第11話 甘い近藤に怒れる山南
警邏軍にある深泉組の部屋では隊長の近藤が自分の席に腰掛けて、延々と着地点が見えない山南の話を困った顔で耳を傾けている。
その隣で直立している土方はうんざりした表情で同じように聞いていた。
話し続けている内容は同じ伍長と言う立場の永倉のことだった。
(山南さん、今日は随分と闘志が溢れているな。時間がかかりそうだ)
チラッと止まりそうもない顔を近藤は確かめる。
日ごろの問題行動に付け加え、素人の娘に手を出したと話だ。
その両親から山南にどうにかしてほしいと頼まれたのである。
それに飲食店でも暴れて苦情が入っていることも報告していた。
頭が痛い話に額を抑えたい衝動を我慢する。
毎日のように何らかの騒動を起こしていた。
そのことにも実直な山南は一物抱えていたのである。
「真面目に付き合っている可能性もあるのでは? 相手は素人なんでしょう?」
かばうことを口にしながら、別なところでは否定していた。
(あり得ないな。あれが真面目に付き合うなんて……)
「永倉もようやく落ち着いたようだな」
笑っているつもりでも、どこかぎこちなかった。
やや太めの眉尻を上げている山南に向かって、常に問題行動の多い永倉たちに悩まされている近藤は苦肉の策で言い繕うしかない。
次から次へととんでもない所業を語っていく山南の姿はこれが始めての進言ではなかった。幾度となく、原田や永倉たちの素行の悪さについて定義していた。
それが大きな処罰にならず、伍長の立場を外されることもなかった。
隊長近藤や副隊長土方が上手い具合にもみ消してきたからである。
甘い近藤たちのやり方に山南は苛立ちを隠せない。
彼らの腕前は認めるところもあった。
だが、問題を起こす彼らのせいで、真面目にやっている人間が報われない。
深泉組の評判の悪さを原田たちも一部担っていたのだ。
「素人だから、真面目に付き合っていると思うのですか?」
「そう思いたいと……願いたいかな」
あやふやに目が泳ぐ。
決断力がある近藤とは思えない仕草だ。
(どう考えても、無理があるか……)
ダン!と力強く近藤の机を山南が叩く。
積み上げられていた書類が勢いで乱れる。
「放置してきたのですから、責任は近藤隊長にあります。娘が哀れだ……と……」
最後まで言わさず、かぶさるように通る声で言い募る。
「男と女のことは他人にはわからない。これが常だ」
先程の困惑した表情とは違い、引き締まった表情になっていた。
山南も負けてはいない。
「そうとは思いません!」
「そうですか」
互いに自分の主張を曲げようとはしない眼光の鋭さだ。
男女の問題に上司であろうと介入するべきではないと近藤は考えていた。
「素人相手だから、真面目と言うのは安易です」
ふと、山南の言葉で以前に玄人の女に手を出し、問題を起こした原田の件を思い起こした。
その際も伍長の立場から外して、断固たる処罰を与えるべきだと主張を三時間もかけて訴えてきたのである。
頭痛を憶え始めた近藤は頭を抱え込みたくなった。
隣にいる土方も同じように思い出したようで、さらにしかめ面度を増していた。
「素人と言うところが、問題なのではありません」
本質がわかっていないと山南は思っていた。
「永倉は他にも付き合っている女が何人もいるのです」
(知っている。それは……)
「同じように素人から玄人や人妻、未亡人まで。近藤隊長、あなたはどこが真面目だと言うのですか? この有様で」
噛みつきそうな勢いに押し負けそうになる。
踏ん張ろうとする近藤には、大きな問題にできない理由があった。
「あいつは何股かけているのだろうな? けど、恋愛は自由だしな……」
玄人の件はすでに近藤の耳まで届いていたが、まさか人妻や未亡人まで手を出していたことは知らなかった。
口をつむんでいた土方は人妻辺りまで認識していたが、未亡人まで手を伸ばしているのは初耳だった。
同時に近藤と土方は見境がないと永倉に呆れる。そして、山南がうるさいのだから、どうしてもう少し自重できないのかと嘆息を零した。
これまで何事にも真面目な山南を騙し諫めつつ、原田や永倉の件をうやむやにしていた。
それは問題行動が多いものの、二人の腕や誰とでも打ち解ける人柄を高く買っていた。ただ単に豪快さと人情に篤い人柄も気に入っていたこともあった。
「自由ではありません。問題だらけではありませんか?」
「……確かに。何股は良くないな」
真摯に聞いている節が見えない近藤の態度に火種がくすぶり始める。
「それに今回は素人の姉妹が入っているのです」
「姉妹って……。永倉が付き合っている女は姉と妹なのか?」
初めての出来事に目を見張った。
口を閉ざしていた土方の顔も若干曇り始める。
「文字通り姉と妹です。両親も心労で参っている様子です」
「……そうだな。それはきついな……」
更なる悩みの種の大きさに近藤は呆れるしかない。
眼光鋭く土方は、ただ睨めつけているだけだ。
(何をやっているのだ、永倉は)
僅かに開いた口が塞がらないで、そのままの姿勢で控え続けている土方。
(あのバカ! これ以上の揉め事を増やして、どうするつもりだ!)
