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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第5章 散華 後編
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第103話  久坂と沢村

 忽然と、沢村が久坂の前に、姿を現したのだった。

 勤王一派のアジトの中を、歩いていた井上が、仕事部屋に、籠ったと言う話を聞きつけたからだ。

 金庫番の井上が、アジトの中を彷徨っていると、沢村が耳にし、恐々として、見つからないように、逃げ惑っていたのである。


 久坂同様に、頭が上がらなかったのだ。

 書類も、提出しないで、坂本が、使用している資金源について、追及されると、目に見えてわかっていたからでもあった。


 恨めしげな眼差しを、注いでいる久坂だ。

 苦笑している沢村だった。

「ごめん」

「早く書類を作成し、提出してくれ」

「そうするよ。ホント、ごめん」


 素直に謝るが、まだ、睨まれたままだった。

 目を合わせず、ぎこちない笑顔を、沢村が振りまいている。


「……もういい」

「ありがとう、弦惴」

 微かに、久坂が強張っていた顔を和らげた。

 ホッと息を吐き、久坂の正面に、腰掛ける。


 お詫びとして、溜まっている書類に、目を通していくのだった。

 そんな沢村の姿を窺ってから、止まっていた仕事を、再開し始めていく。

 一人でも多く、手伝いを求めていた。


「総之丞。西郷さんたちが、外に出ている理由、知っているか?」

 目を書類に傾けたまま、久坂が気になっていたことを、口にした。

 誰も、西郷たちの行く先を、知らない。

 そのため、気になって、僅かに、仕事のペースが、落ち込んでいたのである。


「いや。何度か、西郷さんに尋ねたが、秘密だと、言われてしまった」

「そうか……」


(一体、西郷さんたちは、何をしているんだ)


 眉を潜めている久坂だ。

 疲労を溜め込んでいる姿に、沢村が、困ったなと言う顔をしていた。


 二人は、同じような立場でいたが、久坂よりも、外での仕事が多いので、こういった事務作業を、久坂が行っていることが多かったのである。

 そういったこともあり、常に久坂に対し、申し訳ないと言う気持ちを、持っていたのだった。


 室内で、書類仕事に、追われている久坂とは違い、外での仕事がある沢村。

 幾分、内情を、心得ていた部分があったのだった。


(あれは、極秘任務だよな……)


 不意に、西郷と大久保が、密かに、岩倉に呼ばれたことを掠めている。

 内容を教えて貰えなかったが、幾つかの段取りを、手伝ったのだった。

 飛ばしていた意識を、沢村が戻した。


「大丈夫か」

「……大丈夫だと、言いたいが、少しキツい」

 珍しく弱音を吐く姿に、僅かに目を見張ってしまう。

 どちらかと言えば、久坂は、強がる性格の持ち主だったからだ。


「もう少し、明るい話題とかあれば、気が晴れるのだろうが……。このところ、上手くいっていないからな……。坂本さんの方は、どうなんだ?」

 何とも言えない顔を、久坂が滲ませていた。


 高杉の計画も失敗し、坂本の計画も、芳しくない。

 そして、他の計画に関しても、雲行きが怪しい状態だ。

 書類作業が多い分、あらゆる計画について、久坂は精通していた。そのせいもあり、上手くいっていない状況を、痛切に憂いていたのである。


「お願いしているだけど……」

 喋りが、鈍くなっている沢村。

 現在、坂本の仕事に携わっており、アジトを離れていることの方が、多かった。

 沈んでいる顔色。

 上手くいっていないことを、痛感させられる。


「まったく、ダメなのか?」

「……感触としては、悪い」

 支援者たちに頭を下げ、理解を求めているが、どの支援者たちも、坂本が立てた計画に、首を縦に振って、貰えない。

 連日、沢村たちが頭を下げ、理解して貰おうと、足を運んでいたのだ。


「失敗するのか」

 苦渋に、顔を歪めている。

「坂本さん次第かな……」

 伏し目がちに、沢村が漏らした。

「……このところ、武市さんのことで、荒れているからな」


 仕事もせず、酒場に、入り浸りな状態が、続いていたのである。

 支援者の元に、坂本自身が足を運び、説明すれば、緩和される可能性が、高くなっていくと、沢村たちは、思っているのだが、武市とかかわったせいで、機嫌が悪くなり、支援者たちの元に足を向けず、酒場に入り浸りな状態が続いていた。


