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バベルを見上げる少年

完成したまま放置していた小説があったので加筆修正しながら投稿します。

 ここではないどこかへ行きたい。


 自分以外の誰にも共有できないと信じ、だがその実誰もが抱くありがちな感傷。

 そんなありふれた気持ちを抱きながら、(はしる)は空を二つに割る巨大な塔を見上げた。


 建造中の軌道エレベーター。それはまるで神話に登場するバベルの塔を思わせた。


 バベル塔。それは古代メソポタニアにあったとされる天にも届く高さの塔のことだ。

 その塔の建設が神の不興を買い、人類はそれまで一つだった言語をバラバラにされてしまったという。

 そのため人々は言葉による意志の疎通ができなくなり、天を突く塔を建設するという巨大事業の続行が不可能となってしまう。

 やがて人間は永遠に完成の望めない塔の元から去り、打ち捨てられた塔はやがて風化崩壊した。

 人間が心と思考を通わせるには、言葉というものがいかに大事かという逸話だろう。


 どれだけ見上げても雲を貫く軌道エレベーターの先端は見えない。

 恐ろしい。見慣れた光景のはずなのにそう感じずにはいられない。


 宇宙と地上を繋ぐ一本の橋。それが完成すれば一般人でも簡単に宇宙に行くことができるようになる。

 その話を聞いた時、その頃まだ小学生だった走は単純に喜んだのを覚えている。


 軌道エレベーターがあれば、宇宙に行くのに毎回大量のロケット燃料を消費して宇宙船を打ち上げる必要がなくなる。

 そうすれば今よりもぐっと宇宙開発が早く進むようになる。

 もっとも、その頃の走にとっては自分が宇宙に行けるかもしれない、それが何よりの朗報だった。


 一見すると良いことばかりに見える軌道エレベーターの建設。

 しかし、当時の市長が独断的に誘致を決めたこともあって、市民の間には喜びよりも動揺の方が大きかった。


 何しろ巨大な、巨大過ぎる塔だ。もしこれが倒れるようなことがあれば……そう考えるのは当然だ。


 それに何より軌道エレベーターが建設される予定の場所には、当時は工場地帯が広がっていて近隣住民の多くがそこで働いていた。

 つまり軌道エレベーターの建設のために工場が閉鎖されれば職を失う人が続出する。


 反対運動はかなりの規模だったらしい。

 その様子はテレビでも報道され、今でも街の至るところに建設反対派が立てた看板を見かける。


 それでもいざ強行的とはいえ建設が始まってしまえば、なんとはなしに折り合いをつけてしまうのが人間というものらしい。

 

 少なくとも軌道エレベーター建設のために県外から工事関係者が集まり、地域の飲食店や販売店などは潤っているらしい。

 工場に勤めていた人の大部分も、軌道エレベーターの建設に関わることで職を得た。


 そして、実際に軌道エレベーターが地上と宇宙を結ぶ世界初の宇宙ステーションとして運用が開始されれば、それを目的に訪れる観光客や企業などで街は更に発展されることが予想される。