黙り込む二人の様子に山南の溜飲が少しだけ落ちた。
「ようやく、状況を理解していただけたようですね」
皮肉交じりの言動に対して、土方は睨み、近藤は苦笑するのみだ。
上司二人に山南は引くつもりがない。
「両親によると、それまでは姉妹の仲は良かったそうです。それが永倉と付き合い始めてからは、毎日のように永倉のことでケンカしているそうです」
囁くような声で、バカと土方は呟く。
「間違いはないのだな」
「間違いありません」
静かに事の詳細を近藤は確認した。
先程まで泳いでいた目とは違い、キリリと引き締まって隙が無いぐらいだ。
語り合っている三人から少し離れた位置で、山南班のメンバーが固唾を飲んで、その様子を観戦していた。暗澹し始めたところから逃げ出したいとメンバーたちは思っていたが、物音一つ立てられない状況に誰もが息苦しさを感じていたのである。
近藤隊のスペースには山南班と島田班の一部の人間しかいない。
他の者たちは出払っていた。
すっかり頭が冷えた近藤は険しい表情の山南を見据える。
「では、互いに永倉のことは知っているのか?」
「はい。元々は妹の方が先に付き合っていたようです。で、その後すぐに姉とも付き合い始めたようです。近頃では姉の方が死んでやると騒いで、両親の心労を増やしているみたいです。許しがたい事態です」
やや太めの眉尻がより一層上がる。
その仕草に二人は最悪な状況だと判断した。
「以前から申し上げていたはずです」
考え込んでいた顔を山南に向けた。
「原田と永倉は女癖が悪すぎます」
「そうだな」
瞳が揺らがず、まっすぐに山南を捉えている。
「それをほっといたから、このような事態になったのではないのですか? 近藤隊長」
「山南さん。女性の問題は個人的な問題と私は捉える」
「個人的?」
「男と女には他人が踏み入れられない紆余曲折が……」
「そう言っているからこそ、こういう事態を引き起こしたのです。もっと前にきちんと適切に処理を行っていれば、この問題は起こらなかったはず」
怒りを露わにする顔で、近藤の顔に詰め寄っていく。
「隊員のプライベートまで踏み込めないと、私は思っています。山南さんの言う通り、今回はとても由々しき事態と考えるが、これは私の方で収めます。けれど、私は今後も隊員のプライベートまで踏み込む真似をするつもりはありません。これだけは言っておきます」
血走る目に真っ向から意見に否定した。
はっきりと自分を曲げるつもりがないと意思を示す。
前々から山南は隊員のプライベートまで管理するべきと近藤に進言してきた。けれど、そんな真似をしたくないと、その意見を固持してきたのだった。
「踏み込まれたくない領域と言うものが誰しもあるはず、山南さん、あなたにはないのですか? 私にはある。誰にも踏み込むことを許さない領域が」
凄まじいオーラに山南の身体が動かない。
「踏み込もうとすれば、私なら切り捨てる」
「……」
何でもないように近藤は小さく笑った。
強張っていた呪縛は解かれた。
「誰にも知られたくないから」
「……」
「山南さん、あなたなら、どうしますか?」
「……」
迫力に負けたことに悔しく、奥歯を噛み締める。
山南自身にも誰にも触れられたくないものが存在していた。
ずっと口を結んでいた土方が解く。
「山南さん。何股もかけているような永倉に固執している方が悪いのではないですか?」
ギロッと不用意な発言をした土方を鋭く睨む。
土方も挑むように睨め返した。
意見の相違を繰り返す二人は何度も衝突していた。
仕事に対して常に真面目に取り組み、近藤隊の評判を高めている人材の一人であるが、近藤の意見に異論を唱えるところに土方は、普段温厚な山南を好きになれない面があった。
