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夏と冬のオリオン

作者: かたぎり

 過去と現在を同時に見る方法を教えてくれたのは新一伯父さんだった。

 方法は簡単だ。ただ星に手を掲げてみればいい。遥か彼方から届く星の光が、指の間を抜けて瞳に映る。名前も知らない星の、もう存在しないかもしれない過去の姿と、今確かに血の流れている自分の指先――。

「不思議やね。わたしは今どこにおるんかないう気持ちになるわ。なあ、おじちゃん、未来を見る方法はないん?」

 幼いわたしが満天の夜空に両手を掲げながら問いかけると、伯父は少し困った顔をして、鹿みたいに柔和な目をしばたかせた。

「残念やけど、それは僕には分からんわ。でもな、彩子ちゃん、今ここにこうやって夜空を見上げている僕らの姿も、何年、何万年先に、どこかの星に届くねんで。すごいことやろ」

 そう言うと、伯父は夜空に向かって懐中電灯を照らした。冬の寒空の中を、光の扇が奔っていった。

「わたしにもやらせて」

 伯父から懐中電灯を受け取ると、幼いわたしは、飽きるまでいろんな星に懐中電灯を向けていた。

 ――見えますか? 見えますか? 鈴村彩子といいます。大阪の学校に通っている小学生です。誰か見えていたら返事してください。わたしは今ここにいます。

 わたしが熱心に星に話しかけていると、伯父は笑って言った。

「今すぐいうんは無理やな。どこかの星に僕らの姿が届いて返事をもらうまで、光も往復せなあかんから、長い長い時間がかかってまう」

「なんや。残念や」

 底冷えのする奈良の冬、吉野山に天体観測に出かけた日の出来事だ。もう七年ほど前のことになる。



 伯父は、四十歳で会社を辞め、妻と別れたのち、奈良の実家で祖母と暮らしていた。晴れの日でもコウモリ傘を差す変わった人で、なぜ日傘を買わないのか聞くと、僕にはこれがいいんや、と少し自慢げに語っていた。祖母の持つ無花果畑の手入れや出荷を手伝う以外は働くこともなく、遠いところばかりを見ているような人だった。

 盆や正月に親戚一同が祖母の家に会するとき、わたしや親戚の子供たちは、伯父とよく遊んだ。伯父は子供相手に遊ぶのが上手で、いろんな遊びを教えてくれた。ザリガニの釣り方、竹とんぼの作り方、そして、星の探し方。

 夜中になると、街灯のない田んぼの畦道にわたしたちを連れていき、星の探し方を教えてくれる。大阪で育ったわたしは、排気ガスに染まった星空しか知らなかったから、そのいちいちが楽しく新鮮で、奈良の吉野に帰郷しているときは、毎日のように天体観測をせがんだ。

 冬休みが終わりに近づいたその日も、わたしは伯父と天体観測に出かけた。他の子供たちは、ストーブの恋しさから離れられず、わたしと伯父はふたりきりで、カイロをポケットにいくつも忍ばし、観測ポイントに出かけていった。田舎の冬の夜は恐いほど静かで、隣にいる伯父がとても頼りに思えた。

 その日は伯父が小型の天体望遠鏡を担いでいってくれたので、わたしは生まれて初めて月のクレーターを見ることができた。クレーターをずっと見ていると、亡くなった祖父の顔に見えてくるのが不思議だった。

