開始・死神の物語②
わたしを見つけたレンちゃんは人ごみのなかをすり抜けるようにここまでやって来てテーブルの向かい側に立つ。
「何で待ってくれなかったの。酷いよ」
第一声がこれだった。
ただし、それが怒鳴るような口調でもなければテーブルをどんと叩いたりするようなこともなく、まして肩から下げている鞄で殴り付けてくるようなこともない。
レンちゃんは基本的にはおとなしい性格なのだ。
「ごめんごめん、すごくお腹が空いててさ。すぐにでも何か食べないと倒れてしまいそうだったんだよ」
レンちゃんをおいて先に食堂に行ったことにどう言い訳をするか、なんてことは考えない。正直に理由を言うだけだった。
「ちゃんと朝食は食べてきたのに何でだろ?」
「そんなこと知らないよ。量の問題じゃない? 例えば一口サイズのパンを一つしか食べてこなかったとか。『いただきます。パクッ。ごちそうさまでした』みたいな感じで」
何だよそれ、そんな人いないよ。
……いないと思うよ。
「まあ、先に食堂に行かれたことについてはもういいよ。友達だからといっていつも一緒にいなければいけないなんてことはないし。それじゃあ、わたしも注文してくるから待っててね」
先に食べ終わっちゃだめだよ、と言ってレンちゃんは鞄を置いてからカウンターへ向かおうとする。
「レンちゃん。ちょっと待って」
そうわたしは呼び止めた。
レンちゃんは呼びかけに応え、こちらに身体を向けた。
「どうしたの?」
「ああ、えっと……ごめん、やっぱり後でいいよ」
無駄なことをしてしまった感がある。
そう? と言ってレンちゃんは踵を返してカウンターへ向かっていった。
今引き止めていたらさらに食堂が混んでしまい、昼食を頼む時間が長引いてしまうかもしれない。それはお互いにとって得ではない。後で訊けばいいことで、今訊く必要は全くなかったのだから。
しばらくしてからレンちゃんはきつねうどんを注文したのか、それをトレイに乗せて持ってくる。そしてわたしの正面に座った。
「そういえばさっき何か言おうとしてたけどなんだったの?」
レンちゃんが訊いてくる。
そうだった、と思い出したように質問した。
「今日ニコルちゃんと会わなかったけど元気にしてる?」
「心配しないで。いつも通り元気にしてるよ。でも用事があって昼御飯は一緒に食べれないんだって」
「それはよかった。風邪でも引いているのかと思ってしまったよ。どうもレンちゃんとニコルちゃんが一緒にいないと違和感を覚えるんだよね」
「どうして?」
「えっと、そうだね。レンちゃんとニコルちゃんの関係を食べ物で例えるならカレーのライスとルーなんだよね。二つ一緒にあることが自然であって、分けて別々に食べることはない。今の状況はカレーを注文したのにご飯しか運ばれてこなくて困惑しているって感じ」
「分かりやすい例だったけどなんでわたしがご飯なの? 味気がないってこと?」
むすっとしてわたしを睨むレンちゃん。
そんな意味で言ったわけではないのだけれど。
「知る人ぞ知る隠された味があるってこと。実際にご飯だけでも味はしっかりあるよ」
「そっか。そういう見方もあるね。それじゃあティアちゃんは福神漬けだね。加えると更に美味しくなる」
「おっと。そうきたか」
ははは、とお互いに笑いあった。
チーズの方が良かったな、とは言わないでおこう。
さっき違和感があるとは言ったものの特に仲がいいだけでずっと一緒にいるわけじゃないんだよね。別行動をとる時間があることもまた当然か。
わたしは再びカルボナーラを食べ始める。
レンちゃんもうどんを美味しそうに食べる。
少し間を空けてからそれにしてもさ、とレンちゃんは嘆息してから呟く。
「ずるいよね」
羨ましがるような目をしてこちらを見る。
「え、何が?」
わたしにどこか羨ましがられるようなところがあっただろうか。
「どうしてティアちゃんはこんなに数学ができるの? どうすればできるようになるか教えてよ」
「……ああ、それ」
話の内容が変わったようだ。
教えてと言われても、何かあるかな?
