第99話 暗雲2
井上からの報告を、小栗指揮官に伝え、待機部屋に戻ってきていた。
情報を持って帰る隊員たちを、待っている近藤。
その間も、自分の席で、瞑想しながら、待ち構えている。
仕事も、手につかないほどだ。
しっかりと、組まれている手に、自分の額をつけていた。
(何で、おとなしくして、くださらないのですか? 芹沢班長。せっかく、深泉組が潰されることもなく、落ち着き始めていたのに……)
苦悶の表情が、表に出ていない。
目を瞑っているとしか、思えなかったのだ。
待機部屋には、事務のジュジュしか残っていない。
三上と伊達には、警邏軍での内部を、探らせていたのである。
勿論、新見隊や芹沢隊は、誰一人として残っていない。
こうなることを察し、すでに戦闘部隊ではない隊員たちは、雲隠れしていたのだった。
ゆっくりと、近藤が息を吐く。
気遣うような双眸を、ジュジュが傾けていた。
話しかけられるような雰囲気ではなかったのだ。
徐々に、外に出て行った隊員たちが、少しずつ戻ってくる。
すぐさま、近藤の元に、報告にいけない。
暗黙の了解のように、副隊長や班長が、全員揃っていくことが、視線で決まっていく。
しばらくして、ようやく副隊長の土方を始め、班長たちも揃った。
そして、重苦しい足で、近藤の前に立った面々だ。
彼らの気配を感じ、伏せていた顔を上げる近藤だった。
神妙な面持ちの六人の顔を窺う。
微かに、近藤の顔色が悪かった。
「どうであった?」
「事実です。現状としては、酷い状況になっています。一軒目の鶴岡屋ですが、店の主人を、一太刀で斬り捨てられておりました。他にも、抵抗したと思われる、店の者が二人ほど、斬られておりました。店自体も、酷い有り様で、徹底的に、家探しをしたようで、かなり荒らされておりました」
苦渋に満ちた顔を滲ませ、できるだけ淡々とした口調で、土方が報告していた。
銃器組の人間が、検分をしているところを訪れ、頭を下げ、邪魔にならないように調査を行っていたのである。
これまでにないぐらいに、すべての物を荒らし、壊して、見逃しがないように細部まで荒らされていた。
いつも以上のやり口に、目にしていた土方自身、眉を潜めるほどだ。
「……で、斉藤の方は?」
促された斉藤が、無表情で口を開く。
「ケガ人も、多数出ております。勿論、店の者を始め、客、後は、見物していた者にまで、ケガ人が、出ておりました。重症の者には、病院を手配し、軽症の者に関しては、近隣の屋敷を借り、救護しておきました」
銃器組は調査に追われ、ケガ人にまで、意識がなかった。
斉藤班が中心となり、救護に当たっていたのである。
救護しながらも、どういった状況だったのか、話を聞いていたのだ。
「そうか」
小さめな声音だ。
原田の番となった。
視線が定まらず、落ち気がない。
余り面白くない話に、二の足が踏んでいたのだ。
さっさとやれと、永倉に突っつかれる。
「……うちの班と永倉班で、二軒目にやられた店に、いってきたが、店の主人も、その家族、店の従業員、客は無事だった。ただ、多少なりの傷を、負っていたがな。ただ、店自体は焼かれ、ほぼ消失していた」
簡素な報告を行った。
放心状態の主人から、話を聞くことができなかった。
そのため、周囲の者から、話を聞き込んでいたのだ。
「私の方から、報告させて貰います」
断りを入れる山南。
促され、呆然としている顔を、顔を顰めている山南に巡らせている。
「……原田班長が、報告したように、三軒目の有村屋も、同じ状況でした。死んだ人間は、おりませんでしたが、家探しをし終えると、あっという間に、芹沢隊長は、屋敷を燃やすように、指示を出したようです」
さらに、苦々しい顔を、山南が窺わせているのだった。
跡形もなく、屋敷などが燃やされていたのだ。
その影響は、近隣まで出ていた。
「四軒目も同じだ。同じように、屋敷を燃やした。芹沢隊長は、一体、何をしたいのだろうな? こうも立て続きにするなんて、今までなかったはずだ」
眉を潜めている島田の意見に、頷く面々が多い。
商家を襲っても、せいぜい二軒ぐらいなものだった。