「彩子ちゃんは星を見んのが好きやなあ」

 わたしの熱心さに驚いたのか、伯父がつぶやいた。

「うん、見てると落ち着く」

 望遠鏡を覗きながらわたしは答えた。

「どの星座が好きや?」

「冬はやっぱりオリオン座かな。なんか形が好き」

「オリオン座は人気あんねん。和名ではつづみ星なんかとも呼ばれてる。ふたつの台形のてっぺんが重なって、鼓みたいやろ」

「うん、おもろいな」

「でもな、僕はなんかでっかい砂時計みたいに見えんねん」

「砂時計か、うん、そんなふうにも見えるわ」

「それでな、あんなでっかい砂時計をひっくり返したら、僕の人生も巻き戻されるんちゃうかなあて思うねん」

 それだけ言って伯父は黙り込んだ。

 わたしは気の利いたことのひとつでも言ってみようと、

「おじちゃんなあ、真面目に生きてるだけやと不満やなんて、そんなふうに考えてることから変えていかなあかんねんで」

 と、母の真似事をしておどけて言った。伯父なら面白く切り返してくれると思っていた。

「ほんまやなあ。ほんまや……」

 返って来た言葉はどこかか細く、少し震えているように思えた。

「おじちゃん――?」

 望遠鏡から目を離し、伯父を横目で見て、わたしは言葉を詰まらせた。大人が泣いている姿を初めて見たからだ。

 伯父はジャンパーの袖で目をこすってわたしに笑顔を見せようとするが、止まることのない涙がそれを許さなかった。ごめんな、とこぼしてうずくまると、肩を震わしながら、何かが通りすぎるのを耐えているようだった。わたしはどうすることもできず、伯父のかたわらで佇んでいた。

「驚かせてしまったな。おっちゃんちょっと、思い出し事してもうたわ。もう遅なってもうたし、今日は帰ろか」

 ようやく発せられた伯父の言葉に頷き、わたしはその少し後ろについて帰り道を歩いた。ろくな会話も交わされない中で、わたしの胸は鼓動を速めていたが、なぜかそれを知られてはいけないような気がした。

「今度会うときは、ええもんプレゼントするわ」

 振り返って少し気遣い気味に言った伯父に、わたしは小さくウンとだけ返した。白い息がわずかに漏れて、冬の夜空に消えていった。



 その年の春、父の転勤で東京に引っ越すことになった。

 両親はしばらくして長期の滞在が決まると、ローンを組んで都心に中古マンションを買った。転校当初、言葉の問題などでからかわれていたわたしは、大阪の小学校に戻ることができると信じていたから、泣きじゃくって反発したが、すぐにそれが無理なことなのだと悟った。とはいえそこは子供のことだ。気の合う友人に出会えると、次第に環境に馴染んでいき、大阪にいた頃と大差のない小学生生活を送った。

 わたしの心の中で変わったことのひとつと言えば、田舎に帰ることが億劫になっていたことだ。理由は今でも良く分からない。東京に住み始めて二、三年は、都合が悪く帰郷することができなかった。以前は祖母や親戚に出会えると思うと心が弾んだが、その二、三年が過ぎた頃を境に、両親に帰郷を誘われても、何かに理由をつけて断るようになった。仕事で忙しい父とわたしを残して、母だけが奈良に帰ることが続いた。

 田舎から戻ってきた母は、伯父がわたしに会いたがっていたとよく話した。しかしわたしはそのうち帰ると返すだけで、伯父の声さえ聞くことのないまま月日は過ぎていった。伯父への想いが薄れるにつれて、夜空に星を探すこともなくなっていた。

 わたしは中学生になった。

 中学の三年間は地獄だった。

 中学一年の春、内心親友になれると思っていた友人との間に亀裂が生まれた。



 春に咲くその花を、正式にはシロバナタンポポと言うのだと彼女から聞いた。白い花弁を持つタンポポのことだ。しかし、それまでわたしは自分だけの呼び方をしていた。

「あ、嘘タンポポが咲いてる」

 わたしが当たり前のように言うと、彼女はわたしを諭しながら、愉快そうに笑った。

 入学式が終わって数日後、わたしは彼女とともに下校していた。学校近くの駅まで一緒に歩き、そこから自宅の最寄り駅へと別れていく。そうなったきっかけはただ教室での席が近く、電車通学だとお互いが知ったからだ。下校の際、彼女がわたしを誘った。

