第九話
暴砂鰄鰐を見上げるカイン。
他方、爬虫類の特徴でもある縦に細長い瞳孔がカインを睨みつける。されどカインの魔法によって弱者が拝跪させられるが如く、側方に突き出た四肢も尾も顎すらも動かせない。
ただ反骨の眼差しをカインに向けるだけ。
ーー黒いワニなんて見たことねえな。
暴砂鰄鰐という魔物自体は討伐したことがある。しかしこれほど巨大かつ内包する魔力も強大、さらには黒い魔物は見たことがなかった。
ーーま、どうでもいいか。
右手に持った槍を両手で構える。左足を前に、体だけ右を向いて半身になる。
槍先を下げ、鋭い視線は魔物の胴体を刺している。
腰を落とす。するとカインを中心に熱波が渦巻き、周囲の砂が高温によって融解していく。
音はない。ただ砂漠が地獄へと変貌していくのみ。
暴砂鰄鰐の体が震え、怯えているのがわかる。しかしもはや情けをかける余地はない。
娘に涙を流させ、教え子には血を流させたのだ。
それだけで、もうこれ以上この世で生き続けることは許さない。
息を吸い込む。ついで全身の筋肉を硬直させてから爆発的な速度で槍を鰐の硬い鱗に突き刺す!
しかしそこは流石というべきか、熱砂の王。"大地喰い"の異名は伊達ではない。カインの神速の槍撃はその黒い鱗に阻まれ、刹那、時が止まる。
英雄の一撃すら止めるのかと皆が驚いたのも一瞬。カインは高らかに叫ぶ。
「ーーーー煉獄炎槍…………一天衝ォォォ……ッ!!!」
轟ッ、と槍が煌めいたかと思うと、次の瞬間には暴砂鰄鰐の硬い鱗諸共その巨体を純白の炎の柱が貫いていく。
断末魔なんていう有終の美すら許さない。一切の苦悶、絶叫、呻き声、咆哮すら上げさせずその命を、体を、魂すらも灰燼に帰する。
その威力は貫通するだけではない。天へ向かって螺旋状に上昇することで魔物の体そのものも上空へ急上昇していく。
ーー大地から天へ。
従来の流星とは反対に、大空へ向かって一筋の白い軌跡が世界に刻まれる。
槍を突き上げたままのカインの背中を見て、それぞれ感嘆の声を漏らす。
「……そうさ、これがお姉さんたちを救った"英雄"の一撃だ」
ブリジットは焦がれた記憶の一撃の再臨に涙する。
「……敵わぬ」
イシュバーンは額に手をやり、己の目標の高さを思い知る。
「比類なき力……素敵ですわ、カインさま」
レティは弓を手放し呆然とする。
「……時間の魔法ごと煉獄の炎で吹っ飛ばしたんっすか。ほんっと規格外っすね」
ドイルは腰を抜かしたまま、呆れ果てる。
ブレイドたちだけではない。シャルティとサージュも目を見開き口をポカンと開ける。
「こ、この砂漠で一番強い魔物を一撃……? それに鱗に攻撃したら時間を止められるってドイルさんが……え? 夢?」
「パパが凄いことは知ってるからもうおどろかない。おどろかないよ……?」
天を突き刺す炎柱に息を飲むのはミニョンとアドラーも同様であった。
「……これこそまさに"予言"じゃないですか〜。天に一条の流星が奔りましたよ。下から上にですけど〜」
「なら、あの人の娘たちが"涙浮かべし無垢なる者"……? それでもミニョンはブリジットお姉様が聖女説を覆したくないの」
二人の視線の先にはカインの姿。
右手に掴んでいた槍が溶けていくのを確認してからこちらに振り返り、勝ち気な笑みを浮かべるものの、
「ーーぶえぇっっくしょい! あ〜、砂が目と鼻に入った! ぶあっくしょっ! だあぁぁぁ、くそっ!」
涙を流し、鼻水を垂らしている。
「……涙浮かべてますよ」
「……無垢なる者ではないから却下なの」
人知れずカインの聖女認定は見送られた。
そうして各人の状況を確認していると、ブリジットに駆け寄るサージュ。
「……お姉さん、だいじょぶ?」
「ああ、カイン殿のおかげでまた命を拾ったよ」
「そう、よかった」
ブリジットの右手を握っているサージュに対し、左手を握っているミニョン。お互い言葉は交わさずとも視線で抗議する。
『お姉さんはあたしのお姉さん。とらないで』
『ブリジットお姉様はミニョンの聖女なの。どっか行くなの』
そんなことは梅雨知らず、御者や馬車の点検を終えたカインがブレイドが固まっているところに歩いてくる。
砂漠に建てられたテントの中。簡易ベッドに伏せている二人ーーブリジットとイシュバーンーーと近くで座している二人ーーレティとドイルーーを見渡してから、ほんの少しだけ頭を下げるカイン。
「……冒険者が護衛対象に助けられるなんて、これ以上ない屈辱だろう。悪かった。最後までお前たちに任せることができなくて」
その言葉に応じるのはパーティーリーダーのブリジットだ。
「謝るのならお姉さんたちもだよ。カイン殿が英雄でなければみんな死んでた。任務を完遂できないのはお姉さんたちの失態。こちらこそ力不足で申し訳なかった」
そういってブリジットは片手を軽く上げる。
それだけでこの謝罪合戦を終わろうという意図を感じ取れる。だがブリジットはそれだけでは終わらなかった。
「でもね、カイン殿! いくらお姉さんたちを守るためただからって、商売道具の武器を壊されたらたまったもんじゃないよ!」
「それも悪かったって。あの鰐の素材はお前たちで好きに使ってくれていいから、それで許してくれ」
カインの台詞に冷静に突っ込むのはテントの中で椅子に座っていたドイルとレティだった。
「素材って……カインさんが吹き飛ばしたからなくないっすか?」
「そうね。気持ちのいいくらいお空へ飛んでいったわよねーー魔物もろとも」
カインの頬には一筋の汗が流れる。
「あ〜! そうじゃん! 空の彼方までぶっ飛ばしたんじゃん!? え、じゃあ素材は?」
「「「「無理でしょ」」」」
痛烈な四つの指摘がカインを突き刺し、動乱の一日を終えたのだった。
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