出逢い・漆黒の青年②
校舎の屋上にわたしたちはいる。
ここは立ち入り禁止じゃないけれど、あまり人の立ち寄らない場所だ。だから周りに聞かれたくない話がある時はここが一番いいのではと思い連れてきた。
目の前にいる黒髪で不審者の彼を。
「不審者ってのは酷いな。もっとましな言い方ないのか?」
「刃物を持って襲いかかってきたんですから不審者です。それ以上に似合う言葉なんてありませんよ」
あるいは犯罪者だ、とまでは言わなかった。
さすがに酷すぎるよね。
ここに来るまでに購買で買ったパンを食べながら話す。できればさっきの場所で話したかったが、お腹が空いて仕方がなかったのです。
彼もまた、わたしと同じ種類のパンを購入して食べている。まるで親しい友人と食事をするかのように隣に並んで。
大きく溜め息を吐く。今日は何だかんだ溜め息の多い日だ。
午前と午後で種類は大きく変わったけど。悪い方に変わった。
「そろそろあなたが何者なのか教えてくれてもいいんじゃないですか?」
それもそうだな、とパンを食べ終えて頷く彼。
「俺の名前はロイド・エルケンス。予想はついているだろうが一応言っておく。俺は魔術師だ」
魔術師。アーネストさん意外の魔術師を見たのは久しぶりだ。わたしは魔術師じゃないけれど、ある程度の魔力は感じとることができる。
だから初めて彼と会った時のあの感覚はもしかしたら、彼の放つ慣れない魔力に反応したからかもしれない。
そう考えておこう。そう考えたほうがいい。
それよりもこの学園に魔術師がいたことこそが驚きだった。わたしの魔力感知の技能はもはや貧弱すぎてあてにならないらしい。悔しいけど。
「ではこちらも。わたしの名前はティア・パーシスです。あなた……えっと、ロイドくんは何のためにわたしを襲ったの。わたし何かした?」
どうやらわたしの口調が怒って詰問しているように聞こえたらしくロイドくんはほんの少し退いた。
「すまない。勘違いだったんだ。君を初めて学園で見かけた時、つまり思いきりぶつかられた時だか微かに君から魔力を感じた。だからもしやと思って」
ということはロイドくんがわたしを見て驚いていたのはこれが理由だったのかもしれない。
「それから、昼休みに旧校舎に続くあの森林の中に行こうとした俺を追いかてけきただろ。だから、俺はおまえのことを──」
ロイドくんは一息ついてから続きを言う。
「俺を始末しようとした死神を操る魔術師だと思ってしまったんだ」
始末って。そんな物騒なことを。
それに死神。まず思い浮かんだのは昨日のレンちゃんの話。
次に昨日の不可解な出来事。まさか本当にいるって言わないよね。
しかし今こうして目の前に死神のことを探っている魔術師がいる。
ということはこの学園を含むこの街が見知らぬ魔術師の脅威に晒されていることになるのではないか?
あらためて危機感がわたしの心を焦らしたが、それとは別に思うことがある。
「とんだはた迷惑だよ」
まさか普通に過ごしているのに悪い魔術師と間違われるとは思わなかった。ロイドくんは一言「すまない」と謝罪する。
「でもさ。何でわたしが死神の魔術師じゃないって思ったわけ?」
「俺を追いかけきた時、おまえには俺に対する殺意を感じなかった。そこで試してみようと思ったんだ。おまえが黒かそれとも白なのかを」
言って、ロイドくんは差し出した左手に魔力を込める。
左手の周りに蜃気楼のようなゆらぎが見えたが、その正体は分からない。
「俺は以前、死神に襲われた人が倒れていたという場所を調べた。その時に魔術を発動した痕跡を確認したんだ。その時までは死神を操る奴が魔術師なのか能力者なのか、はたまた自然現象なのかまだ判別できなかったが、このことから魔術師である可能性が高くなった」
そして左手に込めていた魔力を霧散させる。
「だがおまえは魔術師じゃなくて能力者だった。ようするにおまえには殺意がなかったこと、魔術師ではなかったこと。その二つからだな」
そっか。これが正しければ死神を操る魔術師がいるということになる。わたしも本格的に動く必要があるだろうし、寮に帰ったらさっそく対策でも考えようかな。
「それはそうと。おまえは何で俺を追いかけてきたんだ?」
「ロイドくんのことが気になったから。もしかしたらわたしと同じ異能の力を操る人なのかなって。この学園に魔術師がいると思ってなかったから一度話をしてみたかったんだ、と思う」
うん。たぶんそうだ。
……ってそんなことより。
「なんでわたしが能力者ってことが分かったの? まだ一言も自分は能力者だって言ってないのに」
「魔力の流れだったりで分かったんだよ」
「そうなの?」
「ああ。そうだな。どこから話せばいいか。まず、魔術師ってのは血液みたいに魔力が体内を循環しているんだ。そして意図的に放出し魔術を行使する」
言って、ロイドくんはまた差し出した左手に魔力を込めた。
再び蜃気楼のようなゆらぎが左手の周りに発生する。
「もし戦闘に入ればどんな魔術師でも少しは体内の魔力が活性化する。おまえからもしっかりと魔力を感じ取れた。だから俺はおまえと闘うことで試してみた。黒の魔術師か白の魔術師か、それとも一般人なのか」
そして左手に込めていた魔力を、今度は霧散させずに一か所に凝縮させた。
ゆらぎは白い魔力の球状に形どられる。
