第105話 どうしようもない心
いくつかある、馴染みの酒場で、飲んだくれている坂本だ。
喧騒としている室内。
ただ、虚ろな目で窺っていた。
のん気に、酒を飲んでいる客たちの姿。
羨ましげな眼差しを傾けている。
酒を、飲んでも、飲んでも、いやなことを、忘れることができない。
思わず、顔を顰める。
けれど、坂本の表情に、誰も気づかない。
楽しげに、客たちが、好き勝手に、くだを巻いていたのだった。
(いい気なものだ)
チラッと、忘れたくても、忘れられない武市の顔が、鮮やかに脳裏に蘇っていた。
見下すような、武市の双眸。
甘いと、何度も、武市に言われていた。
(何で、あの人は……)
徐々に、苦々しい顔を滲ませている。
無意味に、暗殺を繰り返す、いとこの武市。
同じ志を持ち、共に戦おうと、誓い合った日もあった。
楽しく、酒を酌み交わしていた日々が、懐かしい。
もう、あの頃に戻れないと、互いに理解している。
後悔はない。
ただ、どうして、袂を分けたのかと、巡らすだけだ。
不意に、嘆息を吐いた。
けたたましい喋り声だけが、耳に入り込んでいる。
グビッと、酒を流し込んだ。
目の前には、空の酒ビンが、乱雑に転がっていた。
すでに、二件の酒場を回り、ここで三件目だった。
小言がうるさい沢村に、居場所を特定されないように、頻繁に変えていたのだ。
こんな気分のまま、仕事をしたくなった。
「竜魔さん」
呼びかけられた方へ、視線を傾けた。
すると、池鞍大が立っていた。
彼は、十五歳の小柄な少年で、坂本の情報屋の一人だった。
都の中を、死んだ目をし、彷徨っていた池を、偶然、通りかかった坂本が拾った。
食べることに、困っていた池を食べさせ、何かと、面倒を見ていたのである。
坂本自身、ある程度したら、どこか働き口を、紹介しようとしていたが、それらを辞して、役に立ちたいと願う池の願いを聞きうけ、危険な仕事である情報屋として、池を使っていたのだった。
「鞍大か」
「はい、鞍大です。竜魔さん、飲み過ぎですよ」
「飲んでも、酔わないから、平気だ」
「ダメです。身体を壊します」
年下の少年に窘められ、苦笑してしまう。
ダメですよと言う可愛らしい表情に、ますます、笑いが止まらない。
愛らしい顔立ちと言うこともあり、実年齢よりも、年下に見られがちだった。
そして、何かと、坂本の世話もしていた。
事前に、沢村たちの動きを察知し、よく坂本に、知らせていたのである。
そうすることにより、悩みや疲れがある坂本に、ゆっくりとした時間を、過ごして貰いたかったのだ。
「……わかった。もうそろそろ、引き上げる」
「今すぐです」
真面目な顔を、池が覗かせていた。
置かれている状況が、芳しくないことを承知している。
核となる坂本が、仕事を放棄したことにより、手がけている仕事が、滞っていることを。
坂本の下で働くようになり、池なりに、仕事を把握していたのである。
それでも、思い悩んでいる坂本に、時間を分け与えたかったのだった。
「わかった。もう、飲まない」
「そうしていただけると、嬉しいです」
ニコッと、少年らしさを、前面に出した笑顔だ。
面倒見がいい池。
同じように、孤児である少年少女たちの面倒を、見ていたのである。そんな池を、情報屋の一人として、子供の時分より、使っていたのだった。
「狩りの方で、何かあったのか?」
首を横に振っている。
半妖を獲物にし、狩をしている者たちのことを、探らせていた。
簡単な仕事ではない。
命すら、落とす可能性もあったのだ。
それでも、信頼できる人物にしか、頼めない仕事だった。
勿論、池一人ではない。
他にも、数人に、探らせている。
その中でも、群を抜いて、情報屋としての能力が高かった。
「……何もありません。狩りを主催している方も、何度も、襲われているので、警戒して、様子を窺っているのかもしれません」
浮かない顔を覗かせている。
慕っている坂本の力になりたいと抱いているが、上手く行かない状況に、やるせない気持ちを募らせていたのだ。
「そうか……」
思うようにいかない状況に、坂本の顔が曇っている。
どうするかと、思案していた。
このまま、探らせるか、別な切り口から、もう一度、調べ直すかと。
ふと、伏せていた顔を上げる。
「小屋の方は?」
見世物小屋が、都に入り込んだ形跡を尋ねていた。
狩りする者たちの裏に、潜む大物たちを、根こそぎ仕留めなかったのだ。
バカな真似をし、金儲けしているやつらのことが、許せない。
そのため、仕事をしつつも、半妖を狩りする者たちの件を、炙り出していた。
まだまだ、情報が、不足していたのである。
「入り込んでいます。ただ、以前のように、活発に、入り込んではいません」
未だに、見世物小屋が、都のあちらこちらで、密かに開かれていた。
妖魔によって、侵食されつつある地方は、荒れていたのだ。
荒れている地方の現状にも、坂本自身、憂いている。
早急に、何かと手を打たないと。
けれど、何もできないと、もどかしさも溜め込んでいた。