 そんな役人の甘言に騙されて、最近では反対派から賛成派に方針転換する者が増えてきている。

 それは国と企業が補償金を払うことを決定してからはさらに加速していた。

 そう反対派グループに所属している叔父が愚痴っているのを走は何度も聞かされている。


 走が今登っている学校の裏山に建つ高圧電線の鉄塔も、その軌道エレベーター建設に必要な電力を遠くの発電所から引っ張ってくるためのもの。


 だがそんな周囲の事情も、白色走(しろいろはしる)の中学生人生にはどうでもいいことだ。

 走は一人になれるこの場所が好きだった。


 もちろん、ここは一般人の立ち入りは禁止となっている。

 だが鉄塔をグルリと囲む鉄条網付きのフェンスには、誰が作ったのか子供一人が通るのには十分な穴が開けられていた。

 それを走はありがたく利用させてもらっている。


 反対派だろうが賛成派だろうが、大人というものは自分達のような子供に意見を求めたりはしないのだ。

 中には反対派の集会で「私達の街の自然を壊さないで下さい」などと恥ずかしい作文を読まされた女子もいる。

 だがそれは彼女自身の意志で発した言葉ではないだろう。そう走は思っていた。


 もし自分で決めて、自分の想いを発表した。本人がそう感じていたとしても、それは単に周囲の大人の……親の意見に影響を受けているだけだ。

 実際問題、自分達には大人に本当の意味で逆らう力などはない。

 単純な腕力だけの問題ではなかった。子供にとって親の思想というものの影響は大きい。


 走は一部だけが白くなっている前髪を撫でた。

 正直、転校した時はこの髪のことでイジメに合うことも覚悟した。

 だが教師がペラペラと喋ったのか、それとも狭い町なので事情が噂として広がったのか。

 どちらにせよ気を使われることこそあっても、イジメられるようなことはなかったのは幸いだ。


 もっとも、その腫れ物を触るような対応のせいで、引っ越してきてもう一ヶ月が経つというのに、未だ友達ができないのは問題だ。

 自分から距離を詰めれば、また話は別なのだろう。だがそれができないのは我ながら情けないと思っている。


「またそんなところ……走ちゃん、危ないのですよぉ!」


 下の方から聞こえてくる間延びした声。

 それに走は軌道エレベーターに向けていた目を剥がし、塔の上から地上を見下ろした。


 周囲には山林が広がっているが、この鉄塔の周囲だけはぽっかりと樹木が刈り取られている。

 そこに幼馴染みの是星海月(これほしくらげ)の姿があった。


 走はゲンナリとした表情を浮かべる。

 この鉄塔は走の秘密の場所だ。幼稚な言い方をすれば秘密基地。

 だというのに、この幼馴染ときたらこの場所をどうやってか探し当て、走が一人になろうと姿を消す度にこうして迎えにやってくる。

 走にとっては迷惑な話だった。


 塔の上。自分の手の平に息を吹きかける。

 長時間、冷えた鉄骨を掴んでいたのですっかり体温を奪われている。

 十月ともなれば、昼でも寒い日が増えてくる。海月などはもう首にピンクのマフラーを巻いている。だが流石にそれは気が早すぎるだろう。


「海月も登ってこいよ、見晴らしいいぜ!」


「無理ですよぉ! それにフェンスの中、入っちゃ駄目なのです! 昼休みも終わっちゃいますからぁ!」


 立ち入り禁止の場所に入っているのを誰かに見付かるのではないか。

 それを恐れてソワソワしている海月の様子に、走は意地の悪い笑みを浮かべる。


「これぐらい簡単なもんだぜ、登ってこれるって!」


 彼女が登ってこれないのを分かった上での言葉だ。

 だがそれは彼女だけが登れないということではなかった。同年代の男子でも、余程の運動神経の持ち主か、冒険者という名の無謀者でなければ試そうともしないだろう。

 塔は高く、登れば登るほどに強い風が吹き付ける。

 備え付けの梯子を使えば登ること自体はできるだろう。だが走のようにそこから鉄骨の上を自由に歩き回るとなれば話は別だ。

 ほんの少しバランスを崩しただけで地上に真っ逆さま。


 それは走の数少ない特技だった。

 梯子や台の上。堀の上。とかく、不安定な場所を歩いたり登ったりするのが、どうしようもなく好きで得意なのだ。

 もっともそれは"バランス感覚が少し良い〟程度のことで、特にスポーツなどに活かせる才能ではない。


 本人としてもどうせならもっと別の、それを利用することでお金を稼げるような特技が良かったが、持って生まれたものに文句を言ってもどうしようもない。


「おいおい……」


 鉄塔の近くまできた海月が、まごまごと悩んでいる様子を面白そうに眺めていた走だったが、彼女が本当に鉄塔の梯子の手をかけたのを見て笑みが引っ込む。


「待て待て待てっ!」


 どうやら本気で登るつもりになったらしい彼女に、走は慌てて鉄塔を駆け下りた。


