開始・死神の物語③
死神。大鎌。黒の傷んだローブ。
人間の白骨の姿。脚が存在していない。常に宙に浮遊している。
という容姿が想像できる。
──死神、か。
そんなモノが本当に存在するのだろうか。
そのように見えただけの他の何かという可能性もあるが。もしそれが本当に存在していたとしても、していなかったとしても、魔術師が関係していないと言い切るにはまだ早い。
もしかしたらこの学園でも被害者がでるかもしれない。
わたしはこれからどうするべきなのだろう。
◇
一日の授業が全て終わった。
時頃は午後四時半頃。
季節は春。陽の落ちる時間は夏ほど遅くなく、冬ほど早くない。この時間はまだ薄い青色が空を覆っている。
わたしは今、学園の昇降口で教科書を入れた鞄を手に持ちながらレンちゃんとニコルちゃんが来るのを待っていた。
二人がくるまで多くの人たちが外に出ていき、それぞれの帰り道を歩く。自宅へ帰る人もいれば、わたしのように寮に帰る人もいる。
ちなみにレンちゃんとニコルちゃんも部屋が違うだけでわたしと同じ寮で暮らしている。
「二人とも遅いな」
何をしているのだろう、と誰にも聞こえないくらいに小さく呟く。
そうだ。暇潰しにここから外へ出ていく人の数でも数えてみようか。特に意味はないけれど。
「………………」
結局、六十人程からわからなくなった。
諦めたところでレンちゃんとニコルちゃんがやってきた。
「すまん、待たせた」
そうわたしに言ってきたのはニコルちゃんだ。
ニコルちゃんとはレンちゃんと同じくわたしがこの学園に来てからの良き親友だ。
淡いピンク色の綺麗な髪をしている。顔立ちも整っていて制服姿は一見どこかのお嬢様みたいに見えなくもない。
しかし、いかんせん鋭い目付きと男勝りな立ち振舞いがそれらを台無しにしてしまっている。昼休みの話を持ち出すならカレーライスのルー。つまり、三人の中で一番目立ってる人である。
「いいよ。気にしてない」
そう言って、わたしたちは校舎をあとにした。
帰る人の数も少なくなり、先程の賑やかさはいつの間にかなくなっていた。
寮までは校舎から歩いて約十五分ほどの距離がある。寮は学園の内部にあるのだが、意外と遠かったりする。
寮への道はコンクリートのタイルで敷き詰められていて、道沿いには無数の木々が植えられている。なので、晴れている時は森の中を歩いているような、そんな爽やかな気分になる。
実は学園の敷地内はここ以外の場所も森のようになっていて、上空から見下ろした風景は学園の中に森があるのではなく、森の中に学園があるように見えるらしい。
学園長曰く、自然を大切に、だそうだ。もっと他にも言ってたけど忘れた。たしかに学園外では最近ますます開発が進んでいる。
街中コンクリートだらけ。日に日に木々が少なくなってきている気さえする。だからそういうことも関係しているのだろう。
というわけでそんな森の道を歩いている。
「今日は遅かったね。何かしてたの?」
わたしは二人に訊く。
「授業の内容について先生に質問してたんだよ」
とレンちゃんが答えた。
二人にとってさっきの授業は難しかったようだ。
クラスが違うからどのような内容なのかはよく知らないのだけれども。
「それでも、まだちゃんと理解できてないんだけどな」
ニコルちゃんはそう言い微笑する。
かつかつかつ、と。さまざまな微かに響く足音を背にわたしたちは歩を進める。空もだんだん青色から朱色へと変化しようとしていた。
「そう言えばまだわたしはよく知らないんだけど部活ってどうなってるの? たしか放課後の練習はできないって聞いたけど」
ニコルちゃんはバスケットボール部に所属しているのだ。もし、平日に全く練習できないのだとすれば、それは大きなハンデになってしまうのではないか? という率直な疑問だった。
しかし予想と反してそうでもないよ、とニコルちゃんが答えた。
「放課後の練習が出来ないのはここだけじゃない。テレジア市街付近の何校かも同じ状況だ。だから大きなハンデなんてないよ。あとはどう工夫して練習するかで変わってくるな。あたしらは単純に放課後出来なくなった分を朝の授業前と昼休みでなんとか補ってる。そりゃ、練習時間は短くなるだろうけど。他もこんな状況でも努力してんだろうし。ここでさぼってしまって、もし負けでもしたら言い訳の余地がないさ」
今日だって昼は練習だったんだぜ、と言う。
知らなかった。昼食の時にレンちゃんの言ってた用事ってこれのことだったのか。そこで一つ質問をする。