「そちらも、警戒をしているのか?」
「そうだと、思います」
逡巡している坂本。
黙ったまま、控えている池だ。
二人の話に、耳を傾けている者などいない。
それでも、二人は細心の注意を払い、話し合っていたのである。
「特殊組は?」
「見つけられて、いません」
池の報告に、嘲笑していた。
つい最近、お粗末な、行動をしていた警邏軍の顔を、掠めていたのだ。
高杉の計画に振り回され、庶民からの信頼を、失墜させた警邏軍。
ある意味、高杉の計画は、上手くいっていたのだ。
高杉本人としては、沖田の失墜を、狙っていたのだが。
(上手く、行かないものだな……。どこも)
十五歳の少年が、見世物小屋の動向を、突き止めているにもかからず、専門の組織でもある特殊組が、突き止められずにいたのである。
笑わずにいられない。
(バカな連中だな。仕事を放り出すからだ)
警邏軍のことを、仕事をきちんとしない組織だと、坂本が巡らせていたのだった。
ただ、その中には、真面目に仕事をしている者たちが、いると言う認識は持っていたのである。
「独自に、動いている者たちは?」
「発見までしているようですが、その後は、もぬけの殻のようで」
真摯な顔つきで、調べた内容を語っていた。
坂本たちは、山南のかつての同胞たちの行動も、把握している。
「特殊組の密告者の方が、だいぶ、上のようだな」
特殊組の内部に、敵側に通じる者がいると、以前から踏んでいたのである。
そうした者がいなければ、特殊組も、ここまでコケにされる訳がないからだ。
「そのようですね。独自に、動いているにも掛からず、逃げられているのですから」
「特殊組にいる密告者は、手強いと見るべきか?」
「そう考えるべきと思います。後、どういう位置にいるか、ですね」
「確かにな」
少し、感心している顔を、坂本が漂わせていた。
(独自にいる者たちから、情報を得ている可能性が高いな……。独自に、探索している者たちの仲間や上司、……友人か……。誰かが、そろそろ気づき始めるかもな、そして、疑心暗鬼になっていく……。厄介になっているな)
段々と、眉を潜めていく坂本だった。
口を閉ざしている坂本の異変に気づき、おとなしく待機している。
そうした池の姿勢も、気づかないほど、深い思考に入っていった。
(どこも、同じだな。必ず、こちら側にも、内通者がいるはずだ。必ず、見つけ出してやる、見てろよ)
眼光鋭く、坂本が睨んでいた。
勤皇一派内にも、内通者がいると睨んでいたのだ。
けれど、誰か、特定できない。
そうしたこともあり、坂本は単独で動いていた。
どこかで、自分たちの動きを、悟られる可能性もあるからだ。
不甲斐なさで、池が拳を握り締めている。
深い思考から、解き放たれた坂本。
目の前の池に、視線を傾けていたのだった。
「他に、探っている者の影を、感じるか?」
狩りをしている者たちを、仕留めている者たちを、危惧していたのである。狩りをしていた者たちだけではなく、獲物にされている半妖の命まで、絶っていたのだった。
申し訳なさそうに、首を振っていた。
自信なさげな声音で、感じたことを言葉にしていく。
「何となくですが、残像のようなものを、感じるだけで、姿を窺うことができません」
同じように、狩りをする者や、半妖たちを追っている気配を感じるだけで、全然、姿を捉え、確認することができない。
もどかしさを、抱え込んでいたのだ。
「気配か……」
池以外もの者たちは、気配すら、感じられていなかった。
(確実に、俺たち以上のつわものがいる……。誰だ?)
顔を顰めていく。
薄ら寒いものを憶えていた。
誰にも、自分たちの存在を、悟られないようにしている者たちに。
(何者なんだ……)
誰一人として、彼らの正体を、掴めた者がいない。
きりがない瞑想。
いったん終止符を打つ。
「……外事軍には、何かあったか」
「いつものように、名前を伏せて、花街で遊んでいます」
「本部に、顔を出している人間はいるか」
「ほんの数人です」
様々な人間が、入り組んで、狩りが行われていたのである。
大きく絡んでいるのが、外事軍だと踏んでいた。
「顔を出していない人間は、どうしている?」
「花街を梯子し、そのまま地方に、戻っています」
「頻繁に来ている者は、ある程度、把握しているか」
「勿論です」
ボロボロの紙切れを、渡した。
坂本が開くと、読めにくい字で、数人の名前が書かれている。
字も、かけなかった池だった。
字や、数字を教えたのは、坂本だ。
暇な際に、坂本から文字を教わり、憶えていった。
そして、それらの知識は、面倒見ている孤児たちにも、池自身が教えていたのだ。
「ただ、まだ名前を、突き止められない者が、数人います」
「顔は、憶えているんだな」
「しっかりと」
「後で、写真を見せるから、判断してくれ」
「わかりました。竜魔さん」
無邪気に、笑っている。
少しでも、坂本の役に立っていると。
「頼むぞ、鞍大」
「はい」
読んでいただき、ありがとうございます。