3 文字も魔法も覚えたい
僕ら人間とゴブリンの混成集団は本があるという崖を目指して、森の中を進んだ。
「この先って、古い街道が通ってたところだね。山を削って強引に道を作ったところだった気がする」
「やっぱりスクルドはよく知ってんな。そうそう。あそこは一歩間違うと谷底に転落するところが多い。で、本当に転落する奴がいるんだよ」
ドドがにやりと笑う。なんか村のガキ大将に顔がちょっと近いなと思った。
「ですけど、ドドさん、古い街道は長らく使われてないはずですよ。危険なため、新しい道に付け替えられたはずです。スクルドさんの村があまり発展してないのもそのせいかと」
「ケケ、僕の地元のことを悪く言わないでよ。まあ、栄えてないのは事実だけど……」
「ああ、すみません。あの村はあまり栄えてないから略奪に行くなという話が、昔から伝わってるんです」
衝撃の事実を聞いてしまったかもしれない。
そういえば僕の村ってゴブリンに襲われたって実体験を話す人はいないんだよな。古老も気をつけろとは言うが、誰が被害を受けたとはっきり言ったことはない。ゴブリンのほうが襲わないと決めてるなら、当然そうなる。貧しくて得することもあるのか。
「話を戻すぜ。街道が長く使われてないのは事実だ。だからこそ、訳アリの奴らがこっちを使って逃げたりするらしい」
ドドが楽しそうに言う。
「慌てて谷底の真横の道を馬や馬車で進めばどうなる? たまに転落する奴が出るのさ。その遺物がこの先にはほったらかしになってるんだよ」
ドドの言葉は本当で、谷底には朽ちた車輪や馬車のものとおぼしき幌の布があった。
「言い伝えによると、高級な武具を積んだ馬車が転落したこともあったらしいぜ。だいぶ儲かったって話だ。いつ頃の話かもわからねえけどな」
「お宝もあったのか。でも、それだと本があっても持ち去られた後なんじゃ?」
リリが楽しそうに笑った。
「ゴブリンは本になんて興味ないよ。本の価値がわかる人間もこのへんにはいないし、売り砂漠もことも難しいから放置してるんじゃない?」
たしかに。村ですら文字が読めるのは古老ぐらいしかいないし、それでも本をすらすら読めるほどではない。誰も読めないものをほしがる人はいないか。
そして、本が何冊も入っている馬車の残骸を僕たちは発見した。
小さな書棚ごと積んでいたらしく、保存状態もいい。
「うわーっ! 最高です! これで勉強ができますよ!」
ケケが文字通り跳び上がって喜んでいた。本ってそれぐらいうれしいんだな。
「けど、ケケはどうやって本を読むわけ? あんた、文字なんて知らないでしょ。教えてくれるゴブリンなんて誰もいないしさ~」
「リリ、痛いところを突きますね……。ええと……」
ケケの視線が周囲を自信なさそうにさまよって、僕のところで止まった。
協力できるとしたら、たしかに僕しかいないな。
「少しだけなら手伝うよ。簡単な言葉のレベルなら村の人から聞けなくもないし」
「スクルドさん、本当にありがとうございます! これでまた一歩先に進めます!」
「でも、専門的な単語の意味なんてわからないよ。本当にしょぼい範囲のことだけだからね」
「ある程度の単語の意味と発音がわかれば、そこから推測していくことは可能なはずです。最初は大変ですが、入り口だけでも突破できればどうにかなりますよ」
正直、本当かなあと思ったが、ケケの勉強したいという情熱は本物だし、どうにかなるかもしれない。
◇
それから僕は古老から基礎的な単語について学び、それをケケに伝えるという任務を繰り返した。
「なるほど。ということは、こっちの発音もだいたいわかりますね。何かがたくさんあるという意味のようです。すみませんが、この単語とこの単語をまた尋ねてもらえませんか?」
「覚えて帰るの、大変だけど、努力するよ」
この方法は本当に手間暇がかかったが、意図しないところで大きなメリットがあった。
僕も単語に詳しくなってきて、そこそこ文章が読めるようになってきたのだ。
「おい、スクルド。お前、簡単な単語なら文字が読めるようになってるらしいな」