「だって、タンポポは黄色いもん。白いのは嘘タンポポ。ぱっちもの」

 わたしは彼女が笑ってくれたことが嬉しく、さらにおどけてみせた。お互いの距離が縮まっていく感覚が心地よかった。

「ぱっちもの? 何それ?」

「うん、まがい物ってこと」

 他愛のない会話をしながら駅へと進んでいく。駅が目前に近づいた時、彼女は言った。

「わたし、鈴村さんとは仲良くなれると思う。一生の親友にもなれるかなって思うの。ねえ、どうかな?」

 積極的な子だと幾分面食らいながらも、「うん、なりたいね。なれたら嬉しい」とわたしは答えた。

 事実彼女とは仲良くしたいと思った。仲良くなれば、きっと良い中学生活を送れると思った。わたしに打算的な部分もあったのだろう。彼女は綺麗と言うより、丸顔で奥二重の愛嬌のある容姿をした子で、自分と違って話も上手そうだった。彼女を通じて、自分のクラス内での立場を築けるような気がしていた。

 類は友を呼ぶという。クラスで主導権を握れる明るい子は、そういった者同士で集まるし、控えめな子はそういった者同士で集まる。わたしは小学生時分、積極的だとは言えない方にあたる子だった。言葉の問題もあったから、国語の時間に朗読の順番が回ってくるたび、心臓がドキドキして耐えられないほど臆病だった。教壇に立って何かを発表するときは、いつも顔が紅潮して冷や汗を掻いていた。目立つことをしたくない、誰かの後ろに隠れていたい、そう自然と願うような子供だった。そんな自分が変われるきっかけを、彼女が与えてくれるように思えた。



 次の日から彼女はわたしの心により積極的に触れようとしてきた。わたしは確かに彼女と友人になれることを望んでいた。しかし、彼女はわたしが彼女へ信頼を抱けるに充分な時間を与えてくれなかった。

 どの子が好みか言ってと彼女は言った。どの子が嫌いか言ってと彼女は言った。

 わたしはよく分からないと応えるよりなかった。人に悪口を言われるのが何より苦手なわたしが、自分から言うのもためらわれた。誰が好みかなんて、照れくさくて言えはしなかった。その都度、彼女は不満げに裏切られたかのような顔をした。

「ごめんね、わたしは、そういうのに鈍いから」

 わたしは何度となく冗談めかして彼女に言った。しかし、彼女が心から笑ってくれることはもう一度もなかったように思う。


 いつからか、彼女と会うのが億劫に思えるようになった。同じ帰り道を歩いている中でも、不意に作り笑いをしている自分に気づく。会話に沈黙が増えているように思える。

 ある五月初旬の下校途中、駅へと向かう路地の一角で彼女はふと足を止めた。

「ねえ、鈴村さんはわたしのこと嫌い?」

 彼女は言った。わたしは心臓が止まりそうだった。

「どうして?」

「嫌いなの?」

 彼女は質問に対する疑問を許そうとはしなかった。

 わたしは葛藤した。冗談でかわそうかと思う自分にブレーキが掛かる。わたしは彼女との間にできた見えない溝をどうすれば上手く埋められるかと悩んでいた。改めて欲しい部分を言えば、彼女は分かってくれるかもしれない。もっと良い関係が築けるのかもしれない。わたしは意を決して口を開いた。

「わたし、悪口とかは言いたくないんだ」

「悪口?」

「うん、誰が嫌いとかは言いたくない。自分が何を言われたいうわけでもないうちは。良くないことやと思う」

 自然と方言がこぼれていた。胸が痛いほど早鐘を打っていた。

 彼女は値踏みするようにわたしを一瞥した後、視線を外してつぶやいた。

「へえ、そう」

 それだけ言って、彼女は足早に歩き出した。わたしが追いつこうとして歩調と速めると、さらに速度を増して彼女は歩いた。無言の背中が付いて来るなと叫んでいるようだった。わたしの脚は次第に重くなっていき、ついにその重さに耐えかねて、彼女を追うことをやめた。

