やってきましたメイドさん【学校訪問編】
校舎の三階、窓際の走の席からは軌道エレベーターがよく見える。
長い長い塔が雲の向こうまで伸びている。
まだ地上の玄関部分や、エレベーターを登った先にある宇宙港は未だに建設中らしいが、少なくともここからの眺めている限りでは軌道エレベーターはすっかり完成しているように見えた。
教師の話す授業の内容を右から左へと聞き流しながら、走はバベルの塔に二つに割られた空を見上げる。
ふいに、ほっと息を吐く。
元々、学校はあまり好きではなかったが、それでも今はこの閉鎖空間だけが走にとっての落ち着ける場所だった。
家は自称宇宙人の黒金レオ美に占拠され、心休まる場所ではなくなっている。学校だけがレオ美の魔の手から走の日常を守ってくれるのだ。
「………嘘だろ」
守ってくれるはずだったのに。
視線を校庭へと下ろした走はなんだか泣きたくなった。
この学校には正門と裏門とがある。
その裏門から一台の原付が校内に侵入しようとしていた。その原動機付き自転車に乗っているのは、メイド服の上に革のジャンパーを着た黒髪の女だった。
一応ヘルメットを被っているが、その顎紐は止められずにプラプラと揺れているので道路交通法的には被っていないも同義。
当然、そんな異様な外見の女が二人も三人もいるはずもなく。間違いなく走の家の自称家政婦だった。
「アイツ、何しに来てんだよ!」
マフラーの排気音と共にやってきた、平和の砦の城門が破壊槌でブチ開けられる予感。
思わず走は立ち上がる。
「こら、白色。今は授業中だぞ!」
流石に授業を聞いていないことは看過しても、邪魔されることは我慢できないらしい。授業担当の教師が怒る。
教室中の視線が集まって、走は慌てた。
「いや、でも外に……」
言い訳するようについ窓の外を指差してしまう。
指差してしまった後で走は「しまった」と思った。
その指し示す方を教師やクラスメイトが当然見る。
当然、レオ美は幻でも幽霊でもないので(残念ながら)その姿を彼らを見つけてしまう。
走は自分の失敗に頭を抱えたくなった。
「なんだアレ、メイド?」
「どこの金持ちに用だよ」
「っていうか、変質者じゃね?」
生徒達がザワザワと騒ぎ出す。その変質者なメイドの身内であるところの走としては、ただただ恥ずかしい。
「こら、静かに。席に戻りなさい」
「あ、ブタゴリラ出てきた」
教師が注意するが、降ってわいた非日常に沸く生徒達の興奮がその程度で収まるはずもない。
校内に犬が迷い込んだ、あのノリだ。
窓の外では誰が言い出したか『ブタゴリラ』という渾名で生徒達に影で呼ばれている、筋肉と脂肪と体毛を豊富に蓄えた体育教師が、学校に近付く不審者を止めるために駆け寄っていくところだった。
意外にも素直にレオ美は体育教師の制止に従ってバイクを停車させた。車上からヒラリとスカートを翻して舞い降りる。
走はもう嫌な予感しかしない。
何を言っているのかは分からないが、どうやら体育教師とレオ美は言い争っているようだった。
「あ、殴った」
次の瞬間、レオ美の拳がしなった。顔面を殴られて吹き飛ぶ体育教師。
躊躇ない暴力に教室の中がシンと静まり返った。仕方がない、どう見ても非常事態だ。
走だってつい最近までは、日常というのは鉄のように頑丈なのだとばかり思っていた。
自分に比べて人生経験に欠けるクラスメイト達が、どう反応して良いものか迷うのは仕方がない。が、生徒を導くはずの教師まで固まっているのは如何ともし難かった。
「やべっ!」
レオ美がこちらに目を向けたような気がして、走は慌てて物陰に隠れた。
見付かっただろうか。距離があったので、こちらの顔をレオ美が確認できたとは思えない。
だが相手が相手なので何が起こってもおかしくない。
とりあえず、走は隠れてこの場をやり過ごすことにした。
ギリギリまで自分が関係者だということは伏せておくことにする。それは単にすぐそこにある未来から目を背けるだけの現実逃避でしかない。
「あれ、皆何見てるのですか?」
その時、黒板の内容をノートに書き写すことに夢中になっていた海月が――彼女のノートは赤や青や、もちろんピンクなどの様々な色を使い分けてイラスト付きで書かれているので、普通よりも板書するのに時間が掛かる――作業を終えてようやく顔を上げた。
窓際に集まっているクラスメイト達に不思議そうな顔をして、自分もその輪に加わる。
「あ、レオ美さんです」
そして、完全に空気を読んでない行動をする。
生徒達の注目が海月に集まる。
「えっ、知り合い?」
「――ばっ」
「あう、アレは走ちゃんちのメイドさんなんですよ」
言ってしまった。走が止める暇もなく、バラしてほしくない情報を盛大にぶちまけた。
もう絶対に回避不可能。今度はクラス中の視線が走へと集まった。
終わった。俺の学校生活が終わった。走はヘナヘナと脱力する。
その時、ガラリと教室のドアが開いた。
「わん」
鳴き声。
皆が窓の外に注目しているので、それに気付いたのは走の他に数人だった。
それは犬に似ていた。
四本の足で立ち、尻尾がある。全身が毛に覆われた、それだけの特徴を挙げればどこからどう見ても犬。
ただし、その顔が機械だった。
巨大なロボットの頭部。見るからに重い金属の塊の顔。
それが犬の首から生えている。一瞬、被り物かとも思ったがその顔にあるカメラのレンズのような瞳がまばたきをしている。