「えっと……予習と復習をしっかりすればいい、かな」
「そんなありきたりな答えはいらないよ!」
即答。そして怒られた。
もっと具体的な答えを要求しているようだった。
「真面目に言ったつもりだったんだけどな。数学って公式と解くパターンさえ覚えておけば大抵は何とかなるんだけど。やっぱりこういうのって向き不向きってのがあるのかな? だからといって諦めるのは良くないけど」
「そうなのかな? でも、それもあるかもしれないね。ティアちゃんって数学とか物理の理系科目は得意だけど文系科目は苦手だもんね」
レンちゃんは微笑む。
「この前の歴史のテストなんて赤点ギリギリ回避だったよね」
あらあら。いい笑顔ですよ。悪気はないのだろうけれども。
「そんなこともあったね……うん。ま、まあ、勉強の話はもうよさない」
苦手科目の話をすると悲しくなってくる。
「え、でも数学の勉強の仕方がまだだよ」
「あれだよ。何事も自分に合ったやり方が一番ってこと。そういうことは人に訊くより自分で見つけたほうがいい。いろいろ試行錯誤する。時間はかかるだろうけど、結局こういうのが一番効率が良かったりするんだよ」
と無理矢理まとめた。
レンちゃんは納得できないような顔をしたが、少しして「まあいいや」と言った。わたしにはそれが納得してのことなのか、それとも諦めてのことなのかは判らなかったのだけれど。
会話が途切れたのと同時にわたしは再びカルボナーラを口に含む。
レンちゃんはうどんに手をつけなかった。
わたしはどうしたのかと麺を啜りながら見る。
するとレンちゃんは箸を置き深刻そうな表情に変わり小さな声でこんな言葉を口にした。
「……あのさ、こんな時に悪いけど訊いていい?」
「いいけど」
「ティアちゃんはこの世界に死神が存在していると思う?」
おっと、また話が変わったな。
ころころ変わるのは珍しい。
──ん?
その瞬間、わたしは食べるのを中断した。
死神という単語にほんの一瞬、気付かれないくらいの一瞬、目を細くした。できるだけ気付かれないよう平静を保とうとする。
「ごめん。今、何て言った?」
「死神は存在するか、って訊いたの。……ティアちゃんって全然調子が変わらないよね。やっぱり死神がいるってこと信じてないのかな?」
「な、何言ってるのいきなり」
わたしは確認する。普通の生徒としてではなく、魔術師、能力者の一人として。
「ほら最近、死神がこの学園に現れたって噂があるじゃない。そのことだよ。なんだか怖いじゃない」
ああ、噂ね。何て言うかわたしはこのようなオカルトめいた言葉を聞くとすぐに警戒してしまうという癖があるようだ。早く直さねば。
「何なのそれ? 初めて聞いたけど。それってただの見間違いとか、そういうのじゃなくて?」
「……」
少しの沈黙。レンちゃんは戸惑ってから質問する。
「あれ、もしかして知らなかった?」
「うん」
そう頷く。わたしは正直者なのだ。
その答にレンちゃんは呆然とする。信じられないものを見るような目をしてわたしを見ていた。
「嘘、本当に知らないの? 大事件なんだよ。何人も倒れているんだよ。しかも学園の近くで」
人が倒れている……?
どこかで聞いたような。
しかし思い出せず首を傾げる。
「ああ……それじゃあ原因不明の昏睡状態ってやつは? それなら聞いたことくらいあるよね?」
続けてレンちゃんは訊いてきた。
そこでわたしは先生からの連絡に似たような話があったことを思い出す。
「そういえば朝礼の連絡で先生がそんなこと言ってたような、言ってなかったような」
と、戸惑いながら答えた。あまり記憶にない。
じゃあさ、と誤魔化して質問する。
「それと死神がどう繋がるのさ?」
率直な質問。たとえ何かが原因で人が倒れて意識不明だったりしても、そこから『この事件の原因は死神だ!』なんてことになるのはさすがに馬鹿げてる。
話が飛躍しすぎだ。だから、それなりの理由があるのだろう。
「えっと、ちょっと長い話になるんだけどいいかな?」
とレンちゃんは訊く。それに承諾するとその事件と死神の噂について食事をしながら話してくれた。
レンちゃんの話によると、この騒ぎが始まったのは二週間ほど前かららしい。
一人目の被害者は学園から東に数キロメートル離れたところに住む男性だった。
倒れている男性を見つけた人はすぐさま病院に連絡をとった。男性は搬送されるも異常が発覚。刃物で刺された跡も鈍器で殴打された跡もなく、医師によればその人は健康に関しても異状はなかった。
まるで魂を抜かれたかのように眠っているのだと。薬を盛られた形跡もなかったようだ。そんな不可解な出来事に担当の医師は頭を抱えているらしい。
その後、警察が出張るも現場検証による成果は特になく、あると言えば倒れる前日に死神を見た、という言葉を聞いた友人の証言だけ。
では、男性は死神に襲われた?
