10 北からの逃亡者
「グオアアアアーッ!」
オーガは一気に走り寄ってきた。
これはオーガの言葉とかじゃなくて、ただの雄たけびだと思う。こいつ、文明も文化もまだ持ち合わせちゃいないらしい。
僕はとりあえず槍を構える。至近距離に入られるのを防ぐ。
少しオーガの動きが止まる。相手も槍で刺されたくはないはずだ。
たしか槍というのは刺突武器というよりは、頭上から殴りつける攻撃のほうでよく使われるらしい。神官時代に聞いたことがあったな。刺そうとして外れれば、槍の内側の間合いに入られて危険だからだとかいう話だった。
まさにオーガなんかに槍の内側の間合いに入られて、殴りつけられたら終わりだ……。
しかし、僕が殴りつけて倒せるとも思えないんだよな。僕は神官だ。戦士に匹敵する攻撃力などない。
「グオアアアアーッ!」
オーガはこっちの槍を邪魔そうに見つめている。長い槍との戦闘に向こうも慣れてはいない。
僕は槍よりも内側に入られないように、とにかく慎重になっていた。
なんであんな異常なほど太い腕になってるんだ? どういう生物だよ。
そびえている高い山の北側は南側のこっちとは全然環境が違うってことだけはわかる。こんなのが少数とはいえうろついてたら、安易に狩りもできない。
「グオアーッ! グオアアーッ! ギアーッ!」
オーガはずっと僕を威圧し続けている。威圧だけということは、槍を怖がる程度の知能はあるらしい。このまま逃げてくれないかな……?
敵の集中力も少しずつ切れてきてるんじゃないか?
今なら一撃殴ってやってもふところに入られることはないんじゃないか。上手く頭を殴打すれば、それで倒せたり、ひるませたりすることはできる。
よし、やるぞ。
僕は地面の小石を軽く蹴った。
こつんと近くの木に石がぶつかる。
その音にオーガが目をそらす。
明白な隙ができた!
「うおりゃああああああ!」
僕は思いきって槍を振り下ろした。オーガの角と角の間に叩きつける。人間なら昏倒させられるはずだ。
「ガァァアッ?」
しかし、オーガは不快そうな声を上げて、こっちを睨みつけてきた。つまり、ひるんでもいない。僕の力の問題か、単純にオーガが人間と比べ物にならない肉体なのか、とにかく効き目はなかった。
「く、くそっ!」
すぐに槍をオーガの顔の前に突き出して、また距離をとる。
ダメだった場合の時も考えてはいたから、それで付け込まれたりはせずにすんだが、状況は何も改善してない。
どうやって、こいつを足止めしよう。一対一で止めるのは無理だ。突き刺すのは一回で仕留められなかった場合、終わりだけど……。
「グガアアアッ!」
オーガが僕の槍を右手でつかみに来た。
反応が遅れた。槍を握られる。
「くっ……! くそっ!」
完全にこっちのミスだ。槍を捨てて逃げる? いや、オーガの足に逃げられるとは思えない。
「こっちまで来てください!」
後ろからそんな声が飛んだ。
誰だ? やけに高い女性の声。それと、人間の言葉に近いものだった。ゴブリンの発声じゃない。
信じていいか? いや、そもそも判断をする余裕がない。僕は槍を手繰り寄せられたりする前に足早に後ろに下がった。
オーガのほうもそれと同時に僕を押し込むように前進してくる。
どこまで下がればいいのかわからないが、飛んできた声を信じるしかない。
オーガは自分が攻めに転じていると認識したのか、どんどん前に来る。頼む、この先に何か罠でもあってくれ。……でも、それだと後退してる僕が先に罠にかかるからダメだな。
あれ? じゃあ、後ろに下がるやり方じゃ詰んでるんじゃ……?
けど、今更槍を持つ手を離したって、後ろぐらいしか逃げられない。横に飛びのこうとしても、そこをオーガに殴られたら顔面が破壊される。
背中に硬いものが当たる。木の感触だ。もう、これ以上は下がれない。罠は踏まなかったけど、どのみちこれじゃ終わり――
「はぁぁぁぁっ!」
後ろから女の人が飛び出した。
手にはナイフ。そのナイフでオーガの分厚い足に斬りつける。
「ギアアアアアッ!」
オーガもこれは痛かったようで叫びをあげて、槍を手放した。
「今です! とどめを! もうチャンスはありません!」
女の人が言う。でも、とどめってどうすれば……? 勢いのついたナイフでもオーガの肉は表面より少し奥に届いてるぐらいだ。もっと守りの弱いところを攻めないと――
ああ、ないことはないな。
僕はオーガの目に向かって突っ込んだ。
「これで終われえええっ!」
槍で目を貫く。
もちろん目を潰すのは本質的な目的じゃない。
その先の頭を破壊すれば、こいつの動きも止まる!
