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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第5章 散華 後編
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第109話  揺るがない井上1

 出かけていた井上が、勤皇一派のアジトに戻ってきた。

 建物内では、騒然としている状況である。

 勤王一派内のお金のひもを握り、不正や、お金の無駄遣いを許さない井上が、歩いているからだった。

 廊下で、出くわした者たちは、戦々恐々だ。

 金庫番である井上に、声をかけられないかと。


 その中を、颯爽と歩いていく。

 誰もが、井上に道を譲っていった。

 壁に、張り付く彼ら。


 恐々している者たちを、チラリと、一瞥しただけだ。

 そのたびに、視界に入った者たちが、震えている。


 小さく、口角を上げている井上。

 すると、目の前に、いつも逃げ惑っている沢村が、姿を現したのだった。


(珍しいものだな)


 互いを、視界に、捉えたままだ。

 見つめられても、逃げる気配がない。

 まっすぐな、沢村の眼光。

 不敵な笑みを零している井上に、注がれていた。


(ほぉ。いつもは、視線をはずすのに、今日は……)


 徐々に、井上の双眸の奥に、獰猛さが宿っていく。

 構えている沢村も、気づいているはずなのに、その場に止まっていたのだ。


(楽しめそうだな)


 いやらしげに、口の端を上げていた。

 二人の距離が縮まり、互いの前で、立ち止まる。


「久しぶりだな、総之丞」

「そうですね。井上さん」

 苦笑している沢村。

 表情を、隠そうとしない井上にだ。


「私に、何か用か?」

「はい。西郷さんが、呼んでいます」

 尊敬している西郷に、頼まれていたのである。

 暴走している井上を、連れてくるようにと。

 引き受けたくない仕事だったが、尊敬している西郷に頼まれた仕事なので、断れなかったのだ。


「西郷さんが?」

 呼び出し理由がわからない。

 不意に、井上が素直に首を傾げる。

 いろいろとあり過ぎて、どれだか、見当がつかなかったのだ。

 僅かに、顔を曇らせている姿に、やれやれと、沢村が首を竦めていた。


「高杉さんと、深泉組の沖田に、会いに行った件です」

 ようやく、納得した顔を覗かせた。

 のん気に、ぱちんと、手も打っている。

「そのことか」

 まだまだ、西郷に叱られる要素を、持っている井上だ。


「何で、静養している高杉さんに、会いに行ったんですか? それに、深泉組の沖田のことも、そうです。無断で、会いにいくなんて……。とても、考えられません。危険な真似は、よしてください」

 憤慨し、少し鼻息も荒い。

 そして、眉間にしわも寄っていた。

 珍しい形相に、微かに、井上が目を丸くしている。


(私を、沢村が心配……? とんでもないことが、起こるものだ)


 真摯に、井上のことを、心配していたからだ。

 毛嫌いされている自覚は、持っていた。

 まさか、そんな相手から、心配されるとは思ってもみない。

 井上自身、沢村のことは、好ましい人間だと、巡らせていたのである。仕事に対し、真摯に取り組み、皆をまとめる力強さや、優しさが備わっていると、高評価だったのだ。


「沖田殿は、いいやつだったぞ」

「いいやつでもです」

 説いても、心配の色が薄れない。

 逆に、濃くなっていった。

「……」


 吐き捨てた沢村を、凝視している井上。

 怒りが収まりそうもない姿を、捉えていたのである。

 自覚が足りていない井上に、さらに、沸々としたものを滾らせていた。


「相手は、敵側の人間ですよ。何かあったら、どうするんですか?」

 ただ、止まらない沢村を、窺っているだけだ。

「沖田が平気でも、彼の周りには、彼を探っている者がいるんですよ」


(確かに、いた)


