第93話 苛立つ原田と窘める永倉
訓練場で、ひたすら剣を振っている原田。
広い訓練場に、原田しかいない。
一人で、汗を流し、黙々と訓練していた。
普段、訓練場のフロアに、深泉組以外の隊員がいることが多いが、このところ一切見かけていない。
外回りの仕事に、日夜、回っていたのである。
銃器組や、特命組、特殊組が、失態を取り戻ろうと、外回りに出て、仕事に汗水流していた。
本部に残っているのは、若干名しかいない状態だ。
誰もいないので、原田が使っていたのだった。
息が荒く、すでに長時間も、剣を振っている。
仮想の敵を相手に、戦いを挑んでいた。
仮想の敵は、一人だ。
複数ではない。
ただ、一人の強い敵を相手に、原田がひた向きに打ち込んでいる。
突如、訓練場の扉が開いた。
けれど、気にすることもなく、仮想の敵と戦っている。
扉から入ってきたのは、呆れた顔を覗かせている永倉だった。
見当つけ、まっすぐと、訓練場に辿り着いたのだ。
「随分と、熱心だな」
声を掛けても、返事が返ってこない。
ギラギラとする眼光に、仮想の敵しか映っていなかった。
やれやれと、永倉が首を竦めている。
だが、帰ろうとせず、打ち込んでいる原田の様子を窺っていた。
一心不乱な動きに、いつものキレがない。
(どれだけ、やっているんだ?)
床一面には、原田の汗が散らばっている。
時々、汗に足を取られていた。
(バカ。少しは考えろよ)
勢いよく、剣を振り切り、ようやく原田の動きが止まる。
「何回、芹沢隊長に殺された?」
「……」
乱れた息のまま、小さく笑っている永倉のことを、半眼した。
喋る気力が残っていない。
疲労が、溜まっていたのだ。
「で、何回だ」
原田の状態を、理解しながら促す永倉。
睨みを利かせても、無駄だと諦める。
息を吐き、呼吸を整え、重たい身体を立ち上がらせた。
ポタ、ポタと、汗が止まらない。
湧き水のように、溢れ出している。
「……憶えてない。……たぶん、十回以上は、殺されている」
仮想の相手は、この前、訓練と称し、やられた芹沢だった。
それから、密かに、一人で訓練していたのだ。
勿論、永倉や藤堂は、原田の行動に気づいていた。
悔しい気持ちや、許せない気持ちがあり、知らない振りを通していたである。
だが、原田の身体を気遣い、永倉が出てきたのだった。
「随分と、やられたな」
「……」
「一度も、やり返すことができなかったんだろう」
「……」
「さすが、芹沢隊長」
賞賛している永倉に、ジト目で睨んでいる。
睨まれても、口角を上げ、どこか楽しげだ。
「バカモノだよな」
「……」
「楽しくないのか? 以前のサノだったら、面白いと、喜んでいただろう」
永倉が喋っていても、一度も返さない。
ただ、目を細めているだけだ。
「今回は、違うな」
意味ありげな視線を、注いでいる永倉だった。
どこか、居心地が悪そうな顔を、原田が覗かせている。
「どうしてだ?」
(くそ。わかっているくせに)
原田が、そっぽを向いている。
けれど、逃げは許さないぞと言う顔を、永倉が傾けていたのだった。
この沈黙が、いやで、原田が噛み付く。
「うるさい!」
「素直じゃないな、サノは」
「うるさいと言っている、どこかへ行け!」
「断る」
「シンパチ」
さらに、口角を上げる永倉を捉えている。
苛立ちが収まらない。
「芹沢隊長に、可愛がっている井上がやられたのが、悔しいんだろう?」
肯定も、否定もしない。
ただ、ぎらつく眼光を、向けているだけだ。
容赦しない永倉が、さらに喋り出す。
「お気に入りだもんな」
「……それを言うんだったら、お前もだろうが」
渋面しつつ、ようやく原田が反論した。
「確かに」
素直じゃない原田とは違い、素直に認めた。
何とも言えない顔を、原田が滲ませていた。
「半端な俺たちにとって、面倒を見てくれる井上は、可愛いからな」