それが、いつもの倍の、四軒が襲われていたのである。
いつも以上に、容赦のないやり口だ。
「急に、金でも、必要になったのか?」
何気なく、原田が呟いていた。
「お前とは、違うぞ」
呆れた顔を、覗かせている永倉だった。
眉間に、濃いしわを寄せている土方。
「それはない。このところは、羽振りがよかったはずだ。芹沢隊長に、献金している商家が、多く宴会を催していたからな」
芹沢の動向を、常に探らせていたのである。
けれど、突然の動きに、このような状況に陥ってしまったのだった。
「だったら、その商家から、依頼されたのか?」
口を挟む永倉だ。
商家からの依頼を受け、煙たい商家を、襲撃することが、何度かあったのだ。
実際、原田や永倉は、そうした芹沢たちを、何度となく目にしていた。
「それも、どうだろうな」
否定した島田の顔を、怪訝そうな原田と永倉が窺っている。
「煙たく思っているだろうが、そこまでする、必要性がない気がするぞ、どの商家を見ても」
感じたことを、そのまま島田が口にしていた。
今回、襲われた商家は、上手く立ち回っているところがほとんどだった。
顔色一つ変わらない斉藤が、ようやく喋り出す。
「三軒目の有村屋と、芹沢隊長と繋がっている商家と、敵対しているが、微々たるものだ。もし仮に、依頼されたとするならば、他の商家を狙われるはずだ」
「「「「「「……」」」」」」
行き詰ってしまった六人だった。
出口のないトンネルを、歩いているようだ。
「機嫌が悪かったから、襲ったと言うのも、おかしい。それぞれ、襲われた場所が、離れている。機嫌が悪く、襲っているならば、その近隣を、立て続けに襲っているはずだ。それに、話を聞く限り、まっすぐに襲った店に向かった。寄り道せずにな」
「「「「「「……」」」」」」
なぜ、良心的と庶民と謳われている、四軒の商家を狙ったのか、誰も、皆目検討がつかない。
まして、一軒目では、主人を斬り捨て、他の三軒では、屋敷を焼失させていたのだった。これまで、屋敷内を荒らし、火を放つことがあったが、ぼやまでで、屋敷を焼失させることまでなかったのである。
だが、今回は、屋敷を焼失させるまでしていたのだった。
なぜ、そんなことまでしたのかと、誰もが訝しげていたのだ。
不可解な出来事が、多くあり過ぎていた。
チラリと、原田が永倉の顔を窺う。
永倉自身が、無言のまま頷いていたのだ。
「……もう一つ、報告がある。……部下たちに、屋敷に火を放つように命じ、屋敷が燃えるのを、芹沢隊長が高笑いしながら、眺めていたらしい」
言いにくそうに伝えた。
破顔している面々。
いやな役目だなと、原田が顔を顰めている。
「……本当なのか、サノ」
胡乱げな島田の顔だ。
「本当だ」
「いつになく、酷いな」
島田の眼光に、嫌悪感が滲んでいた。
「何人もの、見物人が見ている。挙句、非道だ、鬼と、見物人が呟くのを聞きつけ、芹沢隊長は、それがどうした?って言って、部下に命じ、見物人を痛めつけたらしい」
あまりの非道さに、二の句が出てこない島田だった。
いつも以上の、むちゃくちゃなやり口に、行動原理がわからないと、太い眉を潜め、山南が頭を振っている。
離れた場所で、耳にしている隊員たちも、口を閉ざしていた。
部屋に空気が悪過ぎて、いつも騒がしいメンバーも、おとなしくしている。
「おかしくなったのか、芹沢隊長」
首を竦めている原田。
「そうなったと、言わざるをえないな」
同意している永倉だった。
「おかしくなったとしても、何か、理由があるはずだ」
珍しく、芹沢を庇うような発言をしている土方である。
誰も、微かに目を見開き、驚きを隠せない。
視線を集めている土方は、ブスッとした表情だ。
「芹沢隊長を、正答するものじゃない」
それでも、擁護するような発言をしたのだ。
いつも、芹沢に、意見をぶつける土方が。
面食らっている原田たちに、僅かに、頬を朱に染めている。
その空気を払ったのが、いつも静観している斉藤だ。