 呆けて佇んでいたどれほどとも分からない時間が過ぎ、わたしは思い出したように歩き始めた。一歩一歩と脚が踏み出されるたび、心の声が湧き上がる。赤い炎にも似た感情がすぐに燃え尽きると、燻った自責の念だけが胸のうちを渦巻くようになる。

 誰が好きで嫌いかなんて、誰もが言っていることだ。もっと気楽に何でも話せばよかったのかもしれない。彼女自身は悪口とも思っていなかったのだろう。まずは彼女を嫌いではないと言えば良かった。友達でいたいと言えば良かった。もう一度話せば誤解も解ける。分かってくれる。彼女はきっと分かってくれる。

 わたしは何度も同じことを自分に言い聞かせた。肌寒い風が吹き、十字路の脇に咲いた白いタンポポを揺らした。


 次の日から全ては変わった。

 すぐに回復できる関係だと楽観視するようにしていたが、彼女はわたしを許そうとはしなかった。プライドの高い彼女は他のクラスメートたちを巻き込み、わたしを徹底的に拒絶した。わたしが話しかけても、まともに応えてくれる人間が次々と減っていく。それを実感する度、氷より冷たい海が音を立てて凍っていくようだった。凍った海の中で、永遠にも感じられる時間を、わたしはもがくこともできずに溺れ続けた。

 今にして思うと、標的となる人間は誰でも良かったのかもしれない。根拠のない自信と、言いようもない劣等感が絶えず交錯する中で、自分という存在を一段高め、仲間意識を保つためには、攻撃する共通の標的を持つことがもっとも容易な手段だったのだろう。

 身の詰まるような空気に晒されながら、わたしは背筋だけは伸ばして生きようと心に決めた。休まず学校に行くこと、授業の予習復習をしっかりとすること、わたしから友人の非難は絶対にしないということ。少しでも自分に非があると認めれば、たちどころに自分が崩れてしまいそうだったから。

 一年間は苦痛に耐えた。そしてクラスが変わればこの苦痛からも解放されると信じた。

 しかし、わたしは翌年度から崩れだした。

 わたしの中に根付いた他者に対する強烈な不信感が、新たな人間関係を築くことを拒ませたのだ。あらゆる言葉やささいな笑い声、何気ない視線でさえも悪意をもって感じられる。他者に対する不信感はやがて恐怖に変わり、教室で呼吸をすることさえ苦痛になっていった。次第に学校を休みがちになり、休んだ後は登校することが余計に苦痛になる。それでも無理して学校に行くからさらに心が疲労し、そのためにまた学校を休む。

 そのころのわたしはやはりどこか病んでいたのだろう。

 通学途中のひといきれに咽そうな混雑した電車の中で、片足を切り落とせば全ての問題は解決するのではないかと真剣に妄想する自分がいた。そうなれば、わたしに向けられる刺すような蔑みの視線は哀れみにかわるのではないか。その時にこそ、周りの人間たちの口は硬く閉ざされるのではないか。そんな、皮肉で、浅はかで、あまりに自意識過剰な妄想――。わたしの心は磨り減りつづけ、自分の心が日に日に死んでいくのを感じた。

 学校を休むわたしが怠けているとしか思えなかった両親は、何が不満なのかと問い詰めた。しかし、わたしの口は頑なに結ばれたままだった。そのころのわたしにとって、自分が弱く脆い人間であると誰かに知られることは、今まで築いてきた自分という人格を殺すことのように感じていたのかもしれない。

 辛い記憶の映写機が音もなく回りつづける夜と、遮光カーテンから漏れる太陽の光におびえる朝。凍った風船に針を突き刺さされるように、わたしの張り詰めた精神は、絶えず緊張しつづけることで、破裂しそうな自分を抑えていた。