若干、遠い目をする永倉だ。
原田たちは嫌われ、奇異の目で、見られることも、しばしばだった。
そんな彼らを、真面目な井上が彼らを窘めつつも、尊重し、井上自身のやり方で守ってくれていたのだ。
そんな可愛がっている井上を傷つけられ、原田は怒り心頭で、井上が受けた傷以上の傷を、芹沢に負わしたいと、躍起になっていたのである。
「俺たちだって、同じだよ、サノ」
先ほどまで、茶化していた眼差しとは違っていた。
じっと、原田が見入っている。
「だが、芹沢隊長は、バカモノだ」
「……そんなものは、わかっている」
苦虫を潰した顔を滲ましている原田。
クスッと、永倉が笑っていた。
「わかっているなら、いい」
「いつか、やる……」
決意している双眸で、遠くを見つめている。
「その時は、俺も、加わるからな」
二カッと、永倉が笑っていた。
「邪魔だ」
「バケモノ相手に、一人ではキツいぞ」
「……わかった」
渋々といった顔で、不貞腐れている。
「それと、外で当分の間、暴れるなよ」
「……それも、わかっている」
珍しく世話を焼く永倉だった。
鬱陶しいと言う眼差しを注いでいた。
「さすがに、これ以上、問題を起こすと、ヤバいからな」
永倉と、同様なことを巡らせ、仮想の敵を相手に、一人で身体を鍛えていたのだった。
普段は、何も考えない原田だが、深泉組が置かれている立場を、彼なりに深刻だと捉えていたのである。
だから、鬱憤した思いを、外で吐き出すこともしないで、訓練に打ち込んでいたのだった。
「バケモノと言えば、金を使う必要性があまりない、沖田にたからなくても、いいのか?」
微かに、原田の瞳が揺れている。
(まだまだ、誰とも、サノと、やらせたくないからな)
明らかに、芹沢や沖田よりも、原田の実力が劣っていた。
まだ、傷が完治していない。
それにもかからず、訓練に勤しんでいたのである。
「きっと、言えば、奢ってくれるぞ」
甘い言葉に、瞳が彷徨っていた。
「……だが、副隊長殿の目が、うるさいぞ」
苦々しい表情を、原田が滲ませている。
不意に、原田の脳裏に、お金を使うところがないと、吐露していた沖田の姿を思い返していた。
その時は、たかろうと目論んでいたが、訓練する時間に費やしていて、保留となっていたのである。
「理解しているようで、何よりだ」
眉を潜め、笑っている永倉を窺っていた。
「目を光らせているところに、のこのこと出向いて、怒られるのも、しんどいからな」
「……」
「そういうことだから、当分の間は、おとなしくしてろ」
「……わかっている。だが、新見隊長のことは、別だ」
新見隊長と言う響きに、永倉の表情が曇っていった。
以前から、新見が井上を見ていることは、薄々感じていたのだ。
だが、年齢的に、大丈夫だろうと、どこか、楽観するところもあった。
まさか、ここに来て、井上を襲おうとは思ってもみない。
毛利たちから話を聞き、これは、かなりヤバいと抱き、原田たちも本腰を上げ、井上を守っていた。
医師から動くことを、制限されているので、原田班や永倉班を中心に警護に当たっていたのだ。
手が足りない際は、沖田や島田にも、井上の警護役を頼んでいたのだった。
「確かに。井上を、新見隊長の、餌食にさせる訳にはいかないからな。ま、そこは、隊長や副隊長殿も、大目に見てくれるだろう」
話し合いが終わったと、原田の目つきが変わった。
「せっかく来たから、俺も、訓練でもするか。仮想の敵では、面白くあるまい。サノ、俺とやろうぜ」
不敵な笑みを漏らしている永倉だった。
「ああ。構わない」
同じように、原田も口の端を上げている。
そして、訓練場の中央に、足を進めていく二人だった。
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