「あ、まさかだけど、また助っ人として来てくれって話題がでてたりしないよね?」
ニコルちゃんを怪訝そうな目付きで睨んでみる。
すると、くすっと隣を歩くレンちゃんがおかしそうに微笑した。
「もしかしてトラウマになっちゃってる?」
「トラウマっていえばトラウマかな。そのせいであの時はアーネストさんに……」
ははは、と力なく笑うとそれを見てニコルちゃんは「そんなことはないから安心しな」と言った。
「元病人だって分かってたらそんな無理なことは言わないよ」
「ありがとう。助かるよ」
「それに、あんたのおじさんにバレたらやばいもんな」
よくわかってるじゃないの。
余談だが、わたしはニコルちゃんからバスケ部に入らないか、と誘われたことがある。
学園には五月の始めに年に一度の体力テストと言われるものが行われる。わたしはそれで最大のミスを犯してしまったのだ。
最初に行われた種目『五十メートル走』で手加減の度合いを間違え、十七歳女子としては相当速い記録を叩き出してしまった。
そこでこの足の速さに目をつけたニコルちゃんはすぐに助っ人でもいいからうちに来ないか、と誘ってきた。陸上部や他の部活からも誘いがあり、これを断るのには苦労したものだ。
あと、このことを知ったアーネストさんにはこっぴどく叱られてしまった。なに目立ってるんだおまえは、と。
これだけではないのだが、ほんと冗談抜きで恐ろしく泣きそうになった。思い出すだけで落ち込んでしまう。
「ははは。そ、そうだね」
「でも残念だな」
「やっぱりいい戦力になるかもしれないから?」
「いや、それとは別」
わたしはよく分からず首を傾げる。
「部内のアイドル的な存在になってより活気のある部活になるんじゃないかなって。あわよくば部員の数も増えてその分部費が──」
そして不気味な笑い声を出すニコルちゃん。
「あのさ、絶対にわたしをだしにそんなことしないでよ」
「大丈夫。後半は冗談だから」
急に冷静な顔に戻って言ったニコルちゃん。どこまでが本気なのか分からない。
「だとしてもさ、アイドルっていうのは言い過ぎでしょ」
「確かに。おまえって可愛い系じゃないしな」
「え?」
傷ついた。
それは酷すぎやしませんか?
レンちゃんはそんな落ち込むわたしに優しく肩を叩いた。
「安心してティアちゃん。ニコルちゃんはティアちゃんのことを可愛い系っていうより格好いい系だっていいたいんだよ。きっと」
「本当に?」
ニコルちゃんに力なくそう訊ねると
「すまん、言葉が足りなかったな」と微笑んだ。
「バスケ部では女子男子ともに見事に意見が一致したんだ。あとは性格がもっと明るければいいのに、だとさ」
わたしの知らないところでそんなことしないで。
ニコルちゃんはそう言ってくれているけど、はたしてそれは安心してもいいことなのだろうか。さすがに性格はどうにもならないよ。
寮まで三分の二ほどの距離を歩いたところでレンちゃんが思い立ったかのように口を開く。
「あ、そうだ。格好いい系ってので思い出した! ティアちゃん。聞いてほしいことがあるんだけど」
今から重大発表をするかのごとくわたしのもとにすりよってくる。嬉しそうな、楽しそうな表情であることが逆にどこか不安を感じさせる。
「何なの? いきなり」
「今日、一緒にお昼御飯食べたよね。その後のことなんだけど凄く格好いい男子を見かけたんだ」
「格好いい男子?」
その問にレンちゃんは「うん」と頷く。
この会話に反応したのか、ニコルちゃんはやれやれ、と何も言わずにため息を吐く。
わたしはその仕草が気になって訊ねてみる。
「ニコルちゃんも見たの?」
ニコルちゃんは首を横に振る。
「いいや。あたしは見なかったよ」
答えるも、ニコルちゃんはそこまで愉しそうな表情はしていなかった。ただ見れなかったという理由だけじゃなさそうだった。
「あたしたちは教室に向かうのに噴水広場の近くを通ってるんだけど、そこに一人でいるのを見たんだと」
噴水広場とは文字通り噴水のある広場。長椅子が設置されているので、そこで昼食を食べる人もいるようだ。
そいつ、そこで何してたんだっけ? とニコルちゃんはレンちゃんに訊く。わたしは二人のやりとりを黙って聞くことにした。
「噴水の真ん中にある、あれ、なんだっけ? 鳥の像で何かしてたって言ってたじゃん」
「えっと、隼のことかな?」
「そう、それ」
「それをずっと見てたんだよ。胸に片手を当てながら動かずに」
と、その格好を真似する。