 鬱屈した日々が続いていたある夏の夜、伯父の訃報が届いた。天体観測に出かけた帰り道、信号無視した車に轢かれ、即死だったそうだ。

 伯父が亡くなったと母から聞いたとき、わたしに湧いた素直な感情は戸惑いだった。六年以上会っていなかった伯父が死んだということが実感できない。わたしが成長した分、伯父は老いていたのだろう。けれど、わたしにとっての伯父は、幼い頃に出会ったあの時の姿のままで脳裏に存在している。涙が溢れるほど激しくもなく、割り切るにしてはあまりに複雑な感情。

 奈良で伯父の葬儀が行われることになったが、わたしはひとり家に残ることになった。その頃心療内科に通い始めたばかりのわたしは不安定を極めていたため、両親が気遣ってのことだった。両親はわたしが自己嫌悪に陥らないよう、我が家で冥福を祈ればいいんやから、その心が大切や、と繰り返し言い聞かせて出かけていった。

 夜中にひとり、気づけば夜空を見上げていた。マンションのベランダから見える空はジグザグで、あたりの高層建造物に刻まれているように思えた。

 こんなものではなかったはずだ。あのころ、伯父と、新一おじちゃんと見ていた空は、丸くて果てがなかった。わたしはなんでこんなところにいるんだろう。わたしはなんで生きてなならんのやろう。

 わたしは涙を流した。長い間流していなかった涙は、伯父の死への悲しみではなく、自分が置かれている立場への不満の顕れでしかなかったことに愕然とした。

「アホや。アホや」

 ベランダにひとりうずくまり、わたしは一晩中泣いていた。



 両親は二日後の朝に帰ってきた。

 伯父は父にとっては実の兄だ。今も悲しみの真っ只中にいるはずなのに、父はわたしの部屋をノックすると、帰宅途中に買った散らし寿司を食べるようにすすめてくれた。そして、土産やと言って、わたしに一本の傘を差し出した。

「そんな傘、いらん」

 わたしはうつむいたまま答える、早く部屋から出て行って欲しいという意味を込めて。

「そう言うな。兄貴からのプレゼントや」

 意外な言葉にわたしは驚き、視線を父に向けた。間近に見た父の顔は、浮かべる微笑が作る皺のためか、少し老いたように思えた。

「新一おじさんの?」

「彩子が奈良に帰ってきたら、ずっと渡そうと思ってたそうや」

「なんでわたしに傘を?」

「兄貴は彩子のこと可愛がっとったからな。俺でもその傘もらったことないねんで。外に出て差してみ」

 散らし寿司を食べ終わると、わたしはマンションの屋上に向かった。伯父はこの傘を昼間に差していたから、きっと太陽の下で差すのが一番なのだろうと思えたのだ。

 エレベーターで最上階に昇り、屋上への階段を上っていく。屋上につづく観音開きの鉄扉の一方に体重をめいっぱい乗せて押し開けると、刺すような光に目が眩んだ。目を細めて歩みを進め、屋上の中心に立つ。照り返しが激しく、背中に汗が滴り落ちる。思えば太陽の光を浴びたのもしばらく振りなことに思える。

 わたしは片手に持ったコウモリ傘を開いた。いったい自分は何をしているのだろうと疑問に思いながら、それを肩越しに持って、何気なく視線を上に向ける。

 わたしの時間が止まり、ホウとひとつ溜め息が漏れた。

 わたしは星空の中にいた。

 何百もの光の矢が、黒い幕の向こうから、わたしの瞳を貫いていく。言いようもない浮遊感に意識が泳ぎ、自分がどこにいるのかさえ分からなくなる。

 驚きと感動に瞳を大きく開き、小さい頃伯父と探した星々をわたしはひとつずつ見つけていった。北斗七星の一辺を伸ばして北極星を定め、次いでカシオペア座を見つければ、あとは記憶が星座の配置を教えてくれる。

 おおぐま座、それに寄り添うこぐま座、東に輝くしし座とかに座、西のアンドロメダ座、ぺセルセウス座――。

 自然と冷たい感覚がよぎったのは、それが冬の星空だったからだろう。

 伯父の傘は、冬の星空を克明にかたどった星図だった。無数の穴には、セロファンで細工がしてあり、太陽光を通して星のきらめきを作る。星の等級や色合いまでつぶさに再現してあった。

