第108話 車内
都の中を、走っていく一台の車。
後部座席に、岩倉と岡田が、座っている。
ちらりと、岩倉が、おとなしい岡田の様子を窺っていた。
いつまで経っても、場慣れしない岡田。
若干、いつも落ち着きがなかったのだ。
それが、今は微動だもしない。
心の中が、ざわついているにもかかわらず、表情が、平常心のままだ。
謹慎しているはずの武市が、また、動いたと、岩倉や岡田の耳に、入ってきていたのである。
(あら、成長したわね。武市さんのことを聞いても、気もそぞろにならなくなって)
以前の岡田だったら、岩倉の護衛をしつつも、動揺が隠せなかった。
落ち着きがなく、戻りたいと、顔に描かれていたのである。
そんな姿を、楽しげに岩倉がからかっていたのだった。
(でも、僅かに、瞳が揺れているわね)
些細たことも見逃さない。
小さく、岩倉が笑っている。
窓に映る岡田の瞳。
彷徨っていることを、手に取るように、岩倉には理解できていた。
前にいる鷹司に、視線を傾ける。
「武市さんは、どうしているの?」
「謹慎したまま、仕事に精を出しているようです」
簡潔に、岩倉の質問に答えていた。
どのようなことを聞かれても、即座に答えられるようと、あらゆる情報を網羅していたのである。
「仕事熱心ね」
「はい」
「でも、謹慎している意味、あるのかしら? 武市さんにも、困ったものね。もう少し、おとなしくしていれば、いいものを。そうすれば、自由に、活動できるのに。どうして、焦ってしまうのかしら」
短慮過ぎると、岩倉が口に出しても、岡田は文句を言わない。
ただ、黙って、ムッとしているだけだ。
「性分では、ないかと」
不意に、不貞腐れている岡田に、双眸を巡らす。
キツく、口を結んだままだった。
「ねぇ。鷹司の答えに、どう思う?」
瞳をキラキラと、輝かせている岩倉である。
「……わかりません」
そっけない返事を返した。
それに対し、怒る気配がない岩倉。
鷹司の眉間にしわが、寄っているだけだ。
(あら、面白くないわね。剥きになる依蔵も、楽しいのに)
微かに、岩倉が首を竦めている。
双眸が、鷹司の方を、捉えていた。
「深泉組の方は、どうなの?」
「未だに、庶民の目が、厳しいようです」
「あんなことを、すればね」
「はい」
ネオンが照らす道を、車が走っている。
いつものように、支援者たちとの会合に、向かっていたのだ。
日々、忙しい岩倉に、休息をなかなか与えて貰えない。
「芹沢の行動も、性分なのかしら?」
「それは、どうかと……」
あやふやに、鷹司が答えた。
未だに、芹沢と言う人物を、捉えられずにいたのである。
そんな鷹司を、気にも留めない。
ただ、思うが侭に、喋っていく。
「芹沢は、変わらず、飲み歩いているのかしら?」
「いいえ。警邏軍に、何度か、戻っているようです」
調べ上げた事実を、淡々とした口調で、鷹司が話していた。
二人のやり取りを、岡田が、静かに耳を済ませていたのだった。
その間、運転手は、忠実に安全運転で、目的の場所まで走らせている。
「そう。警邏軍の人たちも、大変よね。芹沢を飼っているせいで」
少し、嘲笑が混じっている声音だ。
「そうかと、思います」
「なぜ、鶴岡屋を、襲ったのかしら?」
返答に、詰まってしまう鷹司。
答えを、持っていないからだ。
「いつも、襲撃する商家とは、違うところよね」
「そうだと、思います」
上手く答えられない。
苦々しい顔を、鷹司が滲ませていた。
常に、崇拝している岩倉に、万全の態勢で、答えたかったのである。
それができない不甲斐なさに、羞恥していた。
「……興味深いわね。鶴岡屋のことを、調べてくれるかしら?」
「承知しました」
「勿論、他のところもね」
「はい」
(さてさて、何が出てくるかしら)
ほくそ笑む岩倉だった。
「姉小路殿は、どうしているのかしら? 最近、姿を現さないけど?」
このところ、全然、顔をみせなくなっていたのである。
見たくはないが、見えないと、気になるものだった。
動いて貰わないと、困ることもあったのだ。
「あまり、動かれていないようです」
「随分と、静かにされているのね」
「たぶん。愛人と、一緒にいるのではないでしょうか。随分と、気に入る者でも、見つけたのでは、ないかと思います」
「そうね」
余計なことは、言わない岩倉だった。
信頼している部下とは言え、何もかも、話す訳でもない。
気づかれないように、小さく口角が、上がっていたのである。
「三条殿は、屋敷で、仕事でも、しているのかしら?」
「はい。ですが、頻繁に、男たちの出入りが、あるようです」
「そう」
聞いた割りに、三条に対し、興味を持たない。
聞かなくても、想像がついていたのだ。
ただ、口にしただけだった。
「西郷さんと、大久保さんは?」
「何かと、忙しいと思います。それと、大久保の方からは、連絡があり、都合がいい日でいいので、会いたいと言う言付けを受けております」
「いいわ。すぐに、日程の調整をして頂戴」
「最優先ですか?」
「そうよ」
「わかりました」
鷹司との話が終わると、岡田がチラチラと窺っている。
「何?」
「……」
「黙っていないで、聞きなさい。答えられるものなら、答えるわよ」
意を決した顔で、岡田が岩倉に顔を傾けてきた。
「武市さんは、大丈夫だろうか?」
(結局、聞くよね)
これ見よがしに、鷹司が嘆息を吐いていた。
けれど、岡田は気にしない。
それよりも、大切な武市が、気になっていたのである。
「わからないわ。けれど、勤皇一派の上層部も、いい顔はしないでしょうね」
「……」
心配げに、顔を歪めている。
「これまでだって、何度も、命を狙われていたんでしょ? やすやすと、やられたりしないでしょう」
「……」
「武市さんの信条は、曲げられないでしょうね。ここまで来ると」
「……」
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