「ああ、思い出した。何語かも分からない不気味な言葉を喋ってるのを聞いたんだったな。で、目を逸らした隙に消えてたんだっけ? なんだかどっかの宗教団体の一員みたいじゃん。怪しいでしょ。格好よかったとしてもそれはだめだ」
と肩をすくめるニコルちゃん。
それは怪しい。と言うより危険人物だ。出来れば関わりたくない人種だろう。
次はレンちゃんが「そうだとしても」と反発するような口調で言う。
「わたし、ああいう人っていいと思うよ。もし性格が悪かったりおかしかったりしたとしても、更正させる楽しみがあるじゃない」
ティアちゃんみたいに、と付け加えた。
過去の話は蒸し返さないでほしい。
わたしは性格が悪かったのか。それともおかしかったのか。
どちらにしても、どちらでもないにしても、わたしにとってのあの頃はいい思い出であると同時に黒歴史だ。
そこでやっと口を挟むことにした。
「ちょっと訊きたことがあるんだけど、その男の人が言ってたっていう不気味な言葉って何?」
不気味な言葉から一番最初に連想してしまった事柄が呪文。知り合いに魔術師がいるからこそ敏感になってしまう。
訊いてみるもレンちゃんはうーん、と唸る。
「どうなんだろ。不気味な言葉ってのは言い過ぎかもしれないよ。不気味っていうよりは外国の言葉って感じだったもん。髪の色も珍しい銀色だったし」
外国の言葉に銀色の髪?
となると外国人ってことになるのだろうか。
「どこの言葉だろう」
「レン。言ってた言葉、真似できるか?」
レンちゃんはえー、としかめっ面になる。
「できるわけないじゃん。無理だよ。………あ!」
そこで思い出したかのように言う。
「人の名前のような言葉が聞こえたんだよ」
確かね、とその言葉と紡ぐ。
『──こっちにおいで』
レンちゃんの言葉に上乗せするように別の言葉が頭を貫く。
瞬間、悪寒が走った。
突然の出来事にはっと息を飲む。
誰かがわたしを呼んでいる?
二人の表情からみて聞こえたのはわたしだけのようだ。
不気味な気配がわたしを襲う。
周囲を見渡す。全方向を確認。
間を置かずに気配の主を捉えた。
方角は進んでいる向きの逆方向。
場所にして噴水広場付近。
無視するわけにはいかなかった。
わたしは歩を止める。
それに気がついた二人はどうしたのかと訊ねた。
「ごめん。教室に忘れ物しちゃった。取りに行ってくるよ」
わたしの言葉を不信に思ったのかニコルちゃんは目を細くする。
「明日じゃダメな物なのか?」
そう言うのもわかる。
「……うん」
数秒間のにらみ合いの後、ニコルちゃんは溜め息混じりに「早く帰ってこいよ」と言ってくれた。レンちゃんは何も言わなかった。
目を合わせてくれもしない。心の中では「こんな状況に何を考えているんだ」と思っているにちがいない。
「すぐに戻るから」
「帰ってきたらすぐあたしらの部屋に来いよ」
「うん、わかった」
そう言って歩いてきた道を引き返した。
◇
噴水広場に到着したわたしは辺りをくまなく探った後、隼の石像をじっと見ていた。
今にも動きだし襲いかかってきそうな威圧感。
こんな時間帯だからか、精密に造られているからか、それとも他にあるのか。
わたしには判らないけれど、確実に言える事が一つだけある。
ここには、何もなかった。
落胆する。
魔術の要因となるモノがただ一つとしてなかったことにではない。魔術師がいるかもしれないから、という曖昧な理由でろくに準備もせずに先走ってしまったその愚かさに。
計画を立てる前に行動するな。たとえそれで何とかなったとしても得る物は何一つない。計画を立ててから行動しろ。魔術の世界で死なないための基本事項だ。忘れるなよ。
アーネストさんの言葉を思い出し大きな溜め息を吐く。
「──帰ろ……」
そう囁き、寮への道に引き返す。
夕日は沈み始め、暗闇に包まれようとしている。
早く帰らなければ先に帰ってもらった二人を心配させてしまうだろう。
──カツカツカツ。
軽く走りはするも、時間がやけに長く感じる。
いつも喋りながら帰るので一人だと余計にそう感じるのかもしれない。敷地が広いからといっても、できることなら近くに作ってほしかったものだ。
何気無く辺りを見渡す。
人通りのない道。夕暮れの静けさ。そのせいで樹が風によって揺れるざわざわとした音、そして自分の足が放つ音がいつも以上によく聞こえる。
人の気配は感じられなかった。
寮までの道程がいつも以上に長く感じた。
ひどく不気味に感じた。
──その時。
背筋がぶるりと震えた。
一瞬にして空気が変わったのだ。
「──っ!」
何だ、この感覚は?
