第101話 暗雲4
訓練をサボり、酒を飲んでいる原田や永倉、藤堂、島田の姿が、彼ら以外いない訓練場にあった。
深泉組に対し、蔑ろにするような視線に、嫌気がさし、誰もいないところで、四人で酒を飲んで、憂さ晴らししていたのである。
待機部屋で、平然と、酒を飲むことが躊躇われたので、ここで落ち着いたのだ。
「いる場所が、ないな」
乱暴に、原田が吐き捨てた。
訓練場の中央で、数種類の酒を持ち込んでいたのだった。
自分の好みの酒を、各々、手酌で飲んでいる。
「確かに。どこにいても、深泉組と言うことで、奇異の目で見られるな」
慣れているとは言え、どこを歩いても、蔑むような眼差しに晒させ、島田自身も居た堪れない。
何度目か、わからない嘆息を吐いていた。
馴染みの店数件で、出入禁止になっている状況だ。
勿論、芹沢たちのことで。
「どうにか、ならないのか」
ぼやく永倉に、藤堂が首を振っている。
「無理だ」
「どうすればいいんだ……」
嘆きしか、出てこない永倉だ。
警邏軍内部よりも、外の方が、そうした視線が如実に、現れている。
そのため、制服を着たまま、外に出るのにも躊躇してしまうのだ。
原田班と永倉班の一部の隊員たちは、制服を脱いだまま、外に遊びに出かけてしまっていたのである。
比較的、原田たちは顔を知られているので、出かけられなかった。
庶民に、良心的と謳われている商家を、芹沢たちが襲った余波が広がり、深泉組は身動きができない状況に、陥っていたのだった。
「何で、鶴岡屋を、襲ったんだ?」
訝しげな顔を、原田が覗かせている。
鶴岡屋が良心的で、庶民から慕われている商家であることは耳にしていた。
そして、何度か、人が良さそうな主人の姿を、見かけたこともあったほどだ。
「……さぁな」
あまり関心を、永倉が示さない。
ただ、黙々と、酒を飲んでいた。
「……あの男は、気持ち悪かった」
珍しく、藤堂が口に出していた。
突如、喋った姿に目を見開き、窺っている面々だ。
「胡散臭い」
「鶴岡屋の主人のことか?」
僅かに、顔を曇らせている島田だった。
「ああ。なぜか、わからんが……」
不意に、永倉が逡巡し始める。
「……あまり、考えたこともなかったが、確かに、胡散臭いかもな」
眉間にしわを寄せ、原田が永倉や藤堂を捉えている。
「どういうことだ?」
瞳を輝かせている島田も、聞きたいと顔を描かれていた。
「綺麗過ぎるんだ」
「綺麗?」
首を傾げる原田。
「どういうことだ、シンパチ」
先を促す島田だ。
「何一つ、悪い噂がない。そんな人間、いるか?」
顔を顰めている三人に、永倉が視線を巡らす。
「確かに……」
思案する顔を、島田が滲ませていた。
「いい噂は、耳にしていたが、悪い噂なんて、一つもなかったな」
何気なく、原田が口にしていた。
「もしかすると、裏で、何かしていたのかもな」
「「「……」」」
休憩室には、井上と沖田が和やかな雰囲気で、過ごしていたのである。
書類を頼まれた井上を手伝い、仕事を終えた後に、誰もいない休憩室で、少し時間を潰していたのだった。
そこへ、斉藤が姿を現した。
「どうした?」
「休憩です」
にこやかに、答える沖田。
サボっている感覚が、否めない井上は、少し目が泳いでいる。
「そうか」
淡白な斉藤だ。
「班長は?」
「少し、見回りだ」
「外の方は、どうでしたか?」
「いつも以上に、目が厳しいな」
「そうですか」
困ったような顔を、沖田が滲ませていた。
フリーズしている井上。
この状況に置いても、真面目に外で仕事をしていた斉藤の姿に、驚愕が隠せない。
僅かに口を開け、ぽかんとしている姿に、沖田が口角を上げていたのだった。
「当分、和らぐことは、ないかもしれませんね」
ニッコリと微笑む沖田を、見下ろしている斉藤だ。
微かだが、心配の色を醸し出している。
「……だろうな。制服のまま、出歩いているのだろう」
「はい」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。みなさん、変わらず、接してくれますよ」
