第92話 脅す
苦虫を潰したような顔を覗かせている、銃器組三番隊長の山下だった。
彼の他に、ニタッと、笑っている芹沢しかいない。
打ち合わせをしていた山下たちのところへ、突如、芹沢が姿を現し、山下自身が部下たちを部屋から出したのだった。
睨んでいる山下に、涼しい顔で眺めている。
「……何しに来た? 金は、渡したはずだぞ?」
「使った。あれぐらいで、見逃すと、思っていたのか」
嘲り笑う芹沢に、さらに顔を顰めていた。
「あんな金、あっという間に、使ってしまった」
溜めてあった金の一部を、以前、芹沢に渡していたのである。
真っ赤に染めている顔には、今にも斬って捨てたいと描かれていた。
けれど、芹沢の技量を、痛切に把握しているので、手出しできない。
拳を握り締め、必死に気持ちを堪えていた。
芹沢が、銃器組七番隊に所属していた際に、十分過ぎるほど、山下自身の目で見てきたからである。
芹沢の高い能力に、嫉妬していた。
自分には、ないものばかり手にしている芹沢に。
充血させ、ギラギラしている山下の眼光。
ぐうの音もできない姿に、口の端を上げているばかりだ。
「……俺には、もう金がない」
ようやく、声を振り絞って出した。
怒気を孕んだものだ。
「いや。まだ、残っているはずだ」
自信に満ちた芹沢の声音だった。
僅かに、山下の双眸が揺れる。
そして、驚愕していたのだ。
「俺が、調べていないと、思っているのか?」
追い討ちをかけた言葉に、山下がフリーズしていた。
クックックッと、芹沢が笑っている。
茨木を使い、どれぐらい持っているのか、調べさせていたのだった。
胡乱げな表情で、山下が見つめていた。
一枚の紙切れを、山下の前に投げ捨てる。
そこには、自分の持っている、すべてのものが書かれていた。
顔を強張らせ、身体も、動かせない。
「残りの金を出せ。すべてだ」
要求を伝えた。
憤怒と驚愕いる山下は、気づかない。
芹沢が纏う空気が、冷気を伴っていることに。
「お前のバックに、いるやつにも伝えろ」
「……そんなやつは、いない」
否定しているが、山下の顔色が、幾分悪くなっていた。
双眸には、どこまで知っているんだ?と映っている。
だが、知られるようなへまをした憶えがない。
黙り込んでいる山下。
ただ、面白げに、芹沢が眺めている。
徐々に、山下の額に、汗が滲んでいた。
「俺が、揺すった後、そいつに、俺を、どうにかしてくれと、頼んだだろう?」
渋面させ、奥歯を噛み締めている。
対照的に、とても愉快そうな芹沢だった。
芹沢の言葉通り、始末するように頼んでいた。
だが、その相手も、芹沢の実力を把握していたので、山下の意見をすぐさまに破棄したのだ。
揺すられ、焦っていたので、その際に、ミスを犯したのだった。
「もう少し、慎重に動くべきだったな」
ニコッと笑い、窘めた。
そして、腰掛けている山下に近づき、机に置いてあったペンを掲げる。
悦が混じっている眼差しで、山下のペンを振ってみせた。
「随分と、いろいろなことを聞けたよ」
ようやく、小型の盗聴器が、仕掛けられていたことに気づくが、すでに時は遅かった。
殺気を漲らせ、獲物を射抜くような鋭い眼光を傾けている。
痛くも、痒くもない、芹沢の表情は変わらない。
とても楽しそうな顔を、覗かせている。
「バカのおかげで、面白いことも、知ったしな……」
意味ありげな視線に、今にも、逆上しそうだった。
けれど、唇を噛み締め、必死に耐えている。
敵わないのは、百も承知だからだ。
それに、僅かばかりの矜持もあった。
これ以上、みっともない醜態を、晒す訳にはいかない。
その滑稽さに、薄い笑みが芹沢から漏れていた。
さらに、悔しげな顔を、覗かせている山下に近づく。
制服を無理やりに開き、懐から、何か取り出そうとする。
青い顔をし、必死に抵抗する山下だ。
「おとなしくしてろ」
鋭利な殺気を、芹沢が醸し出したからだ。
唸り声を出すだけで、抵抗するのをやめる。
知っているような手つきで、目的の物を取り出した。
ただの無地のスカーフだ。
透かしてみると、マークらしきものが描かれている。
八卦のような形に、近い文様だった。
