一時の空白な心
あれから彼のことをずっと考え続けた。
友人のことよりも、死神のことよりも。
わずかな時間しか共にしていない彼だけど。
あの人となら。同じ痛みを持つあの人となら。
分かり合えるような気がしたから。
本当の自分として付き合っていけるように感じたから。
だからもっと知りたくて。
だからまだ失いたくなくて。
でも、探せなかった。
ただ立ち止まり続けていた。
会ってどうすればいいか分からなかったから。
わたしの時は止まったまま、世界の時は進む。
◇
昼休み。昼食を食べ終えて教室で精気が抜けたようにぼんやりとしていたところ、突然後ろから誰かに抱きつかれた。そして頬をつねられる。
「ティア、おまえぜんぜん元気ないな。さっきだって授業が終わってすぐに一人でどこかに行ってしまうし。最近何かあったのか?」
と耳元で舐めるように囁いてきたのはニコルちゃんだった。
ロイドくんが消えてからほぼ一週間。
六月二十六日の金曜日のこと。
まるで大切な何かを失ったかのように胸が苦しい。
「まあ、いろいろとね。それと痛いから止めて」
ごめんごめん、と言ってニコルちゃんは頬から手を離した。けど、まだわたしの背中と彼女の身体は密着されたままだった。
「いろいろ、か。そのいろいろってのを言ってみなよ。悩みがあるなら相談にのってやるから。話すことで少しは気が楽になるかもしれないだろ。騙されたと思ってさ。ほら、全部言っちゃえよ」
耳元で囁き続けられるその艶かしい口調はどうにかならないものか。という不満はさておき、その口車に乗ってみてもいいかなとは思った。
もちろん魔術関連は隠した上で、今まで友人に隠していたロイドくんとのことについて話すことにした。
すると、どうしたことだろう、開いた口がなかなか閉じない。次から次へと言葉が出てくる。どうも今はとてつもなく口が軽くなってしまっているみたいだ。
それに、そう訊ねられるのを心のどこかで待っていたのかもしれない。
ロイドくんと出会った時のこと。
ロイドくんの悩みの相談相手になっていたこと。
わたしのせいで状況を悪化させてしまったこと。
そして。
ロイドくんとそれ以降会えていないこと。
話せることは全部話した。
わたしが話している間、ニコルちゃんはわたしの前の席に座って相槌を打ちながら静かに聞いてくれていた。
「──こんなところかな。余計なお節介だった。わたしはロイドくんにすごく迷惑をかけてしまったんだよ」
と低い声で語った。
わたしが話し終えるとニコルちゃんは腕を組んでコクリと頷いた。
「なるほどね。そんなことがあったんだ。けど、うーん。何なんだかな。あたし、これに似た話を知っている気がするんだけど。だとすればおまえにとっても簡単なことだと思うんだけど」
「簡単って、そんなに軽く言わないでよ」
「軽く言ってなんていないさ。おまえさ、もしかして記憶力が悪かったりするんじゃないのか?」
「なんで記憶力がででくるの?」
そう訊くとニコルちゃんはわたしの頭を軽く小突いた。
「おまえがこの学園に編入してからレンともめてた期間のこと。忘れてないよな」
あの時のレンちゃんとの記憶。
忘れてないよな、だって?