愛らしく、首を傾げてみせる沖田。
安富から、外を歩いていた保科が、小石などをぶつけられた件を、報告を受けていたのだ。
一般の庶民から、制服を着て歩いていた保科に、小石を投げつけられていたのである。
保科から、安富に相談が行き、斉藤へと話がいったのだった。
ただ、土方や近藤のところまでいっていない。
これ以上、負担をかけるのも、忍びないと伏せたのだ。
「だが、今後は、何かあるかわからない。気をつけるように」
「わかりました」
ふと、部下ではないが、仲間の井上に視線を注ぐ。
見つめられる双眸に、ビクッと、身構えていた。
「井上は?」
「ぼ、僕は、平気です。仕事以外は、制服を着ないように、していますから」
「そうか」
まさか、自分のことも、気にかけて貰えるとは思っていなかったので、激しく動揺している井上だった。
「新見隊長は?」
うっと詰まらせる姿に、クスッと、沖田が笑っている。
未だに、男色家の新見の脅威が、収まっていなかったのだ。
「大丈夫です。必ず、井上さんを、一人にしないように、していますから」
そういう目的があり、今現在、井上に付き添っていたのだった。
「もしかして……」
申し訳なさそうな顔を、井上が覗かせていた。
「気にしないでください。暇でしたから」
「ありがとうございます」
歓喜溢れる表情だ。
微笑んでいた顔を、無表情でいる斉藤に注ぐ。
「班長。今後、深泉組は、どうなるんでしょうか?」
「……厳しい立場に、追い込まれるだろうな」
「そうなると?」
「深泉組が、潰れる可能性が高い」
置かれている状況を語った。
顰めっ面で、井上が黙り込んでいる。
「それは、いやですね。せっかく、楽しい職場なのに」
遠くを見つめる沖田だった。
口を閉ざす斉藤である。
その頃、待機部屋の一角では、山南班が一つに固まっていた。
他の班は、バラバラで過ごしていたのだった。
「甘やかしていたから、こうなってしまったんだ」
ふてぶてしく笑っている芹沢の姿を、山南が掠めていた。
徐々に、太い眉が潜めていく。
尾形が、心配そうに山南を窺っていた。
何度も、辛酸を嘗められていたのである。
「芹沢隊長に、どうにかできる人物なんて、いないですからね」
冷めた顔で、水沢が呟いていた。
山南と尾形の顔が、険しくなっていったのだ。
「大丈夫でしょうか? 僕たちにも、処分が下ってしまうんでしょうか」
今後の自分たちの処遇のことが、気になってしょうがない千葉。
不安な顔が、ずっと、拭えずにいる。
処分の対象となれば、昇格にも、影響があるからだった。
「なるようにしか、ならないわよ」
落ち着きのない千葉を、藤川が彼女なりの励ましをかけていた。
深泉組が、消滅する可能性が高く、自分たちは、解雇されるかもしれないと、どうしても言えなかったのである。
あまりに、千葉の形相が、悲壮感で滲んでいたからだ。
仕事が手につかないようで、事務三人組も話し込んでいる。
「芹沢隊長のこと、嫌いではないけど、今回のことは……」
言葉を濁している三上。
良心的な鶴岡屋で、買い物をしている一人だった。
将来のために節約するために、良心的な価格で、売っている鶴岡屋などを、利用していたのである。
「そうね。今回の件は、随分と、酷いものね」
やりきれない顔で、ジュジュが嘆息を漏らす。
「何で、芹沢隊長は……」
思いつめたような表情でいる三上である。
「お金を持っているところしか、狙っていなかったのにね」
これまで芹沢たちが、襲った商家のことを、伊達が思い返していた。
「でも、鶴岡屋からも、お金が出てきたんでしょう?」
耳にしたことを、ジュジュが小さな声音で口に出した。
それを聞いた際は、自分の耳を疑ったほど、驚きが隠せなかったのだ。
「意外だったわね」
同意する伊達に、三上が頷くだけだ。
「改めて思うけど、芹沢隊長の情報網って、凄いわね」
感心しているジュジュだった。
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