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もうそろそろ太陽が沈もうとしている頃、仕事終わりの冒険者や商人、事務員や宮廷勤めの役人の帰宅時間と重なり、帝都の人だかりはすさまじいものとなる。
ゆえにカインは幼く小さいサージュを肩に乗せ、広い視野を提供する。
サージュもまた、父の肩から望む人の営みの景色が好きだった。
嬉しさから鼻歌を歌うサージュと一緒に軽快な歩調で家に帰り、休んでいたシャルティと合流。
荷物の整理を済ませてから、三人は昔から世話になっている食事処――カイン曰く〝ガッツの店〟、サージュ曰く〝ルビーママの店〟――『元気食堂』に向かう。
帝都の中心にある帝宮と外縁の南門とのちょうど中間、貴族街と平民街の境界に元気食堂は位置している。その立地ゆえ、そこら辺の商会よりも豪奢な佇まいを誇る外観。
事実食堂と謳っているのに、客層の半分はお貴族様。お偉い貴族様を丁重に迎えるための重厚な両開きの扉を開け、カインは娘たちとともに入店する。
するとカインたちの耳に、絹のような可愛らしい声が届く。
「いらっしゃいませー! ご予約は――って、シャシャル! 帰ってきたのね! おかえりー! カインパパもジュジュちゃんもようこそぉ!」
「よっ!」
「ん、ただいま」
「ただいま『ローラ』! いつもの席、いいですか?」
「もっちろんだよぉ! お父さんの恩人のご家族だからね! 三名様ごあんなーい!」
ピンク色の髪を頭頂部でまとめたシニヨン、溌剌と話す口調、透き通る美声。
シャルティの帝校での同級生にしてカインの旧友の娘であるローラと挨拶を交わしてから、彼女の案内で定番の席に案内してもらう一行。
「とりあえずビールと、水、あとジンジャーエールを頼むよ」
「はぁい! 承知いたしました! すぐにお持ちしますねー!」
席に着いたカインたちはローラに飲み物の注文を告げる。そして何を食べるのか相談する。
「ずっと干し肉とかシチューばっかりだったから、胃に優しいものにしな。あと野菜もな」
「ううぅぅ……じゃあ……私は薬膳スープにします」
「あたし、サラダとアクアパッツァ」
「おう、シャルちゃん野菜は?」
「……薬膳なので少しくらいお野菜ありますよね……?」
「ねぇね、いい歳してお野菜食べられないのはダメだよ?」
「ち、ちがっ! 胃腸が弱ってるから! 薬膳だし! 温かいスープだけでいいの……!」
「シャルちゃん、強くてカッコよくて綺麗な女性はな? ちゃんと食事にも気を使ってるぞ?」
成人間近という年でありながら野菜嫌いが治らないシャルティに対し、なんとか改善を図ろうとしていると、注文していた飲み物を店員が運んできた。
「うふふふ、いらっしゃいませぇ。元気にしてましたぁ? カイン様♡」
「――げっ! 『スコッティ』……」
「ああ。俺はいつでも元気さ。知ってるだろ?」
「ええ、もちろんよぉ。昼も夜もお盛んよねぇ。うふふ」
店員――スコッティの登場によってシャルティは顔を顰め、カインは破顔する。
「はぁい、ビール。シャルちゃんにはジンジャーエール」
「ありがとさん」
「……どうも」
「それでサージュちゃんにはお水ねぇ――」
スコッティが、奥に座っているサージュに水を渡すため体を乗り出す。
すると、置いたばかりのビールジョッキにその豊満な胸が当たり倒してしまう。
「あらあらぁっ? ごめんなさぁい、カイン様ぁ」
「いや大丈夫だ、しっかり拭き取ってくれ――でへへ」
「……むむむむ」
色気に満ちたお姉様風な話し方をするが、実のところドジっ娘属性のスコッティ。
胸をカインに押し当てながら拭くスコッティに、そしてだらしなく鼻の下を伸びしているカインに対しても不満の表情を浮かべるシャルティ。
一方、サージュは黙々と水を飲んでいる。
――元は大陸中を漫遊する踊り子の一団に属していた彼女。
しかしそのドジっぷりゆえ、十年前に帝国に来ていた際に置いていかれ、そのまま帝国に住み着いている。
ウェーブのかかった腰まである長い甘栗色の髪、色気に溢れる垂れ目、服を大きく持ち上げる豊満な胸、健康な子供を何人も産めそうなどっしりした尻、元踊り子ゆえに程よくくびれた腰。その厚い唇から発せられる甘ったるい惑いの歌はあらゆる男を魅了する。
――そして当然の如く、カインと関係を持っている一人である。
カインが南部戦役など戦いの場に赴く時、幼かったシャルティを彼女に預けていたが、なぜかシャルティはスコッティを目の敵にしている。
「これで大丈夫ねぇ。本当にごめんなさぁい、カイン様」
「いいって。いつものことだ。それより注文を頼むよ」
「はぁい、どうぞぉ」
伝票を取り出したスコッティを視界の端に納めながら、カインは先ほど決めていた料理を注文するが、
「あらぁ。シャルちゃん、またお野菜食べないのぉ? ダメよぉ。それじゃあ大きくなれないわぁ」
スコッティがやはりカインと同じことをシャルティに告げる。しかし〝大きい〟といいながら己の胸を強調しているのは、なにやら別の趣旨を感じる。
「……むむむ。なら、温野菜を……」
「豆がオススメ! 成長期には効果抜群よぉ!」
「え? 本当? サージュ」
「ん。豆の成分が女性に良いのは証明されてる」
「っ! それじゃあ……お豆も、お願いします……」
「はぁい! 承りましたぁ」
スコッティは無駄に腰を振りながら、そして妖しく唇を舐めカインに視線を投げたのち、厨房の方へ向かって行った。
スコッティが居なくなったのを計らって、カインはシャルティに告げる。
「なぁシャルティ、もうちょっとスコッティに柔らかく接せないか? 面倒見てくれたし、言ってしまえばもう一人の母親みたいなもんだろ?」
しかし、キッと鋭い目をカインに向け反論するシャルティ。
「――違います。あの人は私のライバルです! それに私にとってのお母様は、一人だけです……」
「シャルティ……」
〝ライバル〟ときたか……。
シャルティが踊り子を目指している訳ないだろうし、なによりスコッティはもう引退し、ただの一店員に過ぎない。であるならば、一体なにを競い合っているのだろうか?