「その者たちに、捕まったりしたら、どうするつもりです?」

「……」

「下手したら、殺される可能性だって、あったんですよ」

「……」

「聞いていますか? 井上さん」

「……すまん」


「気をつけてください」

「わかった」

「本当に?」

 疑るような眼差しを、沢村が注いでいる。

 何度も、危険な真似に合っていることを、把握していたからだ。

 それでも、危ない真似をやめようとはしない、強靭な精神の持ち主だった。

 だから、しっかりと、念を押したのだ。


「本当に、わかった。できるだけ、気をつける」

 どこか、安心しきれない沢村。

 段々と、胡乱げな表情を滲ませていく。

「……やめるとは、言わないですね」


「やめられない。総之丞も、性格を変えろと言われ、すんなりと、変えられるのか?」

「……無理かも、しれません」

 やり込められ、渋面した顔を覗かせていた。

「だろう?」


 どこか、したり顔の井上だ。

 やり返せない沢村。

 大きな溜息を吐いた。


「わかりました。今回は、気をつけると言う言葉をいただいたので、いいです」

「そうか」

 脱力感が、否めない沢村だ。

 同期の中で、一目置かれる沢村だったが、どうしても、井上相手には、勝てる気がしないのだった。


「ところで、沢村。バイトをしないか?」

 何だ?と、眉を潜めている。

「書類を見たが、あれでは、下りない」

 勝ち誇ったような笑みを、井上が巡らせている。

 瞠目し、動けない。


 つい最近、再提出と言われていた書類を、提出し直していた。

 不足している資金が、どうしても、必要だった。

 だから、バレないように、書類に細工を施していたのである。

 それを、簡単に見抜かれていたのだ。


 僅かに、沢村の唇が、震えている。

 言葉を紡ごうとしているが、見つからない。

 どう逡巡しても、下ろして貰えるような資金ではないからだ。

 だから、見破られないように、細心の注意を払い、偽装したのだった。

 きっと、他の人が、目を通していれば、通っていただろうと思えるほどの、でき栄えだ。


「よく、あれで、了承を得られると、思っているな」

「……」

 徐々に、強張っていく沢村。

 手を緩めることもなく、容赦しない井上だった。

「あんなものは、子供でも、書ける品物だ」


(さすがに、子供は、書けないと思いますが?)


 反論の言葉が浮かんでも、口に出せない。

 目の前の井上が、怖いからだ。

 ただ、黙っているしかない沢村だった。


「そこで、提案だ。総之丞は、どうしても、お金が必要なんだろう? だから、私の依頼で、仕事をしないか? 総之丞が、偽装した金よりは、少し少ないが、用意しよう」

 十分な間が、そこに、生じていた。

 その間、井上の唇の端が上がっていたのだ。

 その仕草を、見逃さない沢村だった。


 上手い話に、大変なはずと、巡らせている。

 だが、申し出を、断るのもできない。

 喉から手が出るほど、お金が必要だからだ。


 嬉しそうな井上の顔と、顔を顰めている沢村。

 すでに、廊下には、二人しかいない。

 井上が歩いていると耳にし、他の者たちは、隠れてしまっていたのだった。


「……内容は?」

 どこか、苦しげな声音だ。

 それに対し、井上の声は、軽快で、滑らかだった。

「簡単だ。私が、指定する、複数の人物を探ってほしい。どうも、総之丞同様に、お金を不正に、引き出そうとしている。だから、どういったものに、金をつぎ込んでいるのか、確認してほしい。後は、私の興味だ。面白そうな、お金の使い道を、しているんでな」


 自分と、同じことをしている人間の探索に、ついつい微妙な顔に、なってしまったのだった。

 そして、相当危険な行為だと抱く。


(狙われるな……)


 不意に、遠い目になってしまう沢村。

「私も、何度も狙われ、身体には、無数の傷が残っている。さすがに、これ以上、私が休む訳にはいかない。仕事が、滞ってしまうからな」

 身体の傷よりも、仕事の遅れを気にする姿に、怪訝な顔を覗かせる。


「……仕事よりも、自分の身体を、心配してください」

「そうか? 別に傷のことは、あまり気にしていないが?」

 飄々としたままだ。

 ケガすることは、厭わないと言うのが、表情に出ていた。

 ますます、訝しげる沢村だった。


「気にしてください。女性なんだから」

「別に、身体に傷があっても、私は、気にしない」

「……とにかく、気にしてください」

 有無を言わせない。

 そんな沢村に、井上が、小さく笑っている。


「わかった。少しは、気にするようにしよう」

「そうしてください」

 まだ、鋭い眼光で、困ったような井上を捉えたままだ。


「で、バイトは、するのか、しないのか?」

「……します」

 視線をはずしながら、承諾するのだった。

「そうか」

 満足げに、指定する人物の名を、次々に挙げていく。


 言われるがまま、記憶していった。

 その数は、五人だ。

「……随分と、多いですね」

「調べたい人間は、まだいる。それは、次に、依頼にする」


(まだ、そんなにいるのか……。どれだけ、不正している人間がいるんだ?)


 自分のことを忘れ、不正している人間の多さに、驚愕していたのである。

「ところで、西郷さんに、呼ばれているのではないか?」

「そうでした。案内します」

「そうか」


読んでいただき、ありがとうございます。

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