寒いからだとかそういうものじゃなく、何かがわたしの身体を貫くような。
その場で立ち止まる。何か違和感がする。誰かに見られているような、そんな違和感。
注意をはらい振り返る。続けて周りをよく見渡す。
誰もいなかった。怪しい人は誰もいなかった。
怪しいモノはなにもなかった。ただの勘違いだろうか。
──違う。
断じて否。
それはわたしを殺すような視線。殺意。殺気。
それが勘違いなわけがない。
見えない敵に神経を研ぎ澄ます。
鞄の中に手を入れ、そのまま仕込んでいる武器を取り出す準備を開始する。
殺気の主はわたしの周りをぐるぐると旋回しているようだった。
それはまるで目に見えない猛獣に囲まれているような感覚。
どこから攻撃が飛んできても対応できるように警戒するだけで精一杯だった。
見えない敵を相手にするのは得意じゃない。
それにしても、このような状況は初めてだ。
以前に不意打ちを受けたことはあったが、このように殺す瞬間以外に常に殺気を放ち続けることはなかった。
仮に不意打ちによる攻撃が目的ならばこのような状況はまずあり得ない。自分は今から攻撃しますよと言っているようなものだから。
ならば何故このようなことをするのか。
今考えられることはわたしの神経を削っていき、集中力、体力が切れたところで狩る、ということくらいか。
……狩る? ……死神? まさか。
それは今は置いとくとして、体力切れを待っているだけならばまだ何とかなったかもしれない。それだけなら。
「はは、どうなってるの」
不意に声に出てしまう。
一つだと思っていた殺気の主が分裂した、ように感じた。
つまり敵が増えたのだ。
それがわたしの勘違いなのか、それとも複数の敵がわたしを狙っているのか。
できれは前者であってほしい。
だがそう思えば次は殺気が合体、纏まった。
そして分裂、続けてさらに分裂。
もう理解できなかった。
分裂しては纏まって、分裂しては纏まって。
消えては現れ、現れては消え。
殺気はわたしの周りをぐるぐると渦巻く。
これは危ない状況かもしれない。
覚悟を決めてこちらから仕掛けるか、それとも全力で逃走するか。
そう思考した瞬間だった。
突然空中で何かが輝きを放った。
「──ッ!」
目をやると、そこから棒状の何かがプロペラのように回転して飛んでくるの確認した。もし直撃すれば掠り傷ではすまないだろう。
しかし直撃すれば、の話だ。
瞬時に反応し避け、同時にその物体を叩き落とす。
鞄の中にから取り出した武器、ダガーを用いて。
叩きつけられたそれは「からん」と金属音を響かせる。
振り返り、それが何なのか確認しようとする。
しかし、確認する間も無くそれは黒い煙に包まれ、しだいに消えてしまった。
意識を相手に戻すも殺気による圧迫感がなくなっていくことに気がつく。
今までわたしを狩ろうとしていた殺気もその者の気配も次第に薄れていく。
空気が元に戻ってゆく。
まるでもうおまえには用がない、と言うかのようにその気配は完全に失せた。
相手が何者だったのか、何が目的だったのか、全く検討がつかない。
その手に強く握りしめた武器を鞄に戻す。
身体中の力が抜ける意味もなく空を見上げる。
妖しい夕焼けは、気が付けば真っ暗な闇の渦に変わっていた。