その男、防人薫
どこへ逃げても《ロボット面犬》は執拗に追ってくる。
たとえ狭い場所へ逃げ込んでも、相手はお構いなしに壁を『食い破って』追跡を続ける。
きっと周囲に人がいても気にせずに、それを蹴散らして追ってくるに違いない。
だから走は自然とできるだけ人がいない方へと逃げることになる。
「くそっ、光れよ!」
文句を言う。首の鉄輪は走が幾ら願っても輝かない。
昨日のあの力が使えれば《ロボット面犬》など敵ではないのに。
一体どうやれば光るというのか、それが走にはさっぱり分からなかった。
上靴のまま校舎を飛び出してグラウンドへ。
直後、走はそれが最悪の選択だったことに気付く。
遮蔽物がない。
《ロボット面犬》は走に向かって一直線に駆けてくる。
流石は四足歩行というべきか。重たい頭でバランスを崩しながらも、その速度は走の数倍は速い。
足がもつれた。
憐れ、走は転倒した。
「っ……痛ぅ!」
倒れた走に《ロボット面犬》が襲い掛かる。
ドリルの牙の並んだ口。それが目の前の相手を飲み込もうと大口を開ける。
逃げられない、走は咄嗟に顔を腕で庇い――
「止まってぇぇぇぇ!」
色素の薄いフワフワとした髪が踊る。滑り込むようにして走と《ロボット面犬》の間に割り込んできたのは一人の少女。
「海月っ!?」
走は彼女の名前を呼んだ。
是星海月は《ロボット面犬》から走を守ろうと両手を広げる。
「止まって下さい!」
ビクリ、と。
まるでその言葉に反応したかのように《ロボット面犬》が動きを止める。
そして何かを考えるように、じっと海月のことを見ている。
一瞬、走は助かったのかと安堵しかける。
――だがその期待は裏切られる。
動きが止まったのはほんの一拍。
《ロボット面犬》は構わず自分の進行を邪魔する少女を噛み殺そうとする。
「――く!」
「きゃ」
走は弾かれるように動いた。
上半身を起こし、立っている海月を引き倒す。
倒れる海月に覆い被さるようにして《ロボット面犬》の一撃から守ろうとする。
――ドンッ。
何かが破裂するような音がした。
直後、何かが《ロボット面犬》の頭にぶつかる。重く甲高い音が響く。それは重い鉄の塊に高速で飛来した何かがぶつかった音。
《ロボット面犬》の体がよろめいた。
ドンドンドンッ!
続け様に破裂音。その度に《ロボット面犬》の体が揺れ、ついには横倒しになる。
同時に一台の黒塗りの車が走のすぐそばに、甲高いブレーキ音と共にドリフトしながら急停車した。
「大丈夫か、少年!」
そのドアから飛び出してきたのは一人の男だった。
その手には黒光りする巨大な拳銃。先程の破裂音はその銃が発射された音だったのだ。
男は起き上がろうとする《ロボット面犬》に向かって容赦なく引き金を引いた。
発射された弾丸が次々と《ロボット面犬》の体を打つ。
だがそれは致命傷にはなっていない。
突然の攻撃に《ロボット面犬》は怯んでいるが、その装甲には全く傷がついていなかった。
それは毛皮に覆われた胴体部分も同じこと。
「キャインキャインッ!」
だがそれでも《ロボット面犬》はその攻撃を脅威と判断したらしい。
見た目に似合わぬ可愛らしい悲鳴を上げて逃げ出していく。
尻尾を丸めて、学校の裏にある山の中へと姿を消す。
「―――っ」
男はそれでも暫くの間、手にした拳銃を構えていた。
だが《ロボット面犬》が戻ってこないことを確認すると、銃口から漂う煙を息を吹き消してから脇の下のホルスターへと収納した。
乱れた髪を手で撫で付ける。
そして、ようやく走と海月へと目を向けるのだった。
「怪我はないか?」
「は、はい」
ダークグレーのスーツに、オールバックにした黒髪。マフィアか役人かという格好に走は怯える。
男の瞳が細められた。
その視線が自分の首元に注がれていることに気付いて、はっと走はマフラーの位置を直す。さっきの騒動でマフラーがずれて、その下の首枷が見えていた。
「是星さん、白色君、大丈夫!?」
その頃になって、ようやく教師達が校庭にやってきた。
さっきの騒動は教室からも見えたのだろう。校舎の窓には生徒達が鈴なりになっていた。
「あの、生徒を助けて頂いてありがとうございます」
男の礼を言う教師だったが、その顔は訝しげだ。
当然だろう、目の前の男が拳銃を撃っているところは教師も見ているはずだ。
それに対し、男は徐に拳銃の入っている懐に手を突っ込んだ。
思わず、教師が後退る。
だが予想に反して、懐から出てきたのは拳銃ではなく一枚の四角い紙だった。
名刺。
「私は防人薫。役所の方から来た者です」
その名刺には『軌道エレベーター関連事業対応室』と書かれていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「今時、髪の色が変わって、体から光を放つだけのパワーアップは時代遅れだと思わないかい?」
「………」
学校の会議室。
カタカナの『コ』の形に並んだ机の、上と下の横線のテーブルにそれぞれ男と走は向かい合うようにして座っていた。
あの後、防人と名乗った男は教師と何やら話していたかと思うと、走をこの会議室へと呼び寄せた。
