第106話 井上、沖田に会う
人通りが、少なくなっている深夜。
貰い物を手にした沖田が、自宅へ向かって、歩いている。
何人もの人たちから、貰い物を貰わなければ、もっと早い時間帯に、帰宅することができていた。
貰い物をし、立ち話をしていたので、こんな時間帯になってしまっていたのだ。
毎日、立ち話に、ふけ込んでいる行動。
そうした行動に、後をつけていた人間たちが、徐々に減っていった。
何も、変哲がない日常だった。
上から命じられ、後をつけている者たちは、辟易していた。
何も、変わらない日々に。
このところ、彼らを、撒いていなかった。
だが、未だに、数人は、沖田の後をつけている。
察知しているが、気に止める様子もない。
ただ、自宅へと、足を運んでいた。
(随分と、暇な人たちだな。後をつけても、意味がないのに……。上の人に命令されて、いやいやしているのかな。そうしたら、悪いかな。……何か、差し入れでもした方が、いいかな)
待ち伏せしていた女が、突如、沖田の前に姿を現す。
立ち止まり、きょとんとした顔を覗かせていた。
綺麗に切り揃えられた髪。
均整のとれた、体形をしている。
そして、律儀そうな眼差しを携えていた。
全然、見覚えがない顔だ。
(血迷って、誰か、素人で、油断させて、暗殺しようとしている?)
目の前にいる女。
彼女は、ただ、まっすぐ沖田を捉えている。
唐突に、現れたにもかかわらず、一言も発していない。
ただ、見据えていただけだった。
(何で、この人、こんなに、僕のこと、見ているんだろう?)
黙っている二人。
互いに、視線を交わしているだけだ。
沖田の後をつけている者たちは、怪訝な顔で、成り行きを窺っている。
その中の数人だけが、絶句していたのだった。
そうした息使いを耳にし、目の前にいる女の知り合いがいることを把握する。
「……すいません。どちら様ですか?」
「……そう言えば、まだ、名乗っていませんでした」
「はい」
「私は、勤皇一派の金庫番をしている、井上香琉と言います」
真摯に、井上が、真面目に自己紹介をした。
紹介されても、身構えることもしない。
「勤皇一派の井上さんが、どうして、僕のところへ? 数人の人が、驚いているようですが?」
「さすがですね」
「いいえ」
「私の行動は、独自の行動です。きっと、誰かの指示で、仲間が、あなたを探っているのでしょうね」
包み隠すこともしないで、状況を的確に、口にしていた。
好奇の目をしながらも、相手のことを、窺っているのだ。
「いいのですか。バラしても?」
愛嬌のある表情を漂わせていた。
そうした表情を見逃さす、井上が見据えている。
「構いません。あなたのことですから、すべて、把握されているのでは?」
「それは、考え過ぎですよ」
「そうでしょうか?」
不可思議そうな眼差しを、注いでいた。
「現在、後をつけている七人だけと、言うことしか、把握していません」
後をつけていた者たちが、信じられないと言う顔を覗かせている。
人数まで、当てられるとは思ってもいない。
ただ、ただ、末恐ろしさを、感じさせていたのだった。
ただ一人、表情を変えない者がいた。
井上香琉だ。
ある意味、彼女に対しても、胡乱げな双眸を傾けられている。
「人数だけでも、把握してるだけ、凄いと思いますが?」
淡々とした口調だ。
「そうですか? 所属しているところが、別々で、把握するのが、結構、難しいんですが? でも、三人だけ、所属がわかりました。ありがとうございます」
ニッコリと、沖田が微笑んでみせた。
リキに、調べさせることもできた。
けれど、させない。
沖田自身、後をつけている者たちは、どうでもよかったのである。
「いいえ」
井上の姿に、絶句していた者たちは、勤皇一派に者たちだった。
自分たちの正体が、バレてしまってだ。
対照的に、井上の口角が、極小さく上がっていた。
ますます、興味相手として、沖田のことが、面白くなっていく。
「金庫番と言うのは、それなりの地位にいる人、なんですか?」
「いいえ。大したものでは、ありません。ただ、資金を、管理しているだけですから」
「そうなんですね」
「えぇ」
楽しく、面白げな眼差しを、注ぎ始めている沖田。
自分のことを、隠そうともしない井上に、興味を憶えていた。
互いに、好印象を抱きつつある。
「どうして、そうした人が……、井上さんと、お呼びしても?」
「構いません。私も、沖田殿と呼んで、いいでしょうか?」
「ソージでも、構いませんよ」
愛嬌のある微笑みも、忘れない。
井上の表情も、変わることがなかった。
「あまり、馴れ馴れしいのも、いけないと思いますので、沖田殿と、呼ばせて貰います」
「そうですか……」
残念そうな顔を、浮かべている。
呼んでほしいにもかかわらず、なかなか、呼んで貰えないからだ。
(どうして、呼んでくれないんだろう)
しゅんと、落ち込んだような表情を、沖田が垣間見せる。
普通の人だったら、庇護欲をそそられていた。
「では、先ほどの質問の続きですが、そうした井上さんが、どうして、僕のところへ?」
「興味を、憶えたものですから」
「どこら辺に?」
「エリートと言われている、私たちの仲間を、翻弄しているところや、味方であるはずの警邏軍、まして深泉組までを、自由奔放に、動き回っている点など、様々です。沖田殿でしたら、後をつけている者たちを、蹴散らすことだって、できたはず。それなのに、何もせず、放置している点も、面白いです」
興味を憶えた点を、素直に列挙していった。
(んー。そういう点を、素直に言う井上さんも、面白いと思うけどな)
「そうですか」