走はその顔に見覚えがあるような気がした。と言うよりも、こんな物に対する心当たりは一つしかない。
《人面犬》ならぬ《ロボット面犬》。
それに気付いた女子がその異様な姿に悲鳴を上げた。
その声にクラスメイトが窓から教室の入口へと注意を向けた。途端、教室の中は蜂の巣を突付いたような騒ぎになる。
だがそれを無視して、《ロボット面犬》はくんくんと指先を鼻のように使って地面を匂っている。
その動きはとても自然で、体と頭の大きさが全く合っていないアンバランスさを感じさせない。だが、今は逆にそれが不気味。
――やばい。
走はコソコソと他の生徒の後ろへと身を忍ばせた。アレが自分を狙ってこの教室に来たのだという妙な確信があった。
アレが自分の存在に気付く前に、この部屋を出なければいけない。
走はできる限り存在感を消して、教室の後ろ側のドアから出て行こうとした。
しかし。コツン、と走の足元で音がした。
誰が教室で飲んだのか、転がっていたジュースの空き缶を蹴飛ばしてしまったのだ。
がばりっ。
必死に床の匂いを嗅いでいた《ロボット面犬》が勢い良く顔を上げた。
見られている。
《ロボット面犬》の無機質なレンズの瞳がはっきりと走の姿を捉える。
口が開けられた。
機械のくせに、なぜか唾液でダラダラと床に垂らしながら剥かれる歯茎。
そこには鋭い牙が並び、いや牙ではない。歯に見えるそれは一本一本が鋭いドリル、だった。
「――――――!」
《ロボット面犬》が吼える。
ノイズと金属が擦れる音を合成したような不快極まる音。
並ぶドリルの牙が一斉に回転を始める。
そして、《ロボット面犬》は走に向かって真っ直ぐに飛び掛ってきた。
「うわああああああっ!」
走は一気にドアの外へと飛び出した。そのまま廊下へと転がり出る。
直後、背後で重たい何かが壁に激突した音がする。
それを振り返って確認する余裕もなく、走は走り出した。
悲鳴と共に何かが崩れる音。振り向かなくても分かる。重たい足音と共に、どこで呼吸をしているのか分からないが荒い息遣いが走の背中を追ってくる。
――追われている。
走は廊下の角を曲がり、階段を三段跳びで駆け下りる。
ツルツルと滑る床は《人腕犬》には走り辛いらしい。階上で突き当たりの壁に何かがぶつかる音がする。
その隙に走は二階へと移動した。
決して闇雲に逃げているわけではない。きっと彼女がいるはずだという予想の元の行動だった。
そして、果たして彼女はそこにいた。
「よ、走君。アンタ、結局朝食べてないだろ。だから、弁当を作ってきたんだけど」
メイド服姿の黒金レオ美が、片手に高く弁当の入った風呂敷を掲げる。
「そんなことより、アレ!」
助かったとばかりに走はレオ美の背後へと逃げ込んだ。
ズンッ、と音を立てて《ロボット面犬》がその目前に現れる。天井を食い破って走を追ってきたのだ。
「……昨日のヤツの頭か。原生生物取り込んで、環境適応抜群ってわけか」
唸り声を上げる《ロボット面犬》を前に、レオ美はさして恐れた様子もない。
訳の分からない女だが、こういう時は頼りになると走は安堵する。
だが、そこでレオ美は不可解な行動をした。
彼女はすっと体を横に逸らす。当然、レオ美の影に隠れていた走は、《ロボット面犬》の目前に曝け出されることになる。
慌てて再びレオ美の背後に隠れようとした走だったが、レオ美はその顔をむんずと掴んで押し留める。
「あのさぁ、女の背中に隠れて恥ずかしいと思わないかい?」
「何言ってんだ、大人だろ!?」
呆れたような口調のレオ美に走は驚いた。
助けを求める走を、なぜか彼女は馬鹿にしたような表情で見下ろしている。
「あのさー、わたしゃ、正義の味方でもないんだから、勝手に助けを求められても困るって寸法さ」
「なっ、お前昨日と言ってること違うじゃないか! 俺をアイツらから守るために来たんだろ!? 正義の味方なんだろ!?」
「んー、そんなこと言ったかにゃー?」
走は絶句した。
ニヤニヤと、レオ美は全部分かった上で走を助けることを拒絶しているのだ。
――期待した自分が馬鹿だった。
目頭が熱くなる。頭蓋骨の後ろ側がツンとした。
溢れ出す何かを振り払うように走は走り出した。
《ロボット面犬》はレオ美を警戒しながら、しかし相手が何もしてこないことを確認すると優先目標の方を追いかけ始める。
「おー、走れ走れ青少年。悪いが走君には他の皆よりも早く大人になってもらわにゃならんのだからね」
追跡劇を見送って、レオ美はふいにニヤニヤ笑いを引っ込めた。
困ったように後ろ頭をポリポリと掻く。
「しかし、ちょっとまぁアレだ。頼られるのは嫌じゃないけど、なかなかバランスってもんが難しいもんだ」
たたたっ
レオ美のスカートが翻った。彼女のすぐ脇を小さな影が走り抜けていった。
色素の薄いフワフワした髪が動きに合わせて揺れる。
校舎の中から外へ出たらしい走の悲鳴。同時に校舎のどこかで何かが壊れる音がする。
その物音に人影は反応して、走る進路を寒いのに開いたままになっている窓へと変えた。
躊躇なく、その人影は二階から窓の外へと身を躍らせる。
一瞬、怒ったような垂れ目がちの瞳をレオ美へと向け、その人物は校舎の外へと姿を消した。
「……ん~?」
レオ美は珍しく少し戸惑ったような顔をして耳のピアスを撫でる。
「――まぁ、いいさ。思い通りに運ぶよりは、多少の誤算があった方が何事も面白い」
再び、レオ美は笑った。その笑顔は獣が牙を剥いているようにも見えた。