第104話 疲れていても、休めない西郷
久坂から、頼まれた書類を持って、上層部のフロアーに行くと、いつの間にか、西郷が戻ってきていたのである。
西郷以外の上層部へ、持っていく書類を、手早く渡していった。
最後に、西郷への書類を持ち、沢村が、彼の部屋に訪れた。
不在の間、溜まっていた書類に、目を通していた西郷。
それに加え、このところ、外出することが多いので、様々な仕事が滞っている状況だった。
沢村が手にしている書類に、首を竦め、小さく苦笑している。
「すいません。西郷さん、追加です」
「書類作業は、終わりがないな。後から後から、持ってこられる」
沢村が訪れる前に、別な部下三人が来て、書類を置いていったのだ。
「ですね」
笑顔を携えながら、沢村が相槌を打った。
そして、西郷の机に、追加分の書類を置く。
巌のような西郷同様に、机のサイズも、大きなものを使用していた。
その大きな机には、作業スペースを作らないと、いけないぐらいに、多くの書類やファイルが置かれている。
「仕事は、終われたのですか?」
頻繁に、外に出かけ、忙しそうな西郷を気遣う。
自分たち以上に、何かと、忙しい。
ここのところ、外の仕事をこなしているので、西郷自身の身体を、心配していたのだった。
気遣ってくれる沢村に、頬が緩んでいた。
「今日のところはな」
「明日も?」
思わず、胡乱げな声音になってしまった。
「そうなるな」
若干、諦めが滲むような表情を、漂わせている。
ますます、西郷の身体を、気に掛かる沢村だ。
(岩倉殿は、一体、どんな仕事を、依頼したのだろうか……)
休憩する暇さえないぐらい、西郷は、馬車馬のように動き回っていた。
食事の時間や、睡眠時間などを削り、仕事の時間を、確保していたのである。
そうしているにもかかわらず、処理しないといけない仕事が、増えていく一方だった。
上層部の人間でも、書類仕事もしない者が、存在していた。
そのしわ寄せが、真面目に仕事をする、西郷たちに、降りかかってもいたのだ。
「申し訳ないと、思っている。仕事を押し付けてしまって……」
どうしても、回らない仕事を、沢村たちに渡していることに、心苦しいと、抱いていたのだった。そのため、仕事を終えると、すぐさま部屋に戻り、できるだけ、自分で仕事を処理しようと、努力していた。
「いいえ。私よりも、弦惴の方が」
血眼になって、書類と向き合っている久坂を、掠めている。
同じように西郷も、仕事に邁進している久坂の姿を、思い浮かべていた。
いずれ、外の仕事に、関わらせてあげたいと、巡らせていたのだ。
現状では、適切に、書類作業をこなす人材がいないので、西郷としては、申し訳ないと抱きつつも、久坂を頼りにしていたのである。
「そうか。悪いことをしていると、思っている。後で、何か、埋め合わせをしないとな」
「そうしていただけると、弦惴も、喜ぶと思います」
ニコッと、沢村が微笑んだ。
「他のみんなの様子は、どうだ?」
「武市さんの件で……」
瞬く間に、顔を曇らせていく沢村。
迷惑をかけ、胸を痛めている西郷だ。
「皆に、苦労をかけるな」
「いいえ。ところで、武市さんの件は、西郷さんが、処理しているのですか」
「いや。他にも、やることがあるから、大久保に任せている」
「大久保さんですか。後で、追加で、上がりそうな書類を、持って行きます」
爽やかな笑顔を覗かせていた。
少しだけ、西郷の心が、和らぐのだった。
「そうしてくれ。もし、大久保が不在でも、机でも置いておけば、大丈夫だ」
外の仕事で、不在している可能性もあることも、見越していた。
ふと、心の中で、嘆息を吐いてしまった。
(……。どうも、外に出かける楽しみを、憶えてしまったようだな)
外での仕事の件を、西郷が巡らせている。
密かに、外出する香茗の護衛に、西郷たちがついていたのだった。
当初、頻繁に出られることも、ないだろうと、踏んでいたのだ。
だが、外出する楽しみに、香茗がハマってしまったようで、何かと、外出する機会が増えてしまっていた。
行動的になった香茗。
いい反面、その分、西郷たちの負担が、のしかかっていたのである。
外出するたび、西郷や大久保数人が呼ばれ、気の張る護衛をしていたのだ。
そして、秘密にしている三条に対しても、心苦しさを募らせていた。
「わかりました」
「後、他には、何もなかったか?」
「ありました。西郷さんを訪ねて、桂さんが宅配の格好して、こちらに来ていました」
クスッとした笑みを、零している。
「桂が? あいつにも、困ったものだ……」
喋りながら、仕事の手を休め、立ち上がろうとする西郷。
「すいません。たぶん、もういないかと……」
「相変わらず、止まらずに、すぐさま行ってしまったのか?」
眉を潜めている。
何度か、桂に対し、連絡をつけられるようにしろと、命じていた。
けれど、西郷の近くに、間者がいる恐れがあると、拒否したのだった。
そう言われては、諦めるしかない。
「たぶん。……探しましょうか?」
「いや。桂のことだ、変装を変えて、動き回っているだろう。そうすると、容易く見つかることもできぬだろう」
「ですね」
自分の席に、腰掛けていった。
まだ、顰めていた顔が、緩まない。
西郷としては、桂に落ち着いて、事に当たってほしいと、願っていた。
桂がいれば、もっと仕事が、し易くなると、巡らせていたのだ。
「困ったものだ、桂にも」
外だけではなく、味方の中にも、桂を狙う者が、存在していたのである。
そうした者に対し、何かと、西郷が間を取り持って、押さえ込んでいたのだった。
そうしないと、桂が味方の者の手により、殺される恐れがあったからだ。
面倒の身がよく、ほっとけない性格でもある西郷は、能力がある桂を、見殺しにするのは勿体無いと、何かと桂を嫌う仲間たちに、働きかけを行い、やめるように求めていたのである。
味方の中で、桂を狙っている者たちは、かつて桂の同僚や、部下だった者が多い。
なかなか、決断を踏み切れない桂に業を煮やし、段々と、敵対していたのだった。
「未だに、虎視眈々と、狙っているようです」
沢村の報告に、脱力するしかない。
それほど、溝ができ上がっていた。
(どうすれば、そんなに溝が深くなるんだ?)
「随分と、根が深いですね」
「そのようだな。私の見込みも、少し、甘かったのかもしれない」
渋面している西郷。
もう少し、楽観的に構えていたのである。
自分が介入すれば、どうにかなると。
だが、結果は、平行線のままだった。
「西郷さんのせいでは、ありません」
伏せていた顔を上げ、励ます沢村の顔を見上げた。
「桂さんたちの問題です」
「……ま。そうだが……」
煮えきれない西郷がいた。
「西郷さんは、背負い込み過ぎです」
窘めてくれた沢村に、小さく笑ってしまう。
「ありがとう。坂本は、どうしている?」
「酒場に、入り浸りです」
「困ったものだ」
「もう少したったら、戻って来て貰います」
強い意志が込められていた。
「厳しいな」
「遊んでいる暇なんて、ありませんから」
ほくそ笑む沢村だった。
手綱を掴んでいる沢村。
少し貫禄が出てきたなと、微笑が絶えない。
読んでいただき、ありがとうございます。