家にいる時、20歳も歳の離れた兄さんに声をかけられた。兄さんとはそんなに仲がいいわけではないが、血がつながってるからか、カーミラさんと比べれば僕の扱いはまだいい。
「う、うん……。興味を持って、古老に教えてもらってるうちに詳しくなってきたんだ」
ゴブリンのことをバレてないかひやひやしたが、そんなに僕に興味がある人間はこの家にいないので大丈夫だった。
「だったら、お前、神官を目指したらどうだ? 子供のうちから魔法の特訓をすれば、そんなにセンスがない奴でも最低限の治癒魔法は使えて神官職につけるかもしれんぞ」
「神官?」
「そうそう。この村の小さな教会にもたまに下級の神官が来るだろ。この村はキュアール教の所領でもあるからな。五歳なのにもう単語がたくさん読めるってことを神官に教えたら、勉強させようと思うかもしれん」
辺境の村にも二週間に一度、神官がやってくる。そこでありがたい神の言葉を語るのだ。村でも例外的に立派な建物が煉瓦造りの教会だ。
教会は普段は無人だが、神官が来る日は開放されて、神官が説法をしたり、簡単な事務作業を行う。
僕は兄さんに連れられて、教会の神官の前に連れていかれた。
「神官様、俺の弟は五歳にもかかわらず、たくさんの単語が書けるんです。神官の修行をさせてやってくれませんかね?」
若い男の神官は半信半疑という顔だった。
こんなド田舎で賢い人間なんているわけないだろうと思っているんだろう。それはかなりの部分、正解だ。通常は学習のチャンスがない。
「じゃあ、坊や、この使わなくなった反故紙の上に知ってる単語を書いてみなさい。でも、野菜の名前ぐらいではダメだからね」
ケケと学んだ単語を僕は順番に書いていった。「懐疑的」とか「可能性」みたいな単語がよく本には出てたな。「存立」なんて単語も記憶にある。
あとは「推測する」とか「推論」とかいった単語もよく出てきた。「批判」「避難」といった単語もよく出てきた。
このあたりは古老が教えてくれたことというより、ケケが解読していったところなので、合ってるかはわからない。でも、意味を口で説明しろとは言われてないから綴りを知っていればそれでいい。
あとは、この表現は「説明するまでもないないことだが」という意味だろうと、ケケが言ってたな。
僕はひたすら単語や言い回しを書いていく。
「なっ……! 失礼ながらあなたの家には本がたくさんあったりするのですか? 難しい本を読んでいなければこんな単語は覚えようがありません」
「いえ、そんなもの一冊もありゃしません。俺も妻も何も読めません。こんな単語、どこで知ったか俺もよくわからねえんです。古老が偶然思い出したりしたのかなあ。まあ、それしかないか。森に入って学べるわけねえしなあ」
兄さんは興味が薄いので怪しむことはしないでくれた。これは助かった。
「はっきり言います。この子はすごい! ぜひ神官の勉強をするべきです! まだ神官養成の学び舎に入るには幼すぎるが、初等教育用の本を授けるぐらいはできます。今度持ってきましょう」
おお! それがあれば学習が一気にはかどる!
「それから治癒魔法の練習も私が行います。教師の資格を持ってるわけではないので、人に教えられるほどの立場ではないのですが、これでもキュアール教の神官ですから、最低限の治癒魔法は使用できます。子供に雰囲気を伝えるぐらいはできるでしょう」
自分の人生が広がっていく感じがした。
もしも、神官になったり、魔法なんてものが使えるようになるなら、兄さん夫婦に遠慮しながらの居心地の悪い生活もよくなるはずだ。
「あの……発音について書いてる本と、古くてもいいので言葉の解説をしてる本があったらほしいです」
「ふむ、そうだな。古い辞書であれば余ってるものが神殿にあるかもしれんな。発音のほうは初等教育の本にも書いてあるはずだ」
これで、ケケの学習ペースも飛躍的に向上するんじゃないか!
異常なほど喜びそうなケケの顔を想像するだけで僕も楽しかった。
多分、短期連載になるとは思うのですが、楽しんでいただければ幸いです!