「確かに。芹沢隊長は理由なく、行動する人ではないと、私は思います。何らかの、芹沢隊長なりの、理由が、きちんとあるはずなんです。あの行動には。それを読み解かない限り、芹沢隊長の考えが掴めない気がします」
斉藤が、自分の意見を口に出した。
饒舌に喋る斉藤に、胡散臭い顔を山南が漂わせている。
「珍しいな」
「……」
「何らかとは、何だと」
突っかかっていく山南。
「わかりません。私は、芹沢隊長ではないので」
涼しい顔でいる斉藤だ。
それに対し、ムッとしている山南だった。
一方的に、山南が、闘志剥き出しになり始めていたのである。
「私は、感じたことを言ったまでです」
「……」
「ここは、忌憚なく、意見を述べる場所のはずです」
もっともな正論に、言葉がない。
ただ、むっつりしている斉藤を、半眼していた。
妖しくなっていく雲行きに、島田が首を竦めている。
原田と永倉は、面倒臭いやつらと静観していた。
ただ、土方が険しい顔で、窺っていたのである。
「だったら、この後、どうすべきと、思うのだ、斉藤班長は?」
「芹沢隊長のことです。聞いても、答えてくれないでしょう」
「それでも、尋問すべきです」
尋問と言う響きに、近藤の眉を微かに動く。
誰も、斉藤と山南を注視しているので、気づく者が少ない。
ただ一人、沖田だけが気づいていた。
「無理だと思います。芹沢隊長は、強い信念を持っている方だ」
感情が、読み取れない斉藤の顔だ。
そのことが、ますます山南を苛立たせている。
「だからと言って、このまま野放しにしろと言うのか?」
「私が、決めることではありません」
「逃げるのか?」
「逃げていません。そうした立場にいないと、言うことです」
珍しい斉藤と、山南のやり取り。
自分たちの席にいる隊員たちが、瞠目していた。
山南と近藤や土方が、よく論争をしているが、これまで山南と斉藤が、ここまで激しく論争している場面に、出くわしたことがない。
面白い組み合わせに、沖田も、このなりゆきを内心で、面白がっていたのだ。
「逃げていたから、このような状況に、陥ったのではないのか」
「では、山南班長には、芹沢隊長に、尋問することができるのでしょうか?」
挑発してきた斉藤に、ぐうの音もできない。
他の隊員たちも、ありえない光景に絶句している。
「お答えください。山南班長」
まっすぐに、注がれる斉藤の視線。
受ける山南も、逃げない。
怯まない山南の姿に、口の端を上げている原田だった。
頑張っているなと、永倉が感心している。
「……する……。私は絶対に行う」
「そうですか。ですが、手ごわいですよ」
「……」
「部下を、何人も、死なせることになりますよ」
斉藤の言う通りだと、山南も巡らせる。
けれど、逃げる訳にはいかない。
唇を噛み締め、揺らぐことが少ない斉藤を、睥睨していた。
睨まれていても、色を変えていない。
(気に入らない男だ。何を考えている?)
「斉藤。そこまでだ」
二人の間に、土方が入っていく。
「わかりました」
返事をし、口を結んだ。
「引いてください。山南班長」
「……承知しました」
面白そうだったのにと、揶揄している原田を、鋭い眼光で土方が黙らせた。
「ところで、近藤隊長……」
気持ちを切り替え、山南が近藤に視線を傾ける。
徐々に、眉間のしわが、増えていった。
動かず、逡巡している近藤を、捉えていたのである。
斉藤と山南の論争を聞いておらず、ひたすら、何らかの思考に、没頭していたのだった。
何も聞いていない態度に、怪訝そうな表情になっていく。
口を開こうとする山南を、島田が遮る。
「山南さん」
呼ばれ、島田の顔を窺う。
島田が、頭を横に振っていた。
「……」
もう一度、近藤の顔に視線を巡らすと、血の気が引いているようだった。
そんな近藤の姿を捉え、班長たちが、自分たちの席に、静かに戻っていく。
山南と島田しか残っていない。
「後にしよう」
「……わかった」
考えに耽っている近藤から、二人も離れていった。
残された近藤は、彼らの行動に、全然、気づいた様子もなかったのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。