「しかし、おまえから感じた魔力は何故か動かず一ヶ所に留まり続けていた。そこに魔術師とは切り離された魔力の痕跡があるかのように。そこで俺は思った。おまえは体内に魔力が存在するだけで魔術師ではないのかもしれない、と。だが」
言いながら魔力の球体を握りしめ、消滅させた。
「あの常人離れした動きに繰り出した蹴りのあの威力。どう考えても普通じゃない。ここで俺は一つの仮定をしてみた。おまえは自己強化系の能力者ではないか、と」
こんなところか、と説明を終える。
「うーん。七十点ってところかな」
「は?」
「答え合わせです。まず能力者は魔力の精製が一切できません。能力者として生きることによるデメリットの一つだね。つまり、わたし自身も魔術は使えない。だから体内に魔力が存在した時点で能力者の可能性は消えるんだよ。マイナス二五点」
片手で指を二本、もう片手で五本の指を立ててロイドくんの目の前に突き出す。
「配点高いな。……あれ? それだとおまえは魔術師だってことになるんじゃないのか?」
わたしの腕を払ってから訝しげな眼差しを向けるロイドくん。
それに対して首を振り否定した。
「そうじゃないの。これは例外。この魔力はアーネストさん……あぁ、わたしのおじさんのことね。その人から借りてるだけ。ここ在るだけで使うことはできないけど」
「じゃあ何のためにあるんだよ?」
その問にそれは、と言いよどむ。
「──それは言いたくない」
「……そうか」
誰にだって言いたくないことはある。ロイドくんは察してくれたみたいでそれ以上に追求することはなかった。
わたしは両手をパチンと合わせる。
「じゃあ、次。異能は身体能力の上昇などの便利なモノばかりじゃない。特にわたしの場合は身体能力に全く影響しないからね。だから、動きだけで能力者と判断してしまうのは少し早かったりするんだよ。マイナス五点」
「それじゃあんたの怪力はどう説明する?」
「日々の努力の賜物です」
こりゃ厳しいな、と肩をすくめるロイドくん。
資料不足だったね、とわたしは微笑んだ。
「本当にその通りだ。そもそもおまえのような能力者に会うこと自体が奇跡のようなことだからな」
「また大袈裟な」
「そうでもないさ。能力者ってのは言わば才能の塊みたいなものだ。数は相当少ない。たとえるなら絶滅危惧種。または天然記念物だな」
「動物みたい。もっとましな言い方ないの?」
「それ以上に似合う言葉なんてないよ」
その台詞にちょっぴりイラっとしたが、思い返せばついさっきわたしがロイドくんに言った言葉だった。これでは何も言い返せない。
「と、ともあれ、疑いが晴れてよかったよ」
そして「あっ」と思い出したようにロイドくんの頭を指差して質問した。
「そういえば、髪の色は天然? それとも染めてたりする?」
ロイドくんは自分の髪を弄りながら言う。
「天然だ。そう言えばここでは珍しいみたいだな。黒なんて地味な色なのに注目の的になって恥ずかしいもんだ」
「もしかしてロイドくんって外国の人だったの?」
「そういうことになるな」
「そうだったんだ。でも残念」
「残念って何だよ」
とロイドくんは不思議そうに訊いてくる。
「いやいや、対したことないよ。昨日、珍しい髪の色をした外国人を見たって言う話を友達としてたから。もしかしたらロイドくんのことだったのかなって思ったんだよ。でも違ったから残念って話」
そう簡単に説明する。
その時ほんの一瞬だけロイドくんは微笑した、ように見えた。
そこで会話は中断される。次の授業が開始する十分前の予鈴がなったのだ。
ロイドくんとの攻防戦は一瞬の出来事だったから、かなりの時間二人で話していたみたいだった。
さて、と一息吐くロイドくん。
「俺はそろそろ行くよ。これ以上関係のない人に迷惑はかけられないからな。この事は忘れて今まで通りの生活を送るといい。後は任せておけ。じゃあな」
そう言ってここから立ち去ろうとする。
背を向け歩きだし、わたしを見ずに手だけ振る。その姿はひどく寂しそうでもあった。誰にも頼らず自分一人で戦おうとしていて。
ああ、せっかく珍しい人に会えたのにもうお別れか。ここで別れたら、これから先あの人と関わる時は二度と来ないんだろうな。
そう思うと自分の意思とは関係なしに「ちょっと待ってよ」とロイドくんを引き止めていた。
「──何? まだ何かある?」
「えっと、その」
言葉が出てこない。必死に頭を回転させる。頑張れわたし。
「右腕、痛まない?」
この言葉にロイドくんは自分の右手を観察した。
腕を動かし、手首を曲げて、拳を閉じて開く。
「まだ痺れは残ってるな。さすがに蹴りを片手で止めたのはまずかったかもしれない」
「でしょ。片腕が使えなかったら何かと不便じゃない? だからさ、もしよければ……」
もじもじと指と指を絡める。
「……わたしにも手伝わせてくれないかな」
どうしてわたしはここではっきりといつもの調子で「わたしも手伝うよ」と言えないのだろうか。
ちらっとロイドくんを見ると少し困惑しているように見えた。
うーん、と小声で唸る。
そして悩んだ果てに「いいよ」と一言そう言ってくれた。
「え、本当に!?」
「ああ、お願いする。そう言ってくれて助かるよ」
「やった!」
その言葉が本心からなのかどうかは分からないけれど、それでもわたしは嬉しかった。
それはこのわたしを必要としてくれたことにあるのか。それとも、まだ彼と一緒にいれることにあるのか。
今のわたしには考える余裕はなかった。
時間はまだまだある。ゆっくり考えるとしよう。