「偶然、出くわし、ケンカしちゃったからな」

「外でか」

 意外そうな双眸を、注いでいる久坂。

 頭を抱え込むような仕草を、見せる沢村だった。

 坂本と、支援者周りをしている際、沢村も同行し、その現場に居合わせ、必死にケンカを始めた二人を宥めていた。


「ああ。武市さんは、奥さんと一緒にいて、奥さんも、止めに入ってくれた」

 武市の妻は、勤皇一派の中でも、良妻賢母として知られていたのである。

 今いるアジトにも、武市の妻が訪れ、よく差し入れをしてくれていたのだ。

 勤皇一派での、武市の評判が悪いが、その妻は評判がよく、そのおかげもあって、僅かな均衡が保たれていたのだった。


「江藤辺りだったら、放置していたな」

 武市の秘書である江藤の顔を、久坂が掠めていた。

 鼻につくような江藤の態度を、好ましくないと、抱いていたのだ。

 勿論、妻といた武市は、傍に、江藤を置いていない。


「そうだな。坂本さんも、武市さんの奥さんには、頭が上がらないからな」

 首を竦め、沢村がおどけて見せている。

「よく、あんな人を、支えているよな」

 少し眉間にしわを寄せ、久坂が愚痴を吐露してしまった。


 部下たちは、自分たちの仕事に、集中しているので、二人のぼやきを聞いている暇がない。

 沢村の存在も、数人の部下たちしか、気づいていない状況だった。


 曖昧な顔を、沢村が覗かせている。

 不満を口にしつつも、仕事の手を、休めている訳ではなかった。

 器用に、書類に目を通し、選別していたのだ。


「……確かに。どこが、いいんだろうか」

 逡巡している二人だが、結論が出てこない。

 勿体無いほどに、できた嫁だった。

 武市の妻は、美人ではないが、とても気立てがよく、夫である武市に、献身に尽くしていたのである。


「二人しかいないのか」

 珍しい人間が、アジトに、顔を出していた。

「「桂さん」」


 瞠目している二人の響きを気にせず、部下たちが仕事をしている。

 鬼気迫るほどの勢いで、部下たちが、仕事をこなしていた。

 平坦な顔でいる桂のいでたちは、宅配を装っていたのだ。


((よく、その格好で、ここまで入れたな))


 眉を潜め、凝視している二人に対し、何とも思わない。

 外からも、内からも、敵が多く、常に、変装して動き回っていた。

 そうした光景に、慣れている二人ではあったが、アジト内でも、平気で変装したまま訪れ、警備を担当している者は、一体、何をしているのだろうかと、不審を抱いていたのだった。


 不審者が入らないように、レンガ屋敷には、厳重な警備が、敷かれていたのである。

 そうした警備を掻い潜り、変装したまま、内部に入り込んでいた。

 普段、宅配業者が、ここまで辿り着くことがなかった。


 それに、外での仕事がほとんどで、めったなことがない限り、桂がアジトに顔をみせることがない。

 勤皇一派でも、桂の顔は、あまり知られていなかったのだ。

 そうしたことを踏まえても、不審者として、捕らえれれても、おかしくなかったのだった。


「西郷さんたちは?」

「……外に、出かけています」

「どこに?」

「わかりません」

 淡々と喋る桂に、沢村が答えていった。


 部下の誰一人として、沢村や久坂の前にいる宅配業者に、ギョッとしている者がない。

 膨大な量の仕事に、打ち込んでいたのである。

 微かに、困ったような顔を、沢村が滲ませていた。


(部下の意識改革もしないと、ダメだな……)


「……そうか。少し、話があったのだが」

 逡巡している桂。

 ふと、久坂が首を傾げ、桂を窺っている。


(それにしても、こういった衣装、どこで、手に入れているのだろう?)