「お前な、もし落ちたらどうすんだよ危ないだろ!」


 軽々と地上に帰還した走は、自分の意地悪を棚に上げて海月を叱る。

 時々、海月は予想もつかない行動を取ることがあって彼を慌てさせる。


「だって、悪いのは走ちゃんじゃないですか! 勝手に登ったら駄目なんですからっ!」


 怒られて一瞬、反省したかのような顔をした海月。

 だがそもそも自分が怒られる謂れがないことに気付いたのだろう。一本立てた指を「めっ!」などと言いつつ突きつけてくる。


 その動きに合わせてフワフワとした髪が揺れる。

 薄めの眉を寄せて精一杯怖い顔を作っているようだが、残念ながら垂れ目でどんなに凄んだところで迫力などない。


「あ? 何言ってんだ、勝手に入ってるのはお前もだろ。一人だけ良い子ぶって楽しいのか?」


「いひゃいいひゃい! はしゅれひゃん、いひゃいれふ!」


 だが走と海月の関係性からいって、そんな海月の態度は"生意気〟と分類されるものだった。

 なので走は偉そうな言葉を吐き出す海月の口の中に両手の指を突っ込んで、思いっきり左右に引っ張ってやる。

 海月の口が横に広がる。頬を引っ張られた海月が悲鳴を上げる。


 事実、走を迎えにきたという理由があろうと立ち入り禁止のフェンスの内側に入ったのは事実だ。

 声をかけるだけなら別にフェンスの外から呼びかけるだけでも良かったはずだ。

 そして海月に一割でも否があるなら、走は自分が九割悪くても謝るつもりはない。


「分かったら、もう海月の癖に生意気なこと言うなよっと」


 ぽんっと音がしそうな勢いで指が口から引っこ抜かれた。

 ついでに口の内側を爪で引っかくというトドメも忘れない。


「あひゃい!」


 涙目の海月は暴虐の限りに口内を蹂躙(じゅうりん)した走を、恨みの篭った目で睨む。

 あいにくと迫力が全く足りず、ただ上目遣いに見詰めているようにしか見えない。


「う~、痛いよぉ酷いのですよ走ちゃん……あぅ、私の服で指拭かないで下さい!」


「いやだって、汚いだろ。お前のよだれだぞ」


「汚くないのですよ!?」


「ほら、何してんだ。急がないと昼休み終わるぞ」


 海月の抗議を完全に無視して、走は鉄塔の根元に放り投げてあった鞄を肩にかけて歩き出す。


「あ、待って下さいよぉ!」


 フェンスの破れ目から外に出るその背中を、海月が慌てた様子で追いかけた。


                 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「早くしないと授業が……サボっちゃうのです!」


 海月はパタパタという表現が相応しい足音で小走りしている。

 その後ろを走はことさらにノロノロと追いかけていた。


 学校から鉄塔に続く道、この場合は鉄塔から学校へと帰る道。それはまるで獣道のようだった。

 よく見れば歩きやすいように地面がそこだけ踏み固められ、進路を塞ぐ邪魔な枝は打ち払われている。

 歩きやすいわけではないが、何度も通っていれば海月だろうと道を見失うことなく往復できる。


 だが一歩道から外れればそこは山の中の自然が、整備されることもなく広がっている。

 少し迷い込めばあっという間に自分がきた方向を見失うだろう。


「走ちゃん、遅いですってば!」


 遅々として進む速度を上げない走に海月が怒る。


「だったら一人で帰ればいいのに」


 そう応じる走だが、それは海月が自分を置いていくはずがないという前提があった上での我侭(わがまま)だったりする。

 もし本当に海月が一人で行ってしまったら落ち込む。その落胆は後日、海月に物理的なダメージとして返礼されるだろう。


「別に授業なんてもういいじゃん。なんか今日は気分乗らないし」


「もう、いっつもそうです! 走ちゃんはいっつも!」


「……なんで学校行くのにそんなにテンション上げれるわけ?」


 ぼやく。

 学校の授業などに真面目に取り組める海月が理解できなかった。それは他のクラスメイト達に対しても同じ想いだ。

 どうして教師の言うことなどに疑問を抱かずに従えるのか。

 そう思う一方、走はただ闇雲にルールに逆らう不良バカのようにはなりたくない。


 だから納得できる理由を周囲の大人が提示してくれるなら従うつもりはある。

 だが少なくとも走達の担任はそれを教えてはくれないでいる。


 空を見上げる。青の天幕は(こずえ)に遮られて狭い。

 ここからでは天の果てを目指す軌道エレベーターの姿も見えなかった。


「あー、何か面白おかしいことでもないかなあ」


 心の中に浮かんだ気持ちをそのまま口に出す。


 その時だった。


 がさり。


「……!?」


 すぐ近くの茂みを掻き分けて、一人の《女らしきモノ》が現れた。


 その姿を視界に捉えた瞬間、走と海月はその場に石像のように硬直した。