槍が一気に奥までのみ込まれて、つんのめりそうになる。まあ、いい。それだけよく刺さった証拠だ。
オーガの声が聞こえない。代わりにゆっくりとオーガは背中から倒れていった。
「か、勝った……」
槍が致命傷になったらしい。槍をつかまれた時は終わったと思った。
「どなたかわかりませんが、助かりました、本当に助かりました!」
僕はその場にへたり込んでいる金色の髪の女性に礼を言った。その時に長い耳に気づいた。
「あっ、もしかしてエルフの方ですか?」
「ええ、そうです。山の北から来たというか、逃げてきました。我々エルフはオーガの攻勢に押し出される形で南に逃れてきたんです。いえ、ここで誤魔化しても意味がありませんね。エルフの村はオーガに滅ぼされました」
力なく彼女は言った。ずっとへたり込んでいるなと思ったが、左足が変な方向に曲がっていた。
「僕の名はスクルドです。山の南側の住人です」
「でしょうね。まさか、こんな奥深くまで人間が入り込んでいるとは思ってませんでしたが。村は森や山の入り口といった場所にあると地図では見ました」
あ、そうか。普通に考えれば、僕も人間の村から来たと思われるよな。
「あの、僕はゴブリンの村で暮らしているんです」
「ゴブリンの村……? 冗談でしょう? 人間がなんでわざわざ?」
やっぱり信じてもらえないか。けど、ウソをつく意味が何もない局面ってことも理解してもらえるはずだ。
「僕は無実の罪でキュアール教を追い出されたんです。地元の村にもいられなくなりました。少なくともキュアール教の神官だったことは証明できます」
僕はエルフの曲がった左足に手を当てた。治癒魔法をかける。
「い、痛みが消えて、足の腫れもなくなっているような……。治癒魔法って骨折も対応できるんですか? せいぜい切り傷や擦り傷ぐらいだと思ってたのですが……」
「僕のは中級なんである程度までは対処できます。ちょっと歩いてもらえますか?」
慎重に何歩か歩いて、エルフは頭を下げた。
「助かりました。私の名前はエルカ。エルフの戦士の一人ですが、情けないことにあのオーガとの戦闘中に足をケガするていたらくです。そのせいで戦線から離脱しているうちに村の運命が決してしまいました……」
「失礼ですが、一対一で勝てる相手じゃないですよ。エルフと人間の身体能力ってほぼ同じですよね」
あんなの、人間の戦士三人がかりでも危ないぞ。槍があったからよかったが、僕の武器がもし剣だったらオーガに致命傷を与える方法がほぼ存在しなかった。僕の力で首を斬り落とすことなんて到底できない。
「それぐらい、オーガが増えてきたんです。オーガの縄張りにエルフは近寄らないようにしていたんですが、オーガ側に先に仕掛けられました」
力なくエルカさんが言った。
「エルフの戦士たちもそれぞれ退却して、せいぜいオーガの一体や二体でも引き付けろと言われました。私が山を越えたのも、オーガがついてきたのもそれです。南側の方にとったらオーガが来ていい迷惑でしょうが……」
たしかに、こっちまで引き付けてこないでくれとは思うが、切羽詰まってる状態でそんなことを気にしてもいられないだろう。
「ちなみにほかにもオーガがぞろぞろ来てるってことはないですよね……?」
「今回は例外的なケースだと思います。ただ、北でオーガが増えたのは事実ですから、一部が南に来ることもあるかもしれません」
これは早くドドたちにも報告しておかないとまずいな。
「とりあえず、僕が住んでる村まで来てもらえますか? ケガが治ったからって山を越えるのは大変でしょう」
「ええと、ゴブリンの村ですよね……?」
「おそらくですけど、僕の住んでるところはかなり文化的ですよ。あなたの言葉が通じるゴブリンも多いです」
「そんなバカな!」
「僕が教えたんです。それなら変じゃないでしょう?」
僕は自分の顔を指差した。