反抗期真っただ中の娘は訊いても教えてくれないんだろうなぁと、ぼーっと考え、シャルティとサージュがなにやら話し合っているとしばらくしてから、店主の妻――『ルビー』が料理を持ってくる。
「カイン様! お料理持って来たわ。帰って来てたのね!」
「ああ、ついさっきな」
顔なじみが訪れたことによって笑みが零れるカインとルビー。
「カイン様たちが来てるってローラから聞いて、主人も顔を出したがっていたけど今忙しくて……」
「いいって。髭だるまの男の顔なんて見たくねぇよ。それよりも美人なルビーが来てくれて嬉しいよ」
「ふふ。主人には内緒にしておくわね」
ローラの母親にして戦友ガッツの妻ルビーは、卓越した経営スキルを持つ女傑だ。
料理が上手いだけで愛想笑いの一つもできない夫に代わり、店の経営を一手に引き受け繁盛させている。
貴族ともパイプを有しており、帝都飲食店協会史上初にして最年少で会長に就任。利益と情、二兎を追い、二兎とも得る強かな女性。
エルキュールと同じく、南部戦役で共に殿部隊として従軍した彼女の夫ガッツの窮地を救ったことにより、予約必須のこの店をいつでも利用できるようにしてもらっている。
「シャルちゃんもサージュちゃんもおかえり! ゆっくりしていってね!」
「はい! お心遣い感謝します!」
「ルビーママ、ありがとう!」
彼女に対してはシャルティも素直に応対し、サージュも懐いている。
その後一時間ほどゆっくりと過ごした後、店を後にしようかという時、店の主人『ガッツ』が近づいてきた。
「……カイン」
頭にタオルを巻き、エプロンには至る所にソースや食材の端切れが付いている。顎鬚が特徴で笑みも浮かべずカインの名を呼ぶ不愛想な男。そして、
「――ガッツ」
カインもまた主人の名を呼ぶ。そしてお互い見計らったかのように抱きしめ合う。
お互いの背中をバシンッと叩いてから離れ、ガッツはカインにある質問を投げる。
「……飯は美味かったか?」
「お前の飯が不味いわけないだろ? 帰って来て最初に口にしたのがガッツの料理だ」
「……そうか」
傍から見れば機嫌が悪そうに見える男。
しかしこのハグを交わし料理の感想を聞くという事がどれほど珍しいことか。
なぜなら彼は、自分の料理に並外れた誇りを持っており、料理のことに口を出すのを許さず、少しでも料理を残せば出禁、口に合わなければ二度と来るな、という人間である。
そんな厨房から出てこないような彼が自ら赴き、さらには感想を聞くなど普通はありえない。
――しかしカインは普通ではない。
包丁しか握ったことがない男が血と土と剣と殺気に満ちた戦場に送り込まれ、死の覚悟すらできず震えていた所を救ってもらった。
そればかりか愛する妻と娘のいる家に送り届けてもらった。そして戦後、報奨金――戦場では役立たずであったのにも関わらず――を皇帝より下賜され、それを元手に妻の協力で立派な店を構えることができた。
娘にもシャルティやサージュという友ができた。
ーーすべてはカインに救われたからこそ。
ゆえにガッツはカインを恩人と敬い、誰よりも優先して最高のおもてなしを提供するのだ。
「しばらくは帝都にいる。また家族で利用させてもらうぜ」
カインが笑顔でガッツに告げる。
「……好きにしろ」
仏頂面で答えるガッツ。
しかし本当は嬉しくて仕方ないのだ。
照れている時の仕草である、エプロンに手を擦りつける癖が出ている。
こういう職人気質なところもカインが彼を好ましく思っているところであった。
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