困ったような顔を、覗かせている。
二人で、喋っている間も、段々と、後をつけている者たちの身体が、自然と強張っていき、身構えていたのだった。
井上の言葉通りならば、いつ、やれられても、おかしくなかった。
警戒しながらも、身体の震えが、止まらない。
「僕としては、ただ、面倒臭いと、思っているだけなので」
「面倒臭いですか。私が、沖田殿の立場でしたら、排除していますね。目障りだと、思って」
「でも、そうすると、また、別な人が、引っ付いてくると、思うのですが?」
沖田の意見に、真剣な顔で、思い悩んでいる。
(それも、そうですね。それもまた、目障りですね)
「……確かに。だから、放置しているんですね」
「はい。本当に、目障りになった時に、片づければ、いいだけで」
意図も簡単に、とんでもないことを、口に出していた。
そうなったかもしれない者たちは、怯んでいる。
「……プライバシーが、ないような気がしますが?」
「その点は、気にならないんで」
「気にならない?」
ようやく、驚いたような顔を、僅かに匂わした。
「別に。見られても、困るものなんて、ないかなって」
(本当は、あるんだけど。その時は、撒けばいいし、それでもダメな時は、始末すればいいからな)
「私は、気にしますね。周りで、うろちょろされていると」
「そうなんですか?」
「はい。ですが、私の周りで、うろちょろされる方は、いないんで、今まで困ったことは、なかったです」
「いいですね」
神妙で、真面目な顔つきに変わっていく。
昔から、人に囲まれた生活を、送っていた沖田だ。
思わず、羨ましそうな双眸を、巡らせていた。
「よくありません。相談したいことがあっても、近くで、誰もいないので、探すしかないんです」
眉を寄せ、愚痴を吐露した。
金庫番の井上を恐れ、勤皇一派の内部の者たちは、彼女に近づかないのが、鉄則となっていたのである。
何かと、細かいことを直させたり、させられるからだ。
小うるさい人間に、近づく者などいない。
「探さないと、誰も、いないんですか?」
自分には、考えられない状況に、目を見張っている沖田だった。
常に、沖田の周囲は、人で溢れていた。
「はい。どうしたら、沖田殿のように、人が、集まってくるのでしょうか? そうなったら、仕事の効率力も、働くと思うのですが」
「私は、よく人と、お喋りをしたりして、交流を図っています」
思い悩んでいる様子の井上。
気遣うような眼光になってしまう。
「お喋りですか……。私が、話しかけようとすると、逃げてしまうのですが」
「逃げてしまうんですか。それでは、したくても、できませんね」
「そうなんです。沖田殿のように、逃げてないでくれると、嬉しいのですが」
何とも言えない顔を、滲ませていた。
話をしたくても、仲間たちは逃げたり、目を合わせようとしない。
徐々に、話をしてくれる人が、限られていったのだった。
西郷や久坂ぐらいしか、いなかったのである。
「もし、よろしければ、いつでも、来てください。僕が、相手をしましょうか?」
とても嬉しい提案に、思案する井上。
自分から、来たとは言え、目の前にいる沖田は、敵側だった。
「所属しているところは、相反していますが、ただの人として、話し相手ぐらいは、できると思いますよ」
「……。どうしても、話し相手がいない時は、お願いできますか?」
「構いません」
「ありがとうございます」
「ところで、他に、僕に聞きたいこととか、ありますか?」
開けっぴろげな沖田の姿勢に、ますます興味を沸いていく井上だった。
「では、なぜ、深泉組を選ばれたのですか。沖田殿のような、優秀さならば、どこでも入れたはず。その真意を、知りたいです」
「そんな、大した理由なんて、ありませんよ。ただ、都に来た際に、深泉組を見て、面白そうなだって。それに、他のところは、仕事が大変そうで、面倒臭いと、思っちゃって。でも、最近は、修理部も、よかったかもって。そこにいる開発を担当している人たちが、とても面白そうな人たちだったので」
邪気のない、楽しそうな笑顔を、沖田が覗かせている。
密かに跡をつけ、探っている自分たち仕事が、段々と、嫌気を差していく面々。
そして、軽い眩暈を起こしていたのだった。
そうとは知らず、話が進んでいく二人。
外野だけが、曇よりと、沈んでいたのである。
「なるほど。では、芹沢加茂については?」
「とても、面白い逸材です。だって、自分の気分次第で、人を斬っちゃうんですから。こんな人、いないですよ」
とても生き生きと、喋っている沖田。
それに対し、沖田の話を、真剣に思考している。
「……確かに。いませんね」
「でしょ」
話に、花を咲かしている二人だった。
ますます、後をつけていた者たちが、憔悴していった。
「どういう思考を、しているんでしょうか?」
眉間にしわを寄せ、井上が考え込んでいる。
沖田同様に、興味を憶えていたが、仕事が忙しく、芹沢のことを、調べるのを後回しにしてきたので、井上自身、手にしている芹沢の情報が少なかった。
(調べる価値が、あるかもしれないですね)
「僕も、そう思うんです。でも、なかなか見えなくって」
「沖田殿でも、難しい」
「はい。芹沢隊長は、面白く、とても難しい人です」
「なるほど。今度、深く研究でも、してみましょうか」
「して見てください。それで、後で、教えてください」
「わかりました」
その後も、自分の好きなものや、嫌いなもので、話が盛り上がっていった。
そうした話を、後をつけていた者たちが聞かされ、精神的に、疲弊していたのである。
読んでいただき、ありがとうございます。