目を細め、凝視している芹沢。
双眸の奥で、燃え盛る焔を滾らせていた。
「バックにいる者に伝えろ。これを返してほしくば、俺の連絡を待てとな」
口を結んだまま、山下が睨んでいる。
今すぐにでも、この場から、消してやりたいと。
「俺の言うことを、飲めないならば、これを公表でもしてやろうか? 一体どうなるんだろうな? それは、それで面白いかもな?」
貝のように、閉ざした山下の口は、震えているだけで、何も発しない。
用事は済んだとばかりに、怯えている山下を残し、会議室から出てきた。
部下たちを待機させていた場所に向かう。
僅かに、冷たいものを放出させていることに、誰も気づかない。
芹沢と、すれ違う者たちは、微笑んでいる芹沢の顔を、見ないようにしていたのだ。
鼻歌を歌い、陽気に歩いているだけだった。
それにもかかわらず、恐怖を誘っている。
警邏軍のとある場所で、部下たちが待機していた。
芹沢の命で、集められていたのである。
勿論、待機している場所に、新見隊長を含めた、新見隊も揃っていた。
気が抜けている部下たちの前に、ようやく、姿を現す芹沢だ。
芹沢が入ってきた途端、部下たちの背筋が伸びる。
只ならぬ、緊張感が走っていた。
ゆったりと、構えているのは新見だけだった。
「仕事する」
短い言葉だけだ。
それだけで、誰も理解している。
先ほどまでの、緩んだ表情ではない。
誰もが、口の端を上げていたのだ。
「場所は?」
楽しげな顔を、新見が滲ませていた。
「鶴岡屋だ」
意外な場所で、新見が首を傾げている。
それは、他の隊員たちも、同じだった。
鶴岡屋は、庶民に良心的で、お金など溜め込んでいる雰囲気がなかったからだ。
主人も、店の者も、食べる物や着る物は質素で、庶民からは慕われていたのである。
「遊べるのか?」
微かな平間の呟きだった。
見逃さない芹沢。
「不満か」
目を細め、平間のことを捉えている。
フリーズしている平間。
自分の失態に気づくが、どうすることもできない。
室内は、一気に冷え切ってしまう。
誰も、喋ることはしない。
芹沢の動向が、気になっていたのだった。
ただ、強張っている平間を、見つめている芹沢。
余計なことを口走ってと、他の隊員たちが、平間を責める眼差しを傾けている。
自分たちに、火の粉が掛かるのを、恐れていたのだった。
他の隊員たちを、気にすることなく、動き出し、ピクリとも動かない平間に近づく。
すぐ目の前まで、来ていた。
けれど、指一つも、動かせない。
醸し出す空気に、気圧されていたのである。
「不満かと、聞いたが?」
ふくよかな頬が、上がっていた。
だが、双眸の奥が、笑っていない。
「……いえ。不満などありません」
「そうなのか? 別に、来なくても、いいぞ。平間」
「……」
「お前が、思うところでも暴れ、金でも巻き上がれば、いいんだぞ」
甘い声音だが、立ち尽くしている平間。
慄いているだけだった。
黙っている他の隊員たちも、同じことだ。
芹沢に意見すれば、問答無用で斬り捨てられた部下や、機嫌一つで、部下を斬り捨てることもあったのだ。
それを、彼らは見てきたのである。
如何に、今の現状が悪いか、認識していたのだった。
ただ、新見だけは、鬱陶しい成り行きを窺っている。
「どうした? 遊びたいんだろう?」
さらに、戦慄している平間に、顔を近づけていく。
平間からは、脂汗しか出てこない。
誰の目から見ても、逆鱗に、触れていることを察している。
けれど、容赦しない芹沢の性格を、把握している部下たちは、穏便に事が収まることを願っているだけだった。
機嫌一つ、芹沢の行動が、変わっていたのである。
「……仕事がしたいです」
どうなるのかと、瞳を彷徨わせながら、擦れた声で訴えた。
「真面目だな」
射抜くように、見つめている芹沢。
蛇に睨まれたカエルのようだ。
「……隊長の命じる仕事がしたいです」
「いいのか?」
「はい!」
人一倍、声を張り上げた。
静寂な室内に、平間の声だけが広まっている。
「……そうか。では、仕事するんだな」
「勿論です!」
「では、ついてくるといい」
言い終わると、刺すような空気を収め、踵を返していた。