 それを《女らしきモノ》と表現したのには理由があった。

 ダークグレーのパンツスーツに包まれた四肢は細く長い。引き締まった腰とは対照的に、きっちりとした服装の上からでも分かる胸と臀部の膨らみ。 

 腰まで届く長い髪は鴉《からす》の濡れ羽色。服の袖から覗く指はまるでピアニストのように優雅で長い。


 そこまでならば迷うことなく女であると断言できる。

 それも美女。完璧なプロポーションを持った女。


 だがそれだけに、だからこそ顔を隠すホッケーマスクが異様だった。

 しかもご丁寧にその細い優美な指には、しっかりとチェーンソーをぶら下げている始末。


「……じぇいそん?」


 あまりに変質者異常者然として佇まいを前に、海月が呆然と呟いた。

 何を呑気なとも思える言葉だが、彼女の手は無意識に走の服の裾をぎゅっと握る。


 その服を引っ張られる感覚に、走は我に返った。

 今は固まっている場合ではない。自分が海月を守らなくては。

 思考ではなく感情でそう考えて、走は彼女を安心させるように手を握り返した。


 庇うように仮面の女と海月の間に立つ。


「大丈夫だ海月。こういう時は死んだ振りすれば見逃して貰えるって聞いた!」


「それって実際にやったら食べられちゃうから駄目なのです、そもそも熊じゃないから落ち着いて走ちゃん!」


「こんな状況で落ち着けるかバカヤロウ!」


「なんで私に怒るんですか!?」


 だが如何せん、この異常事態はごく普通の中学二年生が対応するには難題過ぎた。

 どこかピントのずれた口論しながら二人はゆっくりと後退を始める。

 この状況で取れる対策は一つ。


 相手を刺激しないように逃げることだけだ。


 幸いにもチェーンソー女は現れた位置から動かず、じっとこちらの様子を窺うように立っているだけ。

 ただその息が妙に荒いのが不気味だ。


 走は海月と手を繋いだまま、ゆっくりと後退る。

 チェーンソー女との距離がじりじりと広がっていく。


 よし、いける。

 走が胸中で拳を握り締めた瞬間。


「あうっ」


「うわあっ!」


 びたん。


 転んだ。隣で。海月が。何もない場所で(つまず)いて尻餅をついた。

 当然、その手を握っていた走も一緒に転倒する。


「やばっ」


 どっと冷たい汗が走の全身から噴き出した。


「れぇざあああふぇええええええす!」


 次の瞬間、女は訳の分からない奇声と共にチェーンソーを振り上げた。

 チェーンソーの刃が猛烈な勢いで回転し、駆動音が山中に響く。

 そのままこちらに向かって一直線に突進してくる。


「ぎゃあああああああっ!」


 その一撃に人を殺してしまうかもしれないなどという躊躇いは欠片もなかった。

 避けられたのは全くの偶然、咄嗟に繋いだ手を離していなければ、今頃は走と海月どちらかの手が切断されていただろう。


 決して、海月のことを置いて逃げようとしてしまったわけではない。断じてない。


「待てぇぇぇい! 女置いて逃げるとか根性無しがぁ!」


 背中を向けて一目散に走り出した走にチェーンソー女は狙いを定めたようだ。

 地面に尻餅をついたままの海月には目もくれず、走のことを追ってくる。


「海月、ここは俺に任せて逃げろ!」


「今更、自己犠牲気取ってんじゃねぇよ! 今、完全に置いて行こうとしただろうがぁ!」


「何とでも言えよ!」


 怒鳴り返しながら、走は山道を外れて山の中へと身を躍らせた。

 下りの斜面を一直線に駆け下りる。


 通り魔の罵倒なんて屁でもない。

 走は走る。相手が海月ではなく自分を狙った時点で勝算はある。

 こういう山中の落ち葉の積もった不安定な地面は走の得意とする場所だ。

 陸上部のエースだろうが、山の中なら絶対に走に追いつけはしない。


「だけど追ってこれるんだなぁ、これが!」


「……嘘だろ!?」


 走は悲鳴を上げた。

 背後を振り返れば、チェーンソー女はピョンピョンと枝から枝へ飛び移って移動していた。

 時折、着地に失敗して地面に落下したりしながら、それでも走と同じぐらいの速度で山の中を追ってくる。

 人間離れしたその動きに、走は一度は収まりかけた恐怖が再び噴き上げる音を聞いた。


「ゲームオーバーだオラッ!」


 目前にチェーンソー女が着地する。咄嗟の判断で走はその脇を身を屈めて走り抜けようとする。


 ごっ。


 女の脛が走の顔面を捉えた。強烈なソバット。もしリングに上がれば世界も狙える。

 走の体はバットで打たれたボールのように水平に吹っ飛んだ。

 そのまま背中を木の幹に強打する。


 肺の中の空気が押し出されて、一瞬で目の前が真っ暗になった。

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