あり得ない。馬鹿馬鹿しい。
最初は誰もがその話を頭の片隅にも置こうとしなかった。
しかし、これは当然のことだろう。この世に死神が存在するなんて考える人は普通はいない。
魔術と何ら関わりを持たない人なら。
故にこの事件とも言えるか疑わしい出来事に対してどうすることもできず、捜査はやむを得ず打ち切り、見送りとなった。
だがその次の日、事件は起きてしまった。
否、すでに起きてしまっていた。
前回の現場から数キロメートル離れた、この学園から見て北側に位置する住居から謎の昏睡状態に陥っていた女性が発見されたのである。
状況は一人目の時とほぼ一致していたらしい。
それからだ。
また一人、また一人と被害者の数が増えていく。
それと同時に死神が現れたという噂も広まり始めた。
間隔に法則はなく二日連続で被害者が出る時もあれば、数日被害者の出ない時もある。
襲われた人たちは皆知り合いだった訳でもなく、共通点らしいものも何もなかったらしい。あるとしても夜に人気のない所、または一人でいる時に襲われたということくらいだそうだ。
故に狙われやすい人の判別し、そして保護することもできなかったようだ。
今日までで計六人の被害者。
たった六人?
いや。既に六人も、だ。
決して少ないとはいえない人数。
このまま放置しておけば、また被害者がでるだろう。テレジア市街の住人は少なからず警戒心を持っているようだ。この学園の生徒、教師たちも例外ではない。
死神という意味不明な単語と、死者がでていないという状況もあって、現在は一応今まで通りに授業をしているが、これ以上続くようであれば休講等の対処はされると思われる。
すでに休日の午前中から午後四時(言い換えれば陽の出ている時)以外の活動、主に放課後の部活動は中止になっていた。
学園の外でも何か対策はされていることだろう。
というふうに話してくれたのだが、レンちゃんの話を聞くかぎりこの事件が魔術関連によるものだった場合、ただの自然現象だとは考えにくかった。
単純な理由なのだが、もし仮に死神がいたとして、それがひとりでに活動しているのであれば、少なくともわたしが気付くほどの魔力か何らかの気配が発生するはずだ。
なので、そうならなかったのは誰かが意図的に隠蔽しているからではないだろうか。
まあ、これはわたしのちょっとした考えだ。実は魔術とは関係のない新種ウイルスの影響だったりするかもしれないし。
と、ここで言うのもなんだが、この騒動に気が付かなかったわたしって一体何なのだろう。
ちょっと恥ずかしくなった。
ここで死神の話は終了だ。
原因不明の事件で暗い雰囲気になっても仕方がない。
という訳で能力者としてのわたしを引っ込めて、その後はいつも通り、さっきの死神の話とは全く関係のない話で盛り上がった。
次の授業の内容はなんだとか、昼食が冷めてしまったとか、うどんとカルボナーラを足したらどうなるかとか、グラッツ先生は黄金の左腕の持ち主らしいだとか。
もし以前のティアを知る者ならばこの光景を見た瞬間驚いて声も出ないだろう。
わたしはそのくらい、この時間を愉しんでいた。
でも、そんな愉しい時間はいつもすぐに終りを迎える。
予鈴のチャイムが鳴った。周りの生徒たちはこれを合図にそれぞれの教室に戻っていく。食事を済ませたわたしたちも食堂から撤収することにした。
食器をカウンターまで返却しにいく。
次の授業はわたしとレンちゃんとで違う教室なのでここからは別行動となった。
それじゃあまた後で、と言いわたしたちは別々の教室へと歩きだす。
「──ティアちゃん」
するとレンちゃんは急にわたしを呼び止めた。その声に反応してわたしは振り返る。
「あのね、さっきの死神の話の続きだけど、もしもの話だよ。もし死神がティアちゃんの前に現れたとしたらティアちゃんはどうする?」
レンちゃんは少しもじもじしながら言った。
わたしは答える。
「うーん、どうだろう。どうにかして取り押さえてその正体を暴きたいな。死神と呼ばれる理由もはっきりさせたいかも」
割と本気だった。
レンちゃんはふふ、と微笑む。
「この状況でそういうこと言えるのってすごいね。もちろん悪い意味じゃなくて良い意味で。わたしはティアちゃんのそういうところ、羨ましいな」
それじゃあまた後でね、と小さく手を振ってレンちゃんは次の授業の教室へと向かっていった。
羨ましい、か。
わたしはそんなに大した人間じゃないよ。
彼女の歩く後ろ姿を見送った後、わたしも次の授業の教室に向うことにした。