わたくし様、俺様系王子に「俺の女になれ」と言われる
それは、社交パーティの最中に起きた出来事だった。
エレブラン公爵家の令嬢サニアが、この国の第一王子レナードに突然口説かれたのは。
「サニア・エレブラン。俺の女になれ」
それを聞いて、周囲にいた貴族たちがレナードには聞こえない小さな声でヒソヒソと言い合う。
「またレナード様の女遊びか」
「これでもう何人目になるかしら?」
「まさか、品行方正で知られるサニア嬢にまで手を出すなんて」
そんな言葉のとおりレナードは女にだらしない性格をしており、これまでにも何人もの貴族令嬢を口説きオトしてきた。
口説きオトした令嬢を捨てたりしようものなら、周囲の人間たちも不敬を承知で嫌悪感を露わにしていたところだろうが。
レナードは現状、一人の令嬢も捨てておらず、口説きオトされた令嬢もまたレナードにゾッコンのため、非難の声は存外にも少なかった。
第一王子という地位に加えて、眉目秀麗な容貌の持ち主であるレナードが醸し出す風格は、まさしく百戦錬磨(女遊び的な意味で)。
歴戦の猛将と比べても、遜色ないほどだった(女遊び的な意味で)。
対するサニアは、ヒソヒソ話でも触れられたとおり、品行方正で知られる令嬢だった。
容貌はレナードに口説かれるだけあって美しく、性格は自分に厳しく、他人にも厳しい。
女遊びが大好きなレナードとは水と油と言っても過言ではない相手だが、事の成り行きを見守る周囲の人間たちは「だからこそなのかもしれない」と、妙に得心していた。
渦中のサニアはというと、
(ほう……わたくし様を相手に良い度胸ですね)
およそ品行方正とは言い難い独り言を、心の中で呟いていた。
相手が第一王子である以上、エレブラン公爵家の長女としては「YES」と答えた方がいいことはわかっている。
だが相手は、後宮でも造る気かとツッコみたくなるほどに女を囲いまくっている男。
この話を唯々諾々と引き受けることは、サニア自身は勿論のこと、エレブラン公爵家にとっても良いことだとは、とてもじゃないが思えない。
(となると方針は一つ。この女好きの第一王子を、わたくし様以外を愛せないくらいにデロデロにオトしてやるとしましょう)
やはり品行方正とは言い難いことを心の中で呟くと、
「不敬を承知で言わせていただきますが、幾人もの女性を囲っている殿方を、一人の人間として信じることはわたくしにはできません。謹んでお断りさせていただきます」
サニアはドレスのスカ―トの両端を摘まみ、レナードに向かって恭しく一礼する。
そして、話はもう終わりだとばかり踵を返すと、スタスタとパーティ会場から立ち去っていった。
館の出口を目指して廊下を歩いていたところで、背後から「待て!」という声が聞こえてくる。
レナードが追ってきたのだ。サニアの狙いどおりに。
サニアは聞こえないフリを決め込み、歩調を微塵も緩めることなく廊下をスタスタと歩いていく。
「待てと言ってるだろう!」
業を煮やしたレナードはサニアに駆け寄り、肩を掴む。
続けて、サニアを力任せに振り向かせた。
サニアが、廊下の壁を背にする形で。
書物によって得た知識で、次の瞬間に壁ドンされることを予見したサニアは、壁目がけて打ちつけようとしていたレナードの腕を掴むと、舞い踊るようにしてレナードごとその場でクルリと回った。
結果、レナードが壁を背にする形になり、
ドン!
と、サニアはレナードの顔のすぐ横の壁に掌を打ちつけた。
「へ……?」
何が起きたのか理解できなかったのか、間の抜けた声を漏らすレナードに、サニアは告げる。
「レナード様。わたくしを貴方様のものにしたいのであれば、まずはその他大勢と別れてください。話はそれからです」
その他大勢とは勿論、レナードがこれまでに口説きオトし、囲い込んだ、令嬢たちを指した言葉だった。
逆壁ドンされた事実をいまだ受け入れられていないのか、呆けた顔をしているレナードに「では、失礼します」と恭しく一礼すると、サニアはやはりスタスタと彼の前から立ち去っていった。
◇ ◇ ◇
サニアは基本的に、社交パーティには顔を出さないようにしている。
理由は至って単純。
つまらない上に面倒くさいからだ。
だが、全く顔を出さないようにしていると、父親であるエレブラン公爵がうるさいので、父親の小言が炸裂する二~三歩手前を見計らって社交パーティに出席するようにしていた。
ゆえに、サニアが社交パーティの場に現れるのは完全に不定期。
しかも決まったパーティに出席するわけではないので、その日、どこの館のパーティに顔を出すのかも未知数だった。
にもかかわらず、レナードは狙い澄ましたように、サニアが出席する社交パーティの会場に姿を現した。
「これは偶然だな、サニア。いつ、どのパーティに顔を出すかわからないお前と、またこうして会えるなんて」
運命だと言わんばかりのレナードに対し、サニアは小首を傾げながら、容赦なく運命を否定した。
「レナード様が職権を乱用して、死ぬ気で情報を収集した結果なのでは?」
実際そのとおりだったようで、レナードは「うぐ……ッ」と口ごもる。
「それで、その他大勢の方々とはお別れになられたのですか?」
レナードはその問いに対して露骨に目を逸らすと、近くにいた執事に何事かを命じる。
しばらくして執事が用意したのは、一〇本のワインボトルだった。
「風の噂で聞いたが、随分とイケる口らしいな。どうだ? 俺と勝負しないか?」
自信満々に誘ってくるレナードに、サニアは心の中で嘆息する。
(勝負にかこつけてわたくし様を酔いつぶし、介抱と称してお持ち帰りする腹積もりですか。やり口として下の下ですね)