 わたしは冬の大六角形をなぞっていく。

 牡牛座に赤く光るアルデバラン、黄色いぎょしゃ座のカペラ、オレンジ色の双子座のボルックス、白く輝くこいぬ座のプロキオンとおおいぬ座のシリウス、そしてオリオン座のリゲル――。

 オリオンに目を留めたとき、昔わたしの前で泣いていた伯父の姿が思い浮かんだ。わたしはあの時伯父に声をかけることができなかった。きっと伯父が抱える悲しみは、自分などが想像できないくらい深いもののように感じたから。いや、それは今だから思えることなのだろう。わたしはたぶん見てはいけない秘密を見たようで怖かったのだ。

 そうか、死んだんだ。あの新一おじちゃんが死んだんだ。わたしのことを大切に思っていてくれた人が死んだんだ。

「おじちゃん、ごめんな。お葬式行けんかってん。わたしダメになってもてん。誰に会うのも怖くてたまらんねん。早よ会っておけばよかったな。かんにんな。ゆるしてな」

 あふれ出す涙を子供のように両手で拭い、わたしは声を上げて泣いた。それでも前に泣いたときとは少し違う。何かが溶けていく感じがする。悲しみや後悔、そして自己嫌悪に混じるもうひとつの想い。

 優しかった伯父がわたしは好きだった。

 強くはなれそうもない。でも伯父のように優しくならなれるかもしれない。そしてもしわたしが今より少し優しくなることができれば、誰かがわたしを好きになってくれるかもしれない。そこから始めることはできないだろうか。そこからもう一度自分を好きにはなれないだろうか。

「違うかな。違うんかな。なあ、おじちゃん」

 さんざ泣いたあと、わたしの胸に熱い気持ちが湧き上がっていた。生きていける。この気持ちがあるならば、明日に踏み出せる。

 伯父の傘をたたんで見た空に、太陽が燦然と輝いていた。目をつむって太陽の残像を追いつつ、自分の気持ちを確かめる。さあ、何から始めようかと自分に問いかけたとき、もう自然と足は踏み出されていた。

「おおきにな」

 わたしは最後にそれだけつぶやいて、両親の元に駆け出した。



 心の温もりは儚く、たった一日分の悲しみにさえ凍らされてしまう。

 わたしは何度となく打ちのめされながらも、その都度伯父のコウモリ傘を開いた。傘から湧き上がる熱い感覚はだんだんと弱まっていったけれど、それでもわたしが中学を卒業できるまでは、なんとかその温もりを保ってくれた。

 中学を卒業したわたしは今、高校浪人をしている。中学生ばかりの塾では未だに友達を作ることは出来ず、逃げ出したくなることも多いけれど、家に帰れば語り合える家族がいる。

 寒い冬の帰り道、堤防で自転車を漕ぎながら夜の星を見上げれば、東京の空にもオリオンを見つけることはできる。オリオンを形作るのは力強い星々だから。

 伯父はオリオンが砂時計に見えると言っていた。

 遠い昔に放たれた光のまたたきが、今という時を刻んでいる。果ての見えない一方通行――、そんな中にわたしというひとりの人間がいる不思議。誰かを失い、誰かと出会って、時はどんどん流れていく。いつかわたしを大切に想ってくれる人に出会えるだろうか、わたしはその人を愛せるだろうか。そんなことを不安に思いながら、オリオンの三ツ星に心で語りかける。

  ――見えますか? 見えますか? わたしは鈴村彩子といいます。今は高校受験に向けて勉強をしています。まだまだ生きることに不器用ですが、何とか今日という日を乗り切ることができました。わたしは今ここにいます。


 伯父のコウモリ傘は、家族のアルバムと一緒に、わたしの押入れにしまってある。


お読みくださった方々に、感謝を。

またご縁がありましたら、別の作品もご覧ください。

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