それに続くように、新見を始めとする部下たちが、ぞろぞろとついていく。
その場に、金縛りに合っていたかのような平間だけが脱力し、強張っていた身体を緩めていたのだった。
無表情でいる平山が、脇を通り過ぎる時に囁く。
「バカ。さっさと来い」
気を取り直し、震え立たせた身体で、平間が芹沢と新見の集団の後から、ついていったのだった。
目的地の鶴岡屋まで、誰一人として、無駄口を叩く者がいない。
先ほどの平間の失態を、垣間見ていたからである。
そして、新見も、ご機嫌が悪い芹沢に、喋りかける真似などしなかった。
自分の部下たちと、他愛のない会話を楽しんでいたのだ。
芹沢の部下たちは、ピリピリした状態が続いていた。
鶴岡屋に到着しても、躊躇うこともなく、芹沢が入っていく。
店内に入ると、悪い噂が絶えない芹沢の姿に、店員も、客も、度肝を抜かれていた。
客たちの一部が危険を察知し、静かに店から出ていった。
そうした行為にも、目も止めない芹沢だ。
「店主はいるか?」
芹沢の問いに、店員が狼狽えながら、やり取りをする。
「……奥に下ります」
「では、呼んでくれ」
「……どういった、御用でしょうか?」
微笑んでいる芹沢。
けれど、目だけが笑っていない。
「呼んでくれと、言ったんだが?」
あたふたし始める店員たち。
さらに、残っていた客の数人が、巻き込まれるのは、ごめんだとばかりに、そそくさと逃げ出す者もいた。
好奇心や、恐怖に駆られ、動こうとしない者もいたのだった。
「お、お、お待ちください」
覚束ない足取りで、奥に下がっていった。
しばらくすると、人の良さそうな面持ちをした、鶴岡屋が出てきたのである。
「大変、お待たせをしました。深泉組の芹沢様」
礼儀正しく、頭を下げている鶴岡屋を、冷めた視線を巡らせていた。
「知っているようだな」
「勿論でございます。この都において、芹沢様のことを、知らない商人なんて、おりません」
すでに用意した金を、店員から渡させようとする。
店員から、芹沢の傍らにいた平山が受け取った。
かなりの額が包まれている。
店の中から、掻き集めてきたと言うぐらいに。
「まだ、あるだろう?」
いやらしく、口角を上げている芹沢。
それに対し、申し訳なさそうな顔を覗かせている。
「これが、私どもの、精いっぱいでございます。お許しいただけ、ないでしょうか?」
深々と、鶴岡屋が、頭を下げ、懇願した。
頭を上げようとしない鶴岡屋を、見下す。
「……知っているんだぞ?」
「何のことでしょうか」
頭を下げたまま、鶴岡屋が喋っていた。
「随分と、あこぎな商売をしているんだな」
「私どもは、良心的に、商売させていただいております」
「それは、表向きだろう」
鶴岡屋の身体が、僅かに動いた。
見逃さない芹沢と、部下たちだ。
ようやく、新見を始めとする部下たちが、鶴岡屋が、塩の商いだけではないことを、把握したのだった。
面白くなるぞと言う顔を、誰も滲ませている。
「面を上げよ」
促され、鶴岡屋が、芹沢が手にしている布に、瞠目している。
何の変哲もない布だ。
新見や部下たちが、怪訝そうに、二人の様子を窺っていた。
「知っているだろう?」
「……」
口を結んだままの鶴岡屋。
徐々に、身体が震えていった。
「……申し訳ありません。そのような布は、存じません」
鶴岡屋に、近づく芹沢。
「そう言うと思っていた。言えないよな、自分の口からは?」
「……何のことでしょうか?」
顔が引きつっている。
ニコッと、笑みを漏らした途端、芹沢が瞬殺で、目の前にいた無抵抗な鶴岡屋を、斬り捨ててしまった。
顔色を変えない新見や部下たち。
店員や、残っていた客たちが、青ざめていた。
「すべてのものを、俺の前にもってこい。検分する。抵抗する者は、誰だろうと斬り捨てろ」
「「「「「はっ」」」」」
部下たちが、芹沢の命に従い、店中の物を集め始める。
抵抗する者たちは、命じた通りに、斬り捨てていったのだった。
冷めた眼差しで、部下たちが暴れている様子を、傍観している芹沢だ。
すぐさま、芹沢たちが、鶴岡屋を襲った件が、都中に広まっていくのである。
読んでいただき、ありがとうございます。