だが、わからせてやる分には都合が良いのも事実。
ゆえにサニアは、微笑を浮かべながらも了承した。
「ええ。構いませんよ。ですが、ボトル一〇本程度ではさすがに量が少なすぎますので、もう少し追加させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もう少し」程度の追加ならば問題ないと思ったのか、レナードはなおも自信満々に快諾してくれた。
もっともその自信は、わずか数分後に打ち砕かれることとなるが。
サニアが執事にお願いし、持って来てもらった一〇個のワイン樽を見て、レナードは「は?」と間の抜けた声を漏らす。
「サニア……お前確か『もう少し』と言ったよな?」
「ええ、言いました」
「……『もう少し』とは?」
サニアは一〇個のワイン樽を見やり、レナードに視線を戻してから小首を傾げる。
「誰がどう見ても『もう少し』ですが?」
自然、レナードが頬が引きつる。
その後、レナードがデロデロに酔いつぶされたのは言うまでもなく。
驚愕を通り越してドン引きしているギャラリーに構わず、レナードを潰した後も全てのワイン樽が空になるまでタダ酒を堪能したサニアだった。
◇ ◇ ◇
それからも、レナードはあの手この手でサニアをオトそう藻掻いた。
その度にサニアは返り討ちにし続け……いよいよ本気で業を煮やしたレナードは、個人的に所有する別荘に来るよう、第一王子としてサニアに命じた。
(わたくし様のことを食う気満々ですね)
そうとわかっていながらも、サニアは微塵も気後れすることなくレナードの別荘へ向かった。
別荘に着くなり、レナードはサニアを自身の部屋へと案内し、従者たちには決して部屋に近づかないよう厳命した。
部屋に入るや否や、レナードはサニアの顎を掴み、クイッと持ち上げる。
「もう一度言う。サニア。俺の女になれ」
そう言って、そのままキスしようとするレナードに向かって、
「はぁ……」
サニアは特大のため息を浴びせかけた。
顔面にもろにため息をくらったレナードは、思わずいった風情でサニアの顎から手を離し、後ずさってしまう。
「酒臭っ!? まさかここに来る前に呑んできたのか!?」
「さすがに、王族の誘いを受けた当日に酒を呑むなんて非常識な真似はしませんよ。前日の社交パーティで、少々酒樽を空にしてしまっただけです」
「非常識しかないのだが!?」
「第一王子として命令してまで女性の貞操を奪おうとする行為よりは、非常識ではありませんよ」
レナード自身、権力に物を言わせるやり口には後ろめたさを覚えていたのか、わかりやすく口ごもる。
「数々の令嬢を口説きオトしてきた手練手管は、どこへ行ったのです? やり口としては、酔いつぶしてお持ち帰りしようとした時以下に下の下ですよ?」
「その手練手管が全く通じそうにない――というか、現に通じなかったのだから仕方ないだろうが」
これまで見せてきた自信はどこへやら、弱気な物言いのレナードに、サニアは思わず微笑を浮かべる。
(初めはただ鼻っ柱をへし折って差し上げようと思っただけでしたが……存外愛い奴かもしれませんね、レナード様は)
キュンときた――などという可愛らしい表現が、サニアに当てはまるかどうかはわからないが。
よし、わたくし様の方から食ってやろう――そう思ったサニアは、両掌で包むようにしてレナードの顔を掴むと、
「!?」
サニアの方から、レナードの唇に口づけをした。
驚くレナードを尻目に、初めは触れるような優しいキスから。
ほどなくして貪るようなキスへと発展し、舌を入れてレナードの口腔をこれでもかと蹂躙する。
気の済むまで貪り、唇を離すと、レナードは腰が砕けたようにその場にへたり込んだ。
サニアは一度舌舐めずりしてから、レナードにとっては耳を疑うような言葉を口走る。
「これがキスですか。初めてやってみましたが、存外悪くありませんね」
「は、初めてだったのか!? 嘘だろ!? どうやってあんなえげつないテクニックを身につけた!?」
「書物で読んだことを実践しただけです」
事もなげに言うサニアに、レナードは開いた口が塞がらなかった。
数多くの令嬢を口説きオトしてきただけあって、レナードは〝あっち〟の手練手管にも精通している。
その自分をキスだけで、それもファーストキスで腰砕けにするサニアに、レナードはただただ唖然するばかりだった。
相手は品行方正として知られていたサニアだったから、なおさらだった。
というか、品行方正という言葉の意味がわからなくなってしまっていた。
そんなレナードを見下ろしながら、サニアは恍惚とはかけ離れた淡々とした物言いで独りごちる。
「やはり愛い奴ですね、レナード様は」
レナードの顎を掴み、クイッと持ち上げ、告げる。
「レナード様。わたくし様の男になりなさい」
普段から「俺の女になれ」と言い続けていたレナードが、逆に言われる格好だった。
だからか。
それとも、先の激しい口づけが効き過ぎたのか。
レナードは神でも崇めるような目でサニアを見上げながら、ただ一言「はい……」と返した。
◇ ◇ ◇
その後、レナードはサニアに言われたとおり、これまでに口説きオトした全ての令嬢と別れ、サニアと婚約した。
令嬢たちの多くは、心酔と言ってもいいほどにレナードにベタ惚れしている。
ゆえに、突然一方的に別れることになったことに悲しんだことは言うまでもなく、その元凶となったサニアに恨みを抱いたことも、言うまでもない話だった。
だが――
レナードに口説きオトされた程度の令嬢がサニアに敵うはずもなく。
一人残らず返り討ちにされたこともまた、言うまでもない話だった。




