第97話 八木邸でのひと時2
八木邸に訪れ、芹沢が八木の孫である梨那と、縁側で和菓子を頬張っていたのである。
他に、誰もいない。
八木が、先客を相手にしているため、一人で佇んでいる芹沢の元へ、芹沢が来ていると耳にした梨那が、駆け込んできたのだった。
梨那を下がらせようとする使用人に、大丈夫だと言い、梨那の遊びに付き合っていたのだ。
今は、使用人が用意したおやつを、二人で食べていた。
「蝶だ!」
嬉しそうな顔を、梨那が覗かせている。
思わず、芹沢の表情も緩んでいた。
梨那の髪に、蝶をモチーフとした髪飾りが、つけられている。
以前、梨那に買ってやると、約束していた髪飾りだった。
芹沢に買って貰った髪飾りを気に入り、毎日のようにつけていた。
「ホント。梨那は、蝶が好きだな」
「好き」
無邪気な笑顔を、芹沢に傾けていた。
蝶の髪飾りは、とても梨那に似合っていたのだ。
そんな姿を眩しそうに、目を細め、捉えていたのだった。
鶴岡屋を襲撃した、同一人物とは思えないほどの、穏やかな表情だ。
これほど、ゆったりとした顔を、小梅にも、見せたことがない。
最近では、梨那の前でしか、見せない顔だった。
美味しそうに、梨那が和菓子を食べていた。
不意に、蝶の髪飾りに、視線を巡らす。
(あれも、蝶が好きだったな……。そう言えば、一度も、渡していないな)
かつての部下だった近藤は蝶が好きで、自分の持ち物などに、蝶のモチーフを施していた。
優秀になっていく姿に、芹沢の口角が、小さく上がっている。
ある意味、近藤は芹沢の最高傑作だった。
手塩にかけ、育てたのだ。
今は隊長として、手腕を発揮している。
思い描いていたのは、特殊組と言う場所だったが。
でも、上手い具合に、近藤の能力が発揮でき、芹沢としては、ある程度納得していた。
(ま、あいつらもいるし、大丈夫だろう)
かつての部下たちの顔が、通り過ぎていく。
だから、近藤が深泉組に落ちても、大した心配はしていない。
「すいません。孫の相手を、させてしまって」
申し訳なさそうに、八木が顔をみせた。
「おじいちゃん」
縁側に座っていた足を、梨那がバタバタと揺らしている。
芹沢が来ると、必ず、芹沢の元に遊びに来ていた。
梨那は、屋敷から、ほぼ出たことがない。
梨那自身の面差しが、ひと際美しく、目立っていたため、何度か、連れ去られそうになっていたのである。そのため、梨那が怖がることもあり、屋敷から、出なくなっていたのだ。
梨那の一大事を耳にした芹沢も、連れ去ろうとした相手を、容赦する人間ではなかった。
勿論、八木に頼まれた訳ではない。
芹沢自身の意思だ。
部下の手も借りず、芹沢自身の手により、抹殺していたのだった。
一撃で仕留めるのはなく、無慈悲に身体中に傷を与え、苦しみと恐怖も、同時に味合わせていたのである。
「梨那と、遊びたかっただけだ」
何でもないと言う芹沢に、苦笑する八木。
頬が緩んでいる梨那の脇に立つ。
「梨那。芹沢様と、大事なお話があるから、向こうへいっていなさい」
「えー」
瞬く間に、頬を膨らませ、不満げな顔を覗かせている。
困ったなと言う顔を、滲ませている八木。
孫には、とても弱かったのである。
「まだ、ここにいたい」
「梨那……」
「だって、遊びに、来てくれないんだもん」
絶句している芹沢だった。
何かと忙しく、頻繁に訪れていなかった。
毎日、芹沢と遊びたい梨那にとっては、とても不満なことで、来た際は、目いっぱい遊びたいと、抱いていたのだった。
痛いところを突かれたと、僅かに、顔が強張っている。
部下たちを引き連れ、飲みにいかなければ、もう少し、八木の屋敷に訪れることもできた。
でも、頻繁に、ここに訪れる訳にはいかない。
常に、誰かに、見張られているからだ。
見張っている者を、頻繁に撒けば、自分がしていることを、誰かに悟られる恐れがあったのである。
だから、めったなことがない限りは、八木邸に顔を見せにこなかった。
ここまで、梨那が不満に感じていたとは思ってもみない。
梨那を可愛がっていたので、芹沢も、梨那に大変弱かった。
梨那の琥珀の瞳が、瞬く間に潤み始めている。
同じ琥珀の瞳で、芹沢が見つめていた。
(参った……)
今にも、泣きそうな梨那の頭に、大きな手で撫でる。
「すまん、梨那」
困りきった芹沢の顔を、見上げる梨那だ。
大好きな芹沢を、困らせたくない。
ただ、一緒に遊んで、一緒にいたかっただけだった。
徐々に、梨那が口を尖らせていく。
「すぐに、来てくれる?」
「できるだけな」
ニッコリとした顔で、芹沢が首を傾げる。
「わかった」
立ち上がり、自分が食べていた和菓子を手にし、梨那が下がっていった。
梨那の姿が見えなくなるまで、少しだけ名残惜しそうに眺めている。
「困らせてしまい、申し訳ありません」
「いや。私が悪いのだから」
芹沢の隣に、腰を下ろす。
心得たように、使用人が二人分のお茶を出し、すぐさまに消えていった。
縁側には、二人だけしかいない。
「役に立ちましたかな」
「いろいろとな」
「それは、ようございました」
にこりと、好々爺の笑顔をみせている。
「店の方は、順調か?」
「はい」
「何かあったら、連絡するように」
「わざわざ、芹沢様の手を、煩わせることもありません」
チラリと、穏やかな八木の顔を窺う。
芹沢が知らない者を、幾人かの用心棒を雇っていたのだった。
「芹沢様同様に、密かに、近藤様も、私どもを気遣っておりますし……」
近藤の名に、思わず、渋面してしまった。
「ですから、大丈夫です」
「何かと、騒がしいから、気をつけろ」
「かしこ参りました」
ふふふと笑っている八木に、肩の力を抜く芹沢だ。
「そうだ。情報の一部だが、沖田に渡した」
瞠目している八木に、してやったりの顔を滲ませている。
「驚いたようだな」
瞬時に、元の好々爺の顔に戻っていく。
「えぇ。相当、彼の方を、気に入ったようですね」
「ああ。あいつは、どう変貌するか、見物だなと思ってな」
「人が悪いお方だ」
「人のことを、言えんだろう」
僅かに首を傾げ、困った顔を覗かせている八木を見ていた。
「さてさて、私のところまで、辿り着くでしょうか」
「わからん。だが、来たら、任せる。好きにしていいぞ」
「承知しました」
恭しく、八木が頭を下げる。
そして、懐から、折り畳まれた数枚の紙を、芹沢の前に出した。
無造作に、それを取った。
「随分と、あるな」
「芹沢様が容赦なく、動き回ったおかげでしょう。あちらとしても、動きざるを得ないのでしょうね」
「そうか」
満足げな笑みを、芹沢が零していた。
その眼光は獰猛で、ようやくほしい獲物が見つけたようだった。
「くれぐれも、お気をつけて」
「わかっている」
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