷も、井上が何を言いたいのか、理解していた。


「だが、ほんの数人だが、書類が、とても綺麗な人間がいる。これは、異常なことだ。だから、調べた方が、いい。とても注意深くにだ」

「……違和感があったんだな?」

「そうだ」


 逡巡している西郷。

 徐に、井上が動く。

 けれど、西郷が口を開くことがない。


 机にある無地の紙に、井上が気になっている人物を、躊躇いもなく書いていく。

 そして、無言のまま、渡した。

 書かれている名前。

 以前から気になっている人物が、含まれていたのである。

 その名前に、視線を止めたままだ。


「……詳細を、説明してくれるか?」

「構わない。実際に、書類を、見せた方がいいだろう。今から、資料を持ってくる」

「ああ」

 平然としたまま井上が、西郷の部屋から出ていく。

 井上が書いたものを、西郷が食い入るように、見つめていたのだった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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