第107話 不満
誰にも、知られないように、自分が保有している別荘に、姉小路が足を伸ばしていた。
彼の機嫌は、すこぶる悪い。
楽しみにしていた狩りが、開催されるメドが立った。
だが、その日に、参加ができないからだ。
大事な会合と、パーティーがあり、そこに自分も、必ず、参加しなくてはならなかったからである。
天帝一族が、主催するパーティーだった。
さすがに、辞退することができない。
徐に、狩りのことを管理している男に、視線を巡らす。
その視線に、苛立ちを隠せない。
ますます、注がれている男が、萎縮していた。
「どうにか、日を改めることが、できないのか?」
「……無理かと」
弱々しい声音だ。
額からも、汗を滲ませていた。
さらに、姉小路の険が増している。
姉小路の隣いる愛人が、宥めていた。
「次が、ございますよ」
にこやかな愛人。
双眸を傾けるが、揺れる炎が、落ち着くことがない。
久しぶりに、開催されることになった狩りに、愛人が単独で、参加するからだ。
「お前は、いいが……」
「申し訳ございません」
謝罪しているが、その顔には、悦が浮かび上がっている。
「……」
ブスッとした顔だ。
息をついて、狩りのことを管理している男を垣間見た。
「……次の開催は、いつだ」
声音が、寒々としていたのだった。
問われた男の唇が、微かに震えている。
「……まだ……」
言葉を濁し、視線を彷徨わせていた。
視線を合わせることに、慄いている。
下手したら、当分、先になると、言われていたからだ。
何かを感じ取った愛人も、何も口にしない。
それほどの形相を、姉小路が漂わせていたのだった。
決して、三条や岩倉などの前では、見せない顔だ。
それほどまでに、狩りに憑りつかれていたのである。
様々な趣味をし、享楽を楽しんでいた。
けれど、すぐに冷め、飽きてしまっていたのだ。
心底、楽しいと思えるものに、出逢えなかった。
だが、狩りは、魂が揺さぶられるほど、狂喜できたのだった。
やめると言う選択肢が、ないほどに。
「急がせろ。金は、用意すると言っておけ」
「……わかりました」
無茶振りを言う姉小路。
何か、案じるような眼差しを、携えていたのである。
瞬く間に、眉間にしわを寄せた。
「……何か、あるのか?」
「狩りを、邪魔する者の正体がわからない上に、警邏軍や勤皇一派の方でも、狩りをする者の行方を、追っています」
たどたどしく、狩りのことを管理している男が喋り出した。
「いつものことでは、ないか」
苛立ちげに、姉小路が吐き捨てた。
「それが、今まで以上に、活発になっております。このところ、狩りが開催される頻度が、高くなったこともあり……、彼の者たちが、血眼になって、探っております」
高ぶる感情に任せ、舌打ちを打つ。
情報として、姉小路も把握していた。
忌々しいと抱きつつも、捨て置いていたのだった。
自ら、動く真似ができない。
目立ち過ぎるのは、よくないからだ。
「……それと、三条様も、動かれております」
苦々しい面持ちを浮かべ、常に、真面目な三条の顔を、思い返していたのである。
真面目過ぎて、面白みが欠ける三条のことを、嫌っていた。
「香茗様のことだけを、考えていれば、いいものを……。動いているのは、誰だ?」
三条の足として、動いている人物のことを尋ねた。
「たぶん、西郷辺りかと」
「だろうな。三条が、気に入っているからな」
思わず、顔を歪めた。
不意に、恰幅のいい西郷の姿を過ぎらせる。
三条同様に、西郷を嫌っていたのだ。
何度も、苛立ちを隠せない姉小路のことを窺う。
そして、躊躇うように口を、開こうとしていた。
ウザい姿に、視線一つで、先を促したのだ。
「……他にも、いるかと」
「あの三条のことだ。抜かることなく、別な人間も、使っているだろうな」
三条の手足となって、動く者が、何人もいたのだ。
窮屈な男にも、それなりに、人望があったのだった。
とても信じられないと、姉小路が抱いていたのである。
「向こうも、身動きが、取れないと」
恐る恐るといった顔で、姉小路の顔色を窺っている。
危険を冒してまでも、半妖を連れてくる側としても、そうした動きに困っていたのだ。
そして、どうにかしてほしいと。
「……間引きしろと、言うのか?」
問い詰められ、居た堪れない男だ。
あちらとこちらで、板ばさみ状態だった。
「……そのように……」
か細い声になっていた。
「……わかった。それらを手配しろ」
「誰に……」
素直に、姉小路に聞いた。
「……お前に、采配を任せる」
絶句し、すぐに動けない。
咄嗟に、頭を下げた。
下げまま、自分勝手な主に、顔を顰めている。
「……。……承知しました」
それ以外の返答が、できない。
狩りのことを管理している男が、姉小路の前から、下がっていった。
三条家の屋敷では、順調に、三条が、仕事を処理していた。
香茗が、別邸から戻ったものの、三条との面会は、十回に一回のペースになっていたのだ。
そのため、時間が、たくさんできてしまった。
手をつけていなかった仕事に、意識を傾けていたのだった。
そうしないと、香茗のことを案じてしまうからだ。
仕事をしている三条の他に、彼の前に、立ち尽くしていた男がいた。
入室したものの、三条から、しばし待てと言われ、真摯に待っていたのである。
ようやく、きりがいいところで終わった。
伏せていた顔を、三条が上げる。
「で、どうだ?」
「申し訳ございません。未だに、特定できません」
決まり悪そうな顔を滲ませていた。
三条から、命じられた仕事が、滞っていたからだ。
「……」
報告を聞き、眉を潜めている。
西郷と同じように、狩りの裏で暗躍している者や、天帝家に仕えている者で、かかわりがある人物を、特定するように命じていたのだった。
芳しくない状況が、続けられていたのである。
いっこうに、情報を手にすることができない。
長年、三条は狩りに関することを、探っていたのだ。
けれど、結果に反映されない。
怒りを爆発させたいのを、必死に堪えている。
小さく、息を吐く三条。
「西郷からは、あまり連絡がないが、どうしている?」
「何かと、忙しいのではないかと」
返答に、何の違和感を持たない。
「私の仕事だけでは、ないからな」
「はい」
三条からの仕事だけではなく、何かと、西郷が仕事に邁進していた。
そうしたところも、三条としては、気に入っていたのである。
「そんなに忙しいのか? このところ、私のところには、顔を出さないが?」
定期的に、西郷自身が報告しに、三条のところに顔を出していた。
だが、このところは、部下が、三条の元に訪れていたのである。
そのため、少し気になっていたのだ。
「外に、出ているようです」
「西郷自身がか?」
意外そうな顔を、三条が覗かせていた。
若い頃は、外での仕事が多く、勤皇一派のアジトに、顔を出すことも、少なかった西郷。
幹部の一人になってからは、内部の仕事に追われ、手が掛かりきりだった。
「はい」
「珍しいことも、あるものだ。それとも、何か掴んで、西郷自身が、動いているのかも、知れぬな。ま、よいか。よい知らせが、あるかも、知れないからな」
微かに、表情を緩めた三条であった。
「はい」
「では、引き続き、探ってくれ」
「承知しました」
男が去っていき、手元の仕事に、戻っていったのだった。
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