「西郷さんが、戻って来ましたら、桂さんに、知らせましょうか?」

「無理だろう。私自身、一つの場所に、長いができない」

「連絡を、待っている間もですか?」

 何とも言えない表情な沢村を、真面目な顔で、桂が捉えていた。


 連絡がなかなか取れないことでも、桂は有名でもあったのだ。

 桂に、連絡をするには、至難の業だった。


「そうだ。いつ、刺客に狙われるか、わからないからな」

「もう少し、穏便にことが、進みませんか?」

「無理だ」

 潔すぎる態度に、何も言い返せない。


「しょうがない。私が来たことだけ、西郷さんに伝えてくれ」

「……承知しました」

 ようやく沢村が、言葉を紡ぎだした。

「坂本は?」

「坂本さんは……」


 坂本と武市のことを、掻い摘んで喋った。

 黙ったまま、桂が聞いている。


「そんな状況でして、拗ねていません」

 小さく沢村が、笑っていたのだ。

 ふーと、息を吐く桂だった。

 あまり顔を出さなくても、二人が犬猿の仲だと言うことは、把握していたのである。


「そうか。あの二人にも、困ったものだ」

 しょうがないと、桂が首を竦めている。

「えぇ」

 話が終わり、仕事の手伝いに戻っていく沢村。


 西郷や上層部に、持っていく書類の束が、いつの間にか溜まっていた。

 桂と沢村が喋っている間も、二人の話を耳にしながら、書類を分けていたのだった。


「総之丞。これらを、上に持っていってくれないか?」

「わかった」

 まだ、立っている桂に頭を下げ、沢村が席を立っていった。

 沢村の背中が、見えなくなってから、桂が、真面目に仕事をこなしている久坂に、視線を下ろす。


 双眸は、何を抱いているのかもわからない。

 ただ、仕事をしている久坂を、写していた。


「久坂」

 促され、少し目を見張ってしまっていたのだ。

 もう、その場から、離れているものだと、思い込んでいた。

 油断していた自分に、猛省している久坂だった。


「何でしょうか、桂さん」

「仕事を、頼みたい」

 突然の依頼に、頼まれた久坂が、絶句していた。

 余計なことを、桂は口にしない。

「……仕事ですか?」


 首を傾げ、何を考えているか、読ませない桂を見上げている。

 胡乱げな表情を、久坂が漂わせていた。


「そうだ。近衛軍の上層部に、潜入してほしい」

「潜入ですか……」

 瞠目し、信じられないと言う顔を、覗かせている。


 突如、外の仕事が、舞い込んでくるなんて、予想もしていなかった。

 頼むとしても、外の仕事を、ほとんどしたことがない久坂ではなく、最近、外の仕事が多くなっている沢村に、頼む者がすべてだった。

 意外過ぎることで、なかなか頭が働かない。

 けれど、目の前の桂から、視線を剥がさなかった。


「それと、バラ屋敷にも入り込んで、情報収集を頼みたい」

 ごくりと、久坂が唾を飲む。

「……私で、いいんですか?」

 恐る恐ると言う声音だ。


「ああ。ただ、とても危険な仕事だ。西郷さんや坂本は、反対するかもしれない。だから、内密で、この仕事を頼みたい」

「……」

 外での仕事をしている沢村に対し、憧れや嫉妬があった。

 早く、外での仕事を、任されたいと。


 徐々に、身体が強張っていく。

 沸々と、闘志見漲っていくような感覚に、襲われていた。


「できないか?」

 燃え盛る焔を宿した眼光を、平静な桂に注いでいる。

「……できます。やらせてください」

「頼むぞ」

「はい」

 残る用件を伝え、久坂の前から、立ち去っていく桂。


 大量に片づける書類を前に、意力が、止めどなく溢れていった。

「まず、これを片づけなければ」

 先ほど以上に、書類作業に打ち込んでいったのだ。


読んでいただき、ありがとうございます。

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