他の生徒達は緊急事態ということで集団下校させられたようだ。
ちなみにレオ美はいつの間にか姿を消していた。
「やっぱり、今はそれぞれのキャラが一長一短得手不得手があって、それぞれの長所短所を補い合うべきさ。要するに……俗に言う『能力物』ってやつなんだが、今時の中学生の少年君的にはそこらへんどうなのよ」
男はペラペラと週刊漫画雑誌を読んでいる。
男のテーブルの上には教師が出したインスタントコーヒー。対して、走には何もなかった。
「あ、ちなみに俺はそのオーラがバリバリ出る系の世代なわけだけど。
やっぱり、あれって戦闘力のインフレが激しいのが一番の問題だと思うんだよね。
弱いキャラが出番無くなっちゃうじゃない、そうすると今時のキャラクター中心の商品展開にどうよって感じ」
「あの、話って何なんですか?」
いい加減、本題に入ってほしいと走は話を促す。
「あ、すまんね。俺は防人薫、よろしくね」
ピクリと走の眉が揺れた。質問とは全く違う答えに馬鹿にされている気分になる。
だからただの中学生にしか過ぎない彼が、男に対する不満の色を声に出してしまうのは仕方がないことだった。
「……なんなんですか、貴方は」
「だから言っただろう、役所の方から来たって」
だが走の声に混ざった怒りをまるで無視して、男はコーヒー片手に週刊少年漫画誌を読みふける。
「……そうですか」
どうやら自分のことを子供と馬鹿にして会話するつもりがないらしい。そう見てとって、走は床へと視線を落とした。
バンッ!
その時、突然静かな会議室に響いた音に走はビクリと体を震わせた。
慌てて見上げると、防人が雑誌をテーブルの上に叩きつけるように置いていた。
体の向きを変え、走を正面から見詰める。
その顔付きは、先程までのものとは一変していた。走の一挙手一投足を見逃すまいとするかのような、鋭い鷹のような視線を向けてくる。
「さて、少年。――実際問題、君は黒金レオ美について、どの程度知ってるんだ」
「……レオ美?」
防人の口から彼女の名前が出たことに走は驚いた。
「レオ美のことを知ってるのか?」
国が。国家権力が。黒金レオ美のことを知っている。
それは走には何だか妙な感触だった。てっきり、黒金レオ美という女は政府だとかそういうものとは無縁の存在だと思い込んでいた。
だが冷静に考えれば、昨日あれだけの騒動を起こして、それを国が全く知らないというのもおかしな話なのだ。
「ああ、もちろん知っているさ。君は知らないと思うがね。実は黒金レオ美は宇宙からやってきた異星人なんだ」
「……それぐらいなら俺だって知ってるよ」
「成る程。君はその程度には事情を説明されている、そういうことか」
「……? ……っ!」
ふむと頷く防人に、走は頭上に疑問符を浮かべたが、すぐにハッとなった。
自分は目の前の男にカマをかけられたのだ。普通は自分の家に住んでいる女が宇宙人だと言われば冗談だと受け取るだろう。
自分への不甲斐なさを、目の前の相手に対する苛立ちに変換して、走は防人を睨みつけた。
それに対して防人は意地の悪い笑みを浮かべた。その態度がまた不快感を煽る。
「別にそれぐらい。そんな珍しいことでもないだろ」
「強がるねえ少年。君は無理矢理黒金レオ美という存在を日常の枠内に収めようとしているようだが……。
悪いことは言わない、そんなのは無駄な努力だから止めておけ。後で裏切られたと泣きを見るだけだ」
「なんで、アンタに――」
「黒金レオ美達のような存在は《タレント・プロダクション》――《超能力開発機構》と呼ばれている。それは知っているか?」
「………」
突然話の方向を変えた防人に、走は黙して答えない。初めて聞く単語だった。
防人はスーツのポケットから禁煙パイポを取り出して口に咥える。
「彼らに共通する目的はない。各々が《事務所》を作って集団で動いたり、個人で活動したりしている。
時には《事務所》同士で殺し合いすらやっている訳の分からん連中だ。
共通しているのは――構成員の殆どが《タレント》と呼ばれる《超能力》を持っているということだな」
走の脳裏には先日の自分の身に起こった出来事が思い浮かんだ。
トレンチコートの男達、それが合体して出来た鉄の巨人、それを倒す自分の姿。
そして、勢い余って宇宙まで行ってしまい帰る手段をなくして無重力空間を漂っていた自分の前に現れた黒金レオ美。
――私は走君をウチの《事務所》にスカウトに来たんだ。宇宙の向こう、まだ地球の誰も行ったことがない冒険の世界に一緒に行かないか?
それに対して走が答える間もなく生身での大気圏突入となったわけだが、確かにレオ美は目の前の男が言ったのと同じ単語を口にした。
「とにかく、昨日のことだ。何者かが《超能力》を使って、この街で大暴れをした。我々としてはこの行動に非常に迷惑している」
「………」
色々と反論したいことはあったが、走はむっつりと口を噤んだ。これ以上、足元を掬われるつもりはなかった。
そんな走に防人は苦笑する。
「もし、その《超能力》を使った人間に心当たりがあるなら伝えてほしい。
……あの女はロクなもんじゃない。さっさと縁を切ることを私はオススメするってね」