ありえない。あの出来事がなければ今の自分はいないのだから。
そう言えるほどのわたしにとって大切な思い出。
それをそう簡単に忘れるはずがない。
「覚えているに決まってるよ」
「だよな。なら思い出せよ。あのときのレンとおまえの関係を」
回想する。その時の場面が鮮明に頭の中を過っていく。
能力の制御ができるまでアーネストさん以外の人とろくに話したことがなかった。
小さなころに何度か魔術師に襲われたことで、目に映る数多くの人間の中に敵となる魔術師は本当にいないのかと警戒を解けなかった。
だから人とどう接したらいいかが分からなかった。
当時わたしに声をかけてくれたクラスメイトは何人かいた。
たけれどどう対応したらいいか分からなくて、わたしの対応に嫌な気持ちをもたせてしまったと思う。
その中で見限ることなく何度も話しかけてくれた人がレンちゃんだった。適当にあしらってしまった時も執拗に追いかけまわされた。
何か考えがあってのことは分かっていた。
嬉しいという感情がわたしには確かにあったはずだ。
しかし、それ以上に怖かった。
わたしの能力でもし彼女を傷つけてしまったら。
以前のような能力の暴走で大切な人を殺しかけてしまったように。
そう思うと、余計にレンちゃんという存在が危うく感じてしまった。
そして気が立ってしまった時レンちゃんに「もうわたしに関わらないで」と言ってしまった。
友達になろうとしてくれたレンちゃんに対して最低な行為だった。
学園生活が始まって数日なのに、もう終わってしまいそうだった。
その後のことだった。ある日にレンちゃんを含めたわたしの周りでちょっとした事件が起きたのだった。
そこからかくかくしかじか、わたしたちは正式に、という表現はおかしい気もするけれどその日を境にわたしたちは何の隔てもないよい友達になったのだった。
「──ああ、そうか」
なんだか似ているな。あのときのわたしの対応と今のロイドくんの対応が。
ニコルちゃんはきっとこう言いたかったのかもしれない。
おまえもレンのように諦めるな、と。
ティアとロイドって人の関係は一度の失敗で崩れるようなものだったのか、と。
「ティア、思い出したか?」
「うん、ちゃんと思い出した。ニコルちゃん。ありがとう」
固くなった口元が緩む。
ひさしぶりに笑った気がする。
気持ちが沈んでいた状態では、たぶん一向に状況は停滞したままだっただろう。
本当だ。話せば気が楽になる。
「その笑顔だ。やっぱりおまえは笑っていたほうがいいよ」
ニコルちゃんも話しかけたかいがあった、と微笑んだ。
「そう言えばレンちゃんで思い出したけど今日はどうしてるの? 朝から見てない気がするんだけど」
「ああ? 何言ってるんだよ。レンなら昨日から風邪で休んでるだろ」
そうだったんだ。全然知らなかった。
大方悩みすぎて周りが見えていなかったってことが原因だろう。
「じゃあ早速」
と言ってニコルちゃんは立ち上がりわたしの手を引っ張る。そのまま教室の外に連れられていく。
「ちょっと、ニコルちゃん。どこに行く気?」
ニコルちゃんは横目に言った。
「決まってるだろ。ロイドって人のいる教室だ」
「…………、え!?」
なんということでしょう。
いきなりのことで思考が追い付かないではありませんか。
心の準備ができていないでございます。
それ以前にロイドくんのいる教室が分かりませんのよ。
ふざけるのはここまでにしまして……、しかしニコルちゃんの考えていることは何となく予想できた。
「時間の許す限りしらみ潰しに探すんだよ」
そんなわたしの友人ニコルちゃんはとても心強い味方である反面、呆れるくらいの行動力の持ち主でわたしの頭を悩ませる娘だった。
「会って何を話せばいいかだって? 考えるだけ無駄ってもんだ。そんなこと実際に会うまでは分かりはしねえよ」
◇
そうしてニコルちゃんに連れられて三年生の教室があるところまで来ていた。
同じ校舎の中のはずなのに雰囲気が全く違う。
落ち着きがあるというか、大人びているというか。
ああ、人って一年で変わるものなんだな。そう実感させられる。
「さあ、ティア。行ってこい」
と背中を押される。
「え、ニコルちゃんは?」
「あたしはここで待ってるよ。頑張ってきな」
そう言って手を振り物影に隠れるニコルちゃん。
この薄情者め。いつか仕返ししてやる。嘘だけど。
と考えていると、後ろから声をかけられた。
「あれ? 君って二年生の有名人だよね。たしかパーシスさんだったかな。どうしたの、こんなところで」
振り返ればそこにいたのはとてもやさしそうな女の人だった。
有名人って何? と一瞬考えたが答えは簡単だった。
これも過去の過ちの影響か。
「あ、あの。人探しをしてまして」
「人探し? 名前は?」
「ロイド・エルケンスという男の人なんですが……」
「ああ、男か。男ね。ちょっと待っててね」
とわたしが最後まで言う前にそう言って近くの男子生徒を呼び止めた。
「ねえ、ロイド・エルケンスって人知ってる?」
「いや、知らねえな。そんな奴いたか? 他なら知ってるかも入れないし訊いてこようか?」
「ええ。じゃあそうしてちょうだい」
「わかった。一分ほど待ってろ」
そう言うとその男子生徒は踵を返して教室に入っていった。
そしてその教室がざわつき始める。
先程の静かな雰囲気は一瞬にして崩れ去った。
「あの、すみません」
目の前の女子生徒に訊ねる。
「何かな?」
「そこまで大事にしなくても良かったのでは……」
「でもすぐに解決するならいいんじゃないかな?」
「…………そ、そうですか」
もうわたしにはどうすることもできなかった。
上級生は恐ろしかった。
丁度一分が経ったころ、さっきの男子生徒が戻ってきた。
「どうだった?」と女子生徒が訊く。すると男子生徒は「いなかった」と答えた。
「え? いないってどういうことですか?」
わたしは男子生徒に訊ねる。
知っている人がいなかったのか。それともロイドくんが今ここにいなかったのか。しかし、そのどちらでもない答えが男子生徒の口から返ってきた。
「その名前の人がいなかったってことだ。確認したいんだが、そのロイドって奴は三年生なのか」
「あ、えっと…………」
そう訊かれて初めて気がついた。無意識の内にロイドくんは年上の人だと勝手に決めつけていたことを。
あの落ち着いた口調や振る舞いから、そう思い込んでも仕方なかったかもしれない。敬語を使うつもりは全くなかったけど。
「すいません。それは分かってないんです。分かるのは名前だけで。たぶんこの学園の生徒だとは思うんですけど」
「手当たり次第に探してたってことか。とりあえず報告だ。まずさっき言ったようにその名前の三年生を知っている人は一人もいなかった。だから、ついでに後輩関係も訊いてみたがそれも同じ。もし君の言う通りこの学園の生徒なら一年か二年の部活に所属してない人だろうな」
「それって確かなんですか?」
その質問に答えたのは女子生徒の方だった。
「それは確かね。この人の情報網はすごいんだから」と男子生徒の胸を軽く叩いた。
「そんなことはない。ただ友人が多いだけだ」と否定した。
わたしは二人にありがとうございました、と頭を下げて、そして逃げるように帰っていった。
「どうだった?」
と訊いてきたのは物影に隠れていたニコルちゃんだ。
「それがさ──」
と、先輩方との会話の内容を話した。
「おまえ、相手が年上かどうかくらい聞いとけよ」
「本当にその通りだったよ」
心を決めて呼び出そうとはしたものの結局あてが外れてしまった。
ということはロイドくんは年下だったってこと?
あれで?
考えたくなかった。
このあとわたしたちは一年の教室に向かった。
今度はわたしの代わりにニコルちゃんが訊きにいってくれた。
部活の後輩らしき人を数人呼び出してロイドくんについて訊いてくれて、その間わたしは物影に隠れていた。
数分後、戻ってきたニコルちゃんが報告をしてくれる。内容はこうだ。
「ロイド・エルケンスって人はいなかったぞ」
そんな馬鹿な、と叫びたくなった。
だっておかしいでしょ。
今までずっとこの学園で一緒にいたんだから。
しっかり制服も着ていたし。
「偽名でも使ってたんじゃないか」
とニコルちゃんが冗談半分に言う。
でも、もしかしたらそれはあるかもしれない。
ロイドくんにとってわたしは得体の知れない能力者だったのだ。初対面の時に警戒して名前を隠すくらいのことはするかもしれない。そして、それを言い出すことなく今に至ったのだとすれば。
「それだったら名前は全く頼りにならないね」
わたしも冗談混じりに言ったところで次の授業の予鈴が鳴った。
「ニコルちゃん。ありがとう。後はわたし一人で探してみるよ。顔を頼りに」
「そっか、それじゃああたしにできることはもう無いってことになるのか。それじゃあ後はがんばれよ」
「うん」
それからわたしたちは次の授業の教室に向かう。
授業終わってからの放課後、わたしがやることはすでにこの時点で決めていた。