「トシ! 今のは姉妹に対して失礼だぞ!」
怒気がこもった声で土方を制した。
「……」
面を食らいつつも、山南は相手を睨むことだけはやめた。
「トシ!」
さらに怒気が強くなった。
「……軽率でした……」
「わかればいい」
穏やかな顔と口調に変わっていった。
口を卍に結んでいる山南に視線を戻した。
「永倉と話して、それから今度のことは決めます」
「……」
「山南さんは不服かもしれないが、許していただきたいと思っています」
隊長の近藤や副隊長の土方は唯一、山南だけに『さん』を付けて敬意を表していた。深泉組では二人の方が地位が上だったが、山南の方が年齢も上で、敬意を表すほどの実績も持っていたからだ。
山南も上司と言う敬意を払っていたのである。
「わかりました。近藤隊長、よろしくお願いします」
姉妹や心配して訴えてきた両親のことを案じていたが、上司の近藤に頭を深く下げた。
心から姉妹の未来を心配し、憂いていた。
まだ、立ち去らない山南に首を傾げる近藤。
「まだ、何か?」
「これが本題です」
密かに土方が嘆息を吐いた。
(今までのことが本題じゃなかったのか……)
「沖田のことが気になるのです」
声音を落として、二人以外に聞こえないように話した。
沖田の名前が挙がった瞬間、土方の顔が強張る。
まさか山南から沖田の話が出るとは思ってもみなかった。
「そのことですか……」
険しい表情から沖田が上層部のスパイではないかと疑っていることを知った。山南自身も近藤辺りがそう解釈しているのではないかと密かに抱いていたのだった。
土方もその疑念をわずかに持っていた。
黙って近藤と山南のやり取りを観察している。
「なぜ、沖田は我が深泉組にきたのでしょうか?」
近藤も土方も山南の話に耳を傾けている。
「沖田の能力を上層部がほっとく訳がありません。やっと入ってきたS級ライセンス保持者なのですから」
やれやれと脱力しながら、近藤は自らの見解を話していく。
「違うと思いますよ」
「なぜです」
「確かに山南さんと同じ疑念を抱きました、当初は」
(やはり、隊長も抱いていたか……)
「でも、絶好のアピールとなる沖田をわざわざ落ちこぼれ集団と揶揄される、ここに飛ばすでしょうか? 言われているように沖田自身が、警邏軍に入る条件として提示したのではないかと推測します。さすがに喉から手が出るほど獲得したかった沖田をスパイとして、こんなところにはやらないでしょう。なぜ、沖田自身が希望したのか思うところがありますが、そんなに強く警戒しなくても大丈夫だと。沖田と話していると本当に面白そうだから、入ってきたのかもしれないと思ってしまいます」
話し終えた顔は笑っていた。
「それがおかしいと言っているのです。上層部が……」
「山南さん」
強い口調で山南の言葉を飲み込ませた。
上層部は深泉組を潰したがっていた。
近藤たちはそれを防ごうとしていたのである。
それに上層部を中傷すれば、山南の立場が危うくなるからだ。
「優秀な人材が入ったのは喜ばしいことです。まだまだ発展途上のようなものですから、仕事につかせていろいろと憶えて貰わなければ。それともここの部屋で研修させるべきですか?」
「大丈夫でしょう。研修での成績を見ましたが、彼は優秀でした。実践投入しても問題ないでしょう」
「そうですね」
「それに近くには斉藤がいます。心配しなくても大丈夫です」
「わかりました」
完全に払拭していないが、山南は自分の机に戻っていた。
不意に近藤の脳裏に愛嬌のある微笑みをする沖田の姿が映った。
(スパイではないが、確かに気になるところはあるな……)
